浜辺の椅子 (ホラー/★★)
つぶらや。海を見ながら、たそがれてんのか。
この季節はサーファーも数が少ないからなあ。寄せて返す波をじっくり眺めるくらいしかないだろ。
俺は文章を書いたりしないからピンとこないが、こうしている今でも、お前の頭の中には何かアイデアが湧いてんのか?
文筆家ってさ、はたから見ると、不思議な存在なんだぜ。
なんていうかさ、作っている間だけ「文筆家」って奴?
ほれ、他の仕事だと、物を組み立てたり、営業したり、掃除をしたりとか、やることは違っても、どれも労働って感じだろ。
文筆家の取材ってのはそうじゃねえ。いくら題材を体の内に取り込んでも、外に出ないうちは、活動をしてるっていわねえんじゃねえかな、と俺は思う。
文筆家は練習にせよ、本番にせよ、書き記すことでしか、活動を見せられない。それだけに極めた時には、人智を越えた何かが宿るのかもな。
でも、何をもってして、極めたといえるのか。そもそも自分には才能があるのか。
その、絶対に知り得ない情報を知るすべが、実はあったっていうぜ。興味はないか?
ちょうど海にまつわる話だ。つぶらやのネタになるかも知れないな。
海水浴がブームになっていたころ。客足が伸びるにしたがって、海には様々なゴミが溜まっていった。
小さいものや大きいもの、果てには海に流れ込んで生態系を混乱させてしまいかねない危険なものまでが、海浜に溢れていた時代。その物体は姿を現すことになる。
それは一脚の椅子。背もたれとひじ掛けのついた、ダイニングチェアだったんだ。
ある朝。波打ち際にその椅子は放置されていた。
誰かが捨てたのか、どこからか流れ着いてきたのかは分からない。しかし、目立った損傷は見当たらないことから、前者である可能性が高かったんだ。
最初に椅子を見つけた、当時、高校生の少年は、友達の見ている前で、面白半分にその椅子に座ってみたんだってよ。
すると、どうだろう。さっきまでゲラゲラ笑っていた少年は急に真顔になって言ったんだ。今日からサッカー部に入る、てな。
周りは驚いた。少年は食わず嫌いで今までスポーツをしてこなかった男。しかも、彼の高校はサッカーの強豪校。ズブの素人がついていくには、きつすぎる環境だった。
だが、彼はサッカー部に入り、厳しいトレーニングや部内の紅白試合で結果を残して、一年後にはチームの主戦力となっていた。運と才能に恵まれたとしか言いようのない姿だったんだ。
本人いわく、あの椅子に座った時、自分に備わっている何かが分かった気がした。それに素直に従っただけなんだと。
さすがに一年の時間が過ぎていることもあり、少年が座った椅子は、その海岸には、もう存在していなかった。
だが時折、情報が飛び交うのさ。海岸でその椅子に座ったことで、自分の才能を開花させたという連中によってな。
しかし、誰かが占有しようとする前に、椅子はこつぜんと姿を消してしまうんだと。そして、いずこかの海岸にひょっこりと姿を現す。
まるで「バスビーズチェア」のアナザーバージョンだな。
バスビーズチェアの伝説は知っているな? 別名「デッドマンズチェア」。これに腰かけた奴は、逃れられない死の運命を負うことになる椅子。
今まで六十人以上の犠牲者を出していて、今は博物館の天井に吊るし、誰も座れない状態にして展示されているのだと。
自分の隠された才能を示してくれる椅子。素直に受け止められる奴ならいいけれど、そうでない奴にとっては、たまったものじゃないだろうな。
下手すりゃ、結果を信じて、長年続けていたことに、「才能がない」っていう太鼓判が押されかねない危険があるんだぜ。
好みと才能。椅子に座った連中も、この二つの相克があったんじゃないか、と俺は思うんだ。
つぶらやはどうするよ。
お前が続けている執筆。
多くの人に伝えたいと言っていた執筆。
それが実は大成せず、お前の人生を棒に振るだけのものだと分かっても、書くことはできるか。
成功者となるべく、椅子の提示した才能に、素直に飛びつくことはできそうか。
実際に座ってみなくちゃ分からない? この野郎。かっこつけて逃げるつもりかよ。
けれど、残念ながらここ何年も、椅子の目撃情報はない。
最後に座ったという女の子の情報ならあるがな。
その女の子。とてつもなく優秀だったという話だぜ。
文武両道、才色兼備を地でいくような子で、称賛と愛情、嫉妬や憎悪といった数々の感情の的になっていたという話だ。
そして、友達と一緒に海水浴に来た際に、たまたま例の椅子を見つけたんだとよ。
友達は進んで彼女を座らせた。噂が本当なのだとしたら、彼女の本当の才能が明らかにされる。色々と複雑な感情があったのは、想像に難くないな。
彼女も噂を知っているだけに、ノリノリで座ったらしいんだ。
ところが、事態は予想外の結末を迎えることになる。
座っていた彼女の顔はみるみる青ざめていったんだ。そして椅子から立ち上がると
「私は壊れていたんだ! かえらなくちゃ!」
そう叫んで、椅子を抱え込み、全速力で走り去っていったんだ。
家ではなくて、波が手招く、海の底に向かってな。




