せきごしょう
返し、とは人の世に広く知られた礼儀だと思う。
自分がされたのだから、相手にしてあげる。自分がしたのだから、相手にしてもらえる。
期待していることをおおやけにすると、「なんだ、がめついやつ」と思われがちだが、一種の精神安定装置なのだろう。
施したからには見返りがあるという、因果応報な精神。もし、自分が削られるばかりで、消えていってしまうなんて想像したら、たちまち歩みがのろくなってしまいそうだ。
めぐりめぐって良い目がある、いや、あってほしいと思うことをそう非難できるものだろうかね?
相手が人間同士だったら、まだやりやすいかもね。
その気になれば、相手の好みや性格そのほかもろもろを研究し、ご機嫌をとりにかかることもたやすいほうだろう。
ゆえに、人間同士でないとなると、何をどう返したらいいものかね……。私が友達から聞いた「返し」についての話があるんだが、聞いてみないか?
友達の地元には「せきごしょう」と呼ばれる、あやかしのたぐいが存在すると聞く。
ひらがなで語られるものだが、あえて字を当てるとすると「隻語尚」が有力らしい。
この隻語尚、普段の人の生活の中へ溶け込んでいて、一見すると区別がつかない相手だ。しかし、誰かとすれ違うときにぼそりと、あいさつをするのだという。
このあいさつというのが、人間社会で適用されているものばかりとは限らないのがくせ者。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」「やあ」「おっす」と来るなら、けっこう運がいいほうらしい。
とき、にひとりごととしか思えないひとことを漏らすことがあり、ややもすればスルーしてしまいそうにもなる。
しかし、隻語尚は「返し」を重んじる存在。自分のちょっとしたひとこと、すなわち「隻語」にも相応の返事がされることを望んでいる。
もし、ほかの人間相手にされるように、自分のことを無視されたと察すると、よからぬことをやらかすとされているんだ。
友達もこれまでの人生で一度だけ、隻語尚に出会ったことがあるという。
それは高校時代の部活の遠征帰り。電車に乗っていたときのことだったそうだ。
行きこそみんなで示し合わせ、集まって一緒に行動したものの、帰りは現地での解散。おのおのが好き勝手に帰路へつく。
友達も最初は何人か仲間がいるも、乗り換えや家の位置の関係でじょじょに降りる人が出てきて、最寄り駅近くでは自分ひとりとなっていた。
車内の客はまばら。どかりと荷物ごと座席に腰をおろして久しく、不規則な電車の揺れが疲労と一緒に、友達を眠りの世界へいざなう。
しかし、もう到着まで数駅ほどで、時間もせいぜい10分かそこら。へたに身を任せると、寝過ごしからのよけいな面倒を食いかねない。ここはガマン、ガマン……と、うっかり閉じかけようとするまぶたと格闘しながら、うっつらうっつらしていたところ。
「あけのーつ……はばほーる……」
消え入りそうに小さい声が、同じく消え入りそうな友達の意識の泉に、ぽたりと垂れた。
ほんの小さな一滴だったが、たちまち泉全体へ染めもののように広がりきって、いっぺんに意識を「起き」へと引き上げられる奇妙な心地がした。
なにが起きたか分からず、さえ切った目で左右を見やるも、いるのは自分のように座席へ腰かける面々ばかり。くわえて、間もなく到着する駅の名を告げるアナウンスが、余計な考えを許さない。
あのちょっとしたやり取りで、すでに時間は過ぎ去り、もう友達が降りる駅となっていたからだ。
ひとり駅を降りる友達は、定期券を通そうとして自動改札に阻まれる。
二、三度通しても同じで、首をかしげながら駅員のいる窓口へ行くと、乗車する駅の情報が入っていないのだという。
急いで改札を通り抜けることがあると、つい起きる可能性はあること。しかし今回は友達と一緒に、ちんたらと通したから平気と思ったのだけど……と、手続きを済ませて定期券を受け取ったとき。
「あけのーつ……はばほーる……」
あの小声を、友達はまた聞いた。声音も、あのとき聞いたのと同じ小さいものだ。
顔をあげるも、いるのは駅員さんばかり。いきなり顔を見てくる友達に対し「?」といわんばかりの、いぶかしげな顔を見せる。
気のせい、なのか……? 友達は改札を後にすると、そのまま駐輪場へ。いつも使っている自転車へまたがり、家へと急いだのだそうだ。
が、その途上でも、友達はしばしば声をかけられる。
「あけのーつ……はばほーる……」
とまっているとき、漕いでいるとき。およそ自分のそばや隣に誰もいられないようなタイミングでも、かの小声は確かに聞こえた。
隻語尚じゃあないかと思い至れたのは、後での話。このときの友達は疲れからへんてこな幻聴が聞こえているのだと思い、もう早く帰りたい気持ちでいっぱいだったとか。
そして家までもうじきというところまできた交差点。
「あけのーつ……はばほーる!」
これまでの小声から打って変わったでかさで、あたりの物音をいっぺんにかき消してしまうほど。
目の前が青信号ということもあり、友達は「うるせえ!」と返しながら全速力で自転車のペダルを漕ぎ、車道へ飛び出した。
それが走ってきた大型トラックの前へ、無防備に身をさらすことであったこと。ド派手な転倒と全身のすり傷とを引き換えに、間一髪で交通事故を免れたことは、その直後のことだったらしい。
その場に居合わせた者は、口をそろえていう。
トラックこそが青信号で通ろうとしたところ、友達が赤信号を前に勢いよく飛び出していったのだと。
自分だけ、目の前の信号が青に見えていた。それは錯覚とは思えない鮮明な色だったと友達は振り返る。
あまりに無視される隻語尚が、これから自分にゆっくり聞いてもらうべく画策したことなのか……友達はそう考えることがあるそうな。




