砂散る草
こーちゃんは、「砂散る草」を引っこ抜いたことがあるかな?
この夏場、植物たちにとっては大いに背を伸ばす暑い時期でもあるが、過ぎたるはなお及ばざるというか。
あまりの暑さのために体力を使い果たし、へばってしまう草たちを見るときもしばしばだ。まさに夏枯れ時というか。
本来夏枯れというのは相場で使われる言葉で、普段市場で取引する人たちが夏期の盆休みなどでは休暇をとってしまい、その間の値動きの幅が小さくなることをいうそうだ。
しかし、緑にとっての本当に夏枯れが起きるとき、草たちがあえぎながら何をしでかすのか……砂散る草も、そのひとつといえるかもしれない。
以前に友達から聞いた話なのだけど、聞いてみないかい?
友達がお盆近辺で、自転車に乗っていたときのことだ。
暑い夏は、たいてい図書館へ向かうようにしていたという友達は、やがて最後の直線に差し掛かる。
乗用車が二台すれ違えるほどの車道で、ところどころ重機置き場となっているが、まだちょろちょろと田んぼが道の両端に残っている。なみなみ水をたたえながら、どの苗たちも青い体をせっせと伸ばしているが、中には己の頭の重さに耐えかねてか。あるいは暑さにへばっているのか、くてっと折れかけているものもちらほら見受ける。
お前らも大変だな~、とひとりごちながらペダルを踏んでいく友達。
こう動ける自分と違い、彼らは生きるも死ぬも、あそこで踏ん張らなきゃいけないんだ。立ち位置によって避けられないものもあるだろうが、逆に言えば自分の心配だけすればよいわけだ。
最終的には個々の強さがものをいい、種の生き残りをかけた戦いが続く。
そう考えつつ、友達がいったん重機置き場を挟んで、二か所目の田んぼを横切りかけたときだ。
不意に田んぼ側から、びゅっと風らしきものが吹き付けた。同時に、半身へ叩きつけられる無数のつぶての感触。倒れこそしなかったが、友達はバランスを崩してハンドルを握りながら足をついた。
動きを止めたことで、半身にくっついたそれらがパラパラと音を立てて落ちる。それは細かい砂たちだった。
白と黄を混ぜ合わせた色をベースにしながら、そこへところどころ黒や茶色の粒が混ざる。このあたりの川じゃりなどなら、よく見られる色合いだったとか。
しかし、問題はここが田んぼのわきであるということ。風に吹かれたとしても、巻き上がって吹き付けるほどの、大量の砂は見られない場なのだ。
砂たちの量たるやすさまじく、友達の半身はおろか、乗っていた自転車たちのカゴやタイヤやフレームたちの中へびっしり入り込むほどで、そのままだとチェーンもまともに動かすことができなかったとか。
思わぬトラブル。砂への対処に追われて時間を食った友達の図書館行きは予定を大幅に変更。時間を繰り上げることになり、帰り道も別のところを回るようにしたようだ。
そうすると、例の砂が吹き付けることもなかったらしい。友達は帰宅したあと、この奇妙な出来事を、夕飯の食卓で家族に話したそうなのさ。
そこで初めて聞いたのが、「砂散る草」の存在だったという。
砂散る草は、過度のストレスを感じた植物が見せる反応のひとつらしい。
人間が体内の排泄物を様々なところから出すように、植物もまたこの砂を出すことがあるという。
普段は存在しないそれらは、ストレスを感じた草の中で瞬時に生成され、放出される。人や場合によって、ストレスが溜まったときに起こる変調が異なるように、砂散る草も数あるストレス原因の現象のひとつ。たとえ同じ場所、同じ草であっても、同じ現象が確認できるかは分からないのだという。
だが、もしその現象が砂散る草のものだとしたら、ちょっと後始末しておいたほうがいいことがある……と、友達の父は語ったそうだ。
めったに見られないものだから、お前も来るか? と友達も誘われる。もとより夏休みで時間もあるしと、二つ返事で引き受けたそうな。
翌日。
まだ暑さが支配し始める前の朝早くに、友達と父親は一緒に例の現場へ向かった。
この際、あらかじめ用意していたのが綿棒。それも友達が昨日、砂を吹きつけられた肌や耳の中などを、いったんこすったものを複数本。
「もし、草の吐いた砂だった場合は、面白い現象がみられるかもしれん。必要なことでもあるがな」と父親。
現地へ到着すると、友達と父親は用意した綿棒を、「川」の字をいくつも並べるような格好で、田んぼよりの歩道へ並べていく。
風はなかったものの、二人はその三方を囲むようにしてかがみこみ、風よけの壁となる。並べられた綿棒たちは、その先端に砂たちをくっつけたまま、しばらくそうしていたのだけど。
数分後。
並べたうちの一本が、ころりとわずかに転がったかと思うと、その先端に新しく砂が追加されたんだ。友達も父親も、それが自分たちのカバーしていない田んぼ側から高速で飛翔した、ごく小さい砂の塊のためだというのはかろうじて理解できた。
それほどまでに、スピードが速かったらしいんだよ。そして、一度始まると動きは一気に勢いづいた。
並べた綿棒たちが、次々に右へ左へ転がり出す。いずれも、飛んでくる砂粒を身で受けているからだ。砂たちも、飛ぶ姿こそ剛速球だが、綿棒へくっつく瞬間にはとてつもない制動力や慣性制御力を働かせるのか、綿棒を弾き飛ばしたりはしない。
「こいつらは磁石のS極とN極というか、動物の帰巣本能というか……戻ってきたがるんだよ。またひとつになりたがるんだよ。永久の家出じゃあなくて、少し息抜きに出かけてくる、そんな人間臭い一面かもしれない。
ただ、おのれでは帰りきれないやつもいるからな。こうして目印を用意してやるんだ。」
やがてそれぞれの綿棒の先へ、わたあめのごとく砂たちが巨体を成す。あのとき、自分の半身と自転車に被害を与えるくらいなら、これほどはあるだろうな……と友達が思い始めたとき、綿棒たちの動きはおさまった。
しばらく彼らが動かないのを見ると、父親はそれらの綿棒の先を近くの田んぼの水にひたして、戻してやる。
これはいわば苗たちの「調子」を戻してやることにもなり、きっと秋の実りもよくなるだろうと話していたようだ。




