紅剣作り
つぶらやくんは、「紅剣」なるものを見たことがあるだろうか。
文字を見るに、紅色をした刀剣のように思えるだろう。人が振るうものとは異なるけれどね。
刀に五彩ありといわれ、上から青、紫、黒、赤、白と評されるとは、以前に聞いたことがある。これに照らし合わせると、紅色の剣というのはあまり評価が高くないのかもしれないが、これもまた人の扱うものでの話。
ところ変われば、紅剣も評価が異なってくるかもしれない。以前に聞いた、紅剣の話なのだが聞いてみないか?
話してくれたのは父親だが、父親がかつて住んでいた地域のひとつに、紅剣作りなるものを行っていた場所があるらしい。
剣を作るといっても、鍛冶師のたぐいがいるわけではない。各々の家で、特別な設備がなくても製作可能なものだ。もっとも、相応の準備はいるようだけどね。
この紅剣、作ることのできるタイミングが限られている。「べにか」と呼ばれる植物が生える時機でなくてはいけないようなのだ。
べにかは漢字で書くと「紅花」になり、染料として使われるべにばなと区別がつかなくなる。ここでは便宜上、「べにか」の呼び名で通させてもらおう。
べにかは、べにばなよりも彼岸花に近いかっこうを取るらしい。
しかし、塩を含ませた水をかけてみると、一挙に緑色へ変質してしまうという特色を持っていて判別は付きやすいのだそうだ。塩水が乾くと、元の紅色を取り戻すらしいのだけど。
このべにかは、かの地域だと夏の間によく咲くものらしく、秋以降は生えたとしても総数はめっきり減ってしまう。自然、紅剣を作れるのはほぼ夏に限定されてしまうんだ。
紅剣を作ろうと思ったら、まず地面に溝をつくっていく。
紅剣の鋳型となるものだ。深さは10センチ以内で、長さは15~30センチ以内。柄3割、刀身7割に区切られる位置へ真一文字に溝を入れて、つばとするようだ。つばの長さは柄を上回らないように定められる。
このとき、溝を作るのは自らの住まう領域の中にすることが望ましい。壁、縄、垣根などではっきりと領域を区切っておくんだ。
次に、べにかをとって、すりつぶし、花の汁を出す。
乳鉢を用いてべにかの花から茎にかけてを、どんどんすりつぶして出てきたものをためておくんだ。
べにかはここでも特徴をあらわし、錆びた鉄を思わせる刺激的な臭いをあたりに放つ。俗にいう血の香りってやつに、よく似ている。
ある程度の量が溜まったら、最初にこさえた溝の中へこのべにかの汁を注いでいく。ふちギリギリまで入れるのがよしとされるが、漏れることは望ましくない。そのため、注ぐときには繊細な心配りを求められる。
堀った溝のことごとくが、べにかの液に満たされるまでこの作業が続くんだ。
最後に、溝へなみなみと注がれたべにかの液に、塩をひとつまみ分、パラパラと撒いていき、数時間そのままで寝かせておく。
他の草花の汁であったならば、どんどんと土が飲み込んでしまうなり、乾いてしまうなりして長い時間とどまることは、まれだろう。しかし、塩を含ませたべにかの汁はずっとそこへ残るばかりか、時間を経ていくうちに固まっていく。
こうして完全に形を整えたものが「紅剣」と呼ばれる代物となるんだ。
固まった紅剣は溝から取り出すのだけど、無精して指を突っ込んではならない。
人肌に触れた紅剣は、たちまち形を崩して元の液体に戻るばかりか、あっという間に蒸発してしまう。
人の持つ熱か、あるいは表皮にいる微生物の何かが、てきめんに効いてしまうのかどうかは謎だ。しかしこれが、人の振るうことのできない刀剣である理由よ。
なのに、紅剣は菜箸を用いて溝からほじくり出すのが通例になっている。トゥングなどでも構わないらしいが、日本的な風情を大事にするには箸だろうな。
ところどころの溝の端に箸を入れ、少しずつ浮き上がらせたのちに、柄の部分をつかんで持つのが一般的らしい。そうして紅剣はおのおのの家の神棚に相当する場所へ捧げられる。
父が当時、住んでいた家では床の間にある刀置きへはめるのようにしていたという。小太刀をそなえるところよりも、さらに一段下。紅剣のために用意する置き場があったと聞いたな。
捧げられた紅剣は、やがて自然になくなるまで誰も触ることを許されず、そのままにしておかれる。
たいていのうちは夜の間に姿を消してしまい、起きると同時に不在を悟ることが一般的だという。紅剣は人ならざるものが好んで持ち去っていき、家へ住まう者の、その年における無病息災を約束してくれるのだとか。
そのぶん、この紅剣がいつまでも持っていかれず、神棚に相当するところが、もとの「べにか」の汁に戻って濡れてしまうことがあると、不幸が訪れることが多いのだという。
父の家は、幸運にも紅剣が溶けてしまうようなことはなかったようだが、父本人は一度だけ紅剣が持ち出されるところを見たことがあると話してくれた。
その日は午前中に遊び疲れて、床の間にある部屋で昼寝をしていたところ。
みしりと、畳がきしむような音がしたかと思うと、床の間の刀置きが揺れる音が続く。
ん? と薄目を開けてみると、自分よりも小柄な子供が刀置きから紅剣を取り上げるところだった。逆光を浴びるような位置でもないのに、その子の背中は黒々としていて裸なのか、何か服を着ているかも判別がつかなかったという。
その子は、握った紅剣をぶるりと一度振り回すと、庭へ向けて鞠のごとく軽々と跳ねながら去っていったらしい。
父が寝起きの身体に鞭うって立ち上がったのは、庭へ面するガラスがちっとも開けられる音がしなかったためだ。あの黒い男の子は見当たらず、ガラス戸も開いた様子はない。
ただし、そこから見える庭の植物たちには点々と、あのべにかの汁がもたらす赤い液体がこびりついていた。それらは父がガラスを開けて庭へ降りるときには、ことごとく乾いて臭いもしなくなっていたという。