永遠輪
取引。
言葉だけを聞いてみると、なんとも重々しい雰囲気を感じさせる。意味としては、契約とか合意のもとに、金銭や物品、サービスをやりとりすることだという。
となると、本人のあずかりしらないところで取引が行われてしまうこともあるわけだ。たとえばご先祖様が契約を結んでいたがために、子供がその履行に付き合わされるとかね。
子供側からしたら「ふざけんな!」といいたいが、もしご先祖様がそこで契約していなかったら、そもそも自分が生まれていない可能性が非常に高かったりする。
未来に禍根を残したくはないが、今が消失してしまっては後々の可能性もなくなってしまう。果たしてそれが良い判断か否か……結果としての歴史、研究者としての史家の客観評価を待たざるを得ないところか。
とはいえ、これらは氏族にとっては恥部になりえるところ。そうそう教えてもらえることもなく、漏れ聞こえてきたものをどうにかつないでいくしかない。
このようなこととは無縁だし……などと、最近までは僕も思っていた。しかし、父親の子供時代にどうやら、過去にそのような取引があったらしいんだよ。
その話、聞いてみないかい?
父親が子供のときのこと。
当時、住んでいたところには珍しく、夜に霧が出てきたらしいんだ。屋内にいたからさほど影響はなかったけれど、物珍しさから父親は自室の窓を開けて、外を見やってしまったらしいんだ。
完全に視界がきかないほどじゃない。うっすらとあたりの景色が見えているものの、その中で父は出し抜けに音を聞く。
鈴の音。けれども、しめやかさはあまりない。
どちらかというと、自転車のベルの音に近く、大きい音だ。聞いたなら、きっと誰もが顔を上げて「何事か」と思うだろう。目立ったアクションをとるかは、個人差があるだろうが。
ベルらしき音はそれから8度に渡って鳴り響き、ぴたりと止んでしまった。父親はほどなく、例のベルがただならぬものであると感じ取ったらしい。
というのも、ベルの音が止むとともに、周囲を包んでいた白い霧がたちまちのうちに消え去ってしまったからだ。まるでタイミングを合わせたかのような、不可解な晴れ方。
それだけじゃない。
父親はにわかに、お腹のあたりへかゆみを覚えた。寝ている間にへそを出して蚊に刺されるなどは、これまで何度もあったこと。このときも、それと同じようにへそまわりが赤くなっているだけで、おかしいようには思えなかったとか。
もともと、夜も遅いころ合いで、いったんは寝入ったものの、朝に起きてみて寝間着をめくってびっくりした。
自分のへそを中心部にして、数字の8を横向きにしたようなミミズ腫れが浮かんでいる。いや、それどころか腫れはすでに血が固まったようなかさぶたをこさえていたばかりか、指で軽く触れただけでもしびれと痛みを発するほどのものだったんだ。
すぐに父親は祖父母に相談すると、二人は顔を見合わせてしばし戸惑った表情を見せる。
どうやら、心当たりがないこともない。けれども、よもやこのときにやってきてしまうなんて、と読み取れるものだったとか。
どうやら父は、「永遠輪」なるものを作る代に選ばれたらしい、と祖父は語る。
実際、家にある先祖代々伝わり蔵の不覚にある櫃の中には、長く長く編まれた綱が存在している。後からつぎ足せるよう、端っこにややすき間が空いたそれが、家に伝わる永遠輪なのだという。
これは、豪族だったというご先祖様が、この一帯が類を見ない凶作に襲われた際に土地の神様と交わしたものらしい。
人々を飢えから救う代わりに、子々孫々、神へ捧げる綱を結い続けてつないでいく、という取り決めだったとか。
選ばれた代のものは、大きい鈴の音を合図として腹に模様が刻まれる。刻まれた者はその血が証から流れ切るより先に、綱の続きをこさえなくてはならないと。
「つまりは詰め腹を切らされるわけだ。過去、役目を放棄した者は、命を落とした後も血を流し続けて干物のごとき骸をさらしたばかりか、時を置かずにその兄弟へ同じ証が浮かんだらしい」
こうしている間にも、父のへそまわりの証からは赤く血のにじむ気配がしており、すぐさま永遠輪作りに取り掛かったそうだ。
綱を結えるのは、証を授けられた者のみ。
一人だけで作るとあって、綱引きに使うようなぶっといものではなく、相応に細いものだったという。父は輪になっているところへ、新たなわらを通して祖父母の指示に従って、輪を伸ばしていく。
正直、父にとっては作り方そのものは聞いたことをそのまま必死にやるばかりで、あまり頭に入らなかったという。それも綱を結い始めたあたりから、腹からはどっと赤い血が流れ出てそれどころではなかったかららしい。
タライが置かれていたものの、音を立ててその中へ注がれていく様を見ながら、自分はまったく痛みを覚えていなかったこそ。そして「鉄をとれ」といわれて、祖父から次々と口へひじきを山のように放り込まれたことばかりだったとか。
数メートルぶん綱を伸ばすと、お腹からの出血は止まった。しかも、そのタライに並々と注がれた血は、ひとりでに湯気を出しながら空気へ溶け込んでいってしまい、かすかな香りをそこへ残すばかりになったとか。
無事に使命を果たしたわけだけど、父もこの話を一族へつないでいく役目を負ったわけで。僕もこれでまた役目を負ったわけだ。
次なる永遠輪の作り手が、いつ現れるか分からないけどね。