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夏とむらいのケン

 む、つぶらやくんか。こんなところにまで足を運ぶとは、珍しいこともあるもんだ。時間が取れたと見える。

 僕かい? 僕はちょっと「夏とむらい」を探しているところさ。


 ――残暑に別れを告げたいなら、一心不乱に神様へおいのりでも捧げたらどうだ?


 ああ、いやいや「夏よさらば」的な呪詛をまき散らしたいわけじゃないんだよ。なんというか、おまじない? みたいなもので。

 ん? まじないも漢字だと「まじない」だから、やはりのろいの一種と思ったほうがいいのかな? ん~、まあ出会い的に儀式めいた部分もあるかもね。

 つぶらやくんは、何かお目当ての探し物とかあって、ここに来たのかい? 特にあてもないのだったら、一緒に夏とむらいを探してみないか?


 夏とむらいはなんぞや、とつぶらやくんも思うところだろう。

 とむらい、の意の通り、これは相手を葬る動きを表している。もちろん、字面からして夏を相手にするわけだけど、こうも得体のしれない概念的な相手を葬るのは、物理的にも精神的にも困難を極める。

 しかし、我々の社会では概念を物理的に表現する手段があるのは、君も知っていよう? そう、象徴つまりはシンボルというわけだ。

 夏の象徴となるもの、といえば海に花火にひまわりに、祭りにすいかにかき氷……と人によっていろいろなものが浮かぶだろう。夏とむらいは、そのシンボルたる相手を葬るところからきている。


 つぶらやくんも、この日、このとき、この場所に来たというのも縁かもしれない。

 ちょうどここに、夏の象徴のひとつが来ているんだよ。まず、周囲の空気を嗅いでみるといい。


 ――特に変わった臭いなどしないが?


 そう、しないことこそが証さ。

 この辺りは見ての通り、背の高い草がたっぷりある。そこから「いきれ」とともに発する緑の匂いは、個人差はあれどかぐわしいものだろう。

 ま、それだけだと確信を持てないだろうから、足元を見てみるといい。つい先ほど、カメムシをつかまえて潰しておいた。まま、そう嫌そうにせず顔を近づけてみ?

 ほうら、臭いが全然しないっしょ。カメムシの臭い、知っている人ならば、それを嗅げないことの異常さが分かるはずだ。それはつまり、ここに夏の象徴がいることのあかしとなる。

 説明が遅れたね。ここにいる象徴は「ケン」と呼ばれるものだ。もちろん、人の名前じゃあないけれど、地域や慣習によってあてられる字にはバリエーションがある。よって、ここでは「ケン」で通すよ。

 ケンの近くでは、あらゆる臭いがかき消される。いや、ケンが放つ「無臭」にすべてが塗りつぶされるといおうか。ここでは嗅覚を頼りに、情報を集めることはまず不可能なのさ。

 じゃ、ここからは声量を落として、こっそり動くとしよう。知っての通り、ここの草むらは向こうの道路まで20メートル以上はたっぷりある。注意してケンを探すとしよう。


 ――ケンとは、どのような姿をしているかって?


 おお、そうか、伝えておかないとね。とはいえ、これもパターンがあるから一概には言えないのだけど……おそらくは狐顔をしたヤモリの格好だ。


 狐顔といっても、リアルな狐の顔を思い浮かべるとズレちゃうなあ。

 お面だかなどで描かれる、デフォルメがかかったもの。あの糸目を引いて逆三角形を思わせる輪郭を持ち、両耳がピンと立った顔。

 まあ、騙されたと思って注意深く探してみてよ。しっかりとお面のような狐顔を連想させながらさ。僕が見つけたら手招きするから、たまには顔あげてくれよ。そちらも見つけたら手招きしてくれれば、いくからさ。


 ちょいちょい。つぶらやく~ん。

 どうやら、僕のほうが縁があったみたいだ。ほら、そこの草の根元あたり、見てごらんよ。

 ね~、お面狐の顔したヤモリがぐったりしているっしょ? これが「ケン」てわけ。夏の象徴。こうして発見できたのなら、夏とむらいも最終段階へ入る。

 おっと、うかつに触ろうとするのはいただけないな。僕らは観察も傍観もできるけれど、当事者じゃあない。舞台へ勝手に上がっちゃいけないし、グラウンドへ自由に降り立っていいわけじゃないんだよ。

 場所を見つけたなら、あとはとむらいが終わるのを見守るのみ。ちょっと離れていようか。

 じきに始まる。耳に注意を払えばすぐ気づけるさ。


 そうら来た。セミだ。

 この暑い中をほんとご苦労様だよ。ほらほら、あそこを飛んでいる。けれど、どうやら限界みたいだね。飛び方がちょっとおぼつかない。

 となると……ほら、落ちた。真っ逆さまだ。いよいよ命の終わりってね。


 ――あそこ、ケンのいるところだろ? 直撃じゃないか?


 ああ、どんぴしゃもどんぴしゃだけど、ひょっとしてケンの心配してる?

 それは無用……とはいいがたいが、夏とむらいにも「スジ」があるのさ。

 ほら、落ちたはずのセミはおらず、「ケン」も明らかにでっかくなっているだろう。そうしているうちに、ほら一匹、また一匹……セミたちも終わりを求めるんだ。ケンの中へさ。

 ケンはそれを嫌がらない。どんどん、どんどん受け入れる。

 おっとつぶらやくん、ちょっと下がろうか。ケンがいよいよ、こちら側へ触れそうだからね。うっかり触ると、あのセミの二の舞どころか、数えきれない舞の一部になっちゃうし。

 そ、だからさっきも「触るな」といったのさ。君も「夏」になりたくはないだろ? もう終わろうとする夏にはさ。あとはケン自身も、終わっていくのを待つのみさ……。


 破裂すると思ったかい? でも残念。

 ケンは受け入れるだけ受け入れたら、ふっと消えてしまうんだ。質量ある身から、元の形なき概念に戻ったってところかな。ほら、臭いも戻ってきているだろ?

 これで本当に夏は終わり。ここよりの暑さはみんな、ケンの残した熱。ホントの残暑にすぎないものなのさ。

 というわけで、いいもの見られたね、つぶらやくん。それじゃ解散ってことで……。


 ――ん? こうなるなら、最初にあげた夏の象徴になぜセミをあげなかった? 人それぞれとかいいながら、実はセミは対象じゃないんじゃないか? そもそも「夏とむらい」はマジなのか?


 ……さあ、ね。

 ただひとつ、僕にとっては都合のよいことには違いないんだよ。人と自然の利害と一部重なるところがあるだけで、さ。

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