伝え真似
こーらくんは、物まねとか自信ある人かい?
私は全然だなあ。小さい頃は、まわりのみんなの声とかしぐさを真似てみたけれど、誰だかに「全然似てねえ」といわれて、すさまじくショックを覚えてね。
発した本人としてはどれくらいの気持ちでいったか分からないが、いやはや、心にどれだけ刺さるかというのは、個人差が大きいね。
このことがあってから、私は物まね関連をぴたりと行わなくなった。今もこのときのことを思い出して、心がしんどくなるからだ。自分としてはふざけてやっているつもりはなかった、というのもでかかったのだろう。
そうやって、自分で行うのは嫌になってしまった私だが、人がやるのを見るぶんには気楽でよかった。
なまじっか否定をまともに受けたからこそ、「自分にはできない。あいつにはできる」を嫉妬なく受け入れられる素地ができたのかもな。
そして、ときにはそれが商売や娯楽以外にも意味を発揮するときがある、というのも知ることができた。
私の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?
私の父が野球のナイター好きでね。試合のある日はしばしば球場へ足を運んでいて、私もそれに付き合わされていた。
母も仕事があって忙しく、普段から家にいるのは私だけだったからねえ。父なりに野球観戦は貴重なコミュニケーションのきっかけであったのかもしれない。
私としては何度もみていて、野球そのもののルールなどは覚えた。が、特にひいきのチームや選手がいるわけでもなく、熱心に応援をする父親の横でもくもく球場の特製カレーやらからあげとかを食べるのが楽しみだった。
健康志向な我が家では味付けが薄く、食べ盛りにはいささか物足りない風味。だから外出先で食べるご飯は大半が濃い味付けで満足のいくものが多い、というのもお出かけに付き合う理由のひとつだったんだ。
残念ながら、球場で繰り広げられた熱戦だとか、観戦席の様子だとかは今回の重要ポイントではない。省かせていただく。
問題はその帰り道。
我が家は球場から駅ひとつ分を歩く程度の距離。おおよそ2、3キロほどだろうか。試合終わりとなると駅のホームはごった返し、よく使われる路線を有することもあって、車両もすし詰め状態だ。
わずか一駅とはいえ、この窮屈さも加味したらコスパはいいなんてとても言えない。ゆえに私たちは歩いて帰るのが通例だった。
できる限り明るい道を通るよう心掛けるが、どうしても何か所かは暗がりを通らざるを得ない。そこには犬を飼っている家も何軒かあり、だしぬけに吠えられたこともある。
いくら父が一緒でも、いきなりだと心臓に悪い。どうか吠えられませんように……と祈りつつ、いくつかあるポイントをくぐりぬけ、家まで一直線というところまでくる。
ほっ、と胸をなで下ろしかけたが、とたんに父がぎゅっと私の手を握ってきた。
「痛い!」と思わず漏らす私だが、父は先ほどまでの陽気な戦勝気分はどこへやら。真剣な顔で虚空をにらんでいた。「静かに」といわんばかりに、口元へ指をあてながらね。
コォウ……コォウ……コォウ……。
かなたから聞こえてきたその音を、あえて言語化したらこのようなものだろうか。
機械的なきしみが8割がただが、残り2割に生き物を思わせるなまなましい色あいが混じっている。
何かしらのフィルターを通じ、無理やり声を出しているような印象を覚えたね。それがおかしく思えて、つい吹き出しかけたけど、そこをぴしゃりと父に叩かれた。
叩かれた口を押さえている間に、父は次のアクションにかかっている。
右手をグーに、左手をパーにしてくっつけ合わせると、そのグーの先端を口へあてがったんだ。
コォウ……コォウ……コォウ……。
はた目には、ほぼ口を塞いでしまうかっこうで、いささかも声を漏らせそうな形じゃない。
けれども、父はそこから確かに音を出したんだ。あの響いてきているものと、うり二つの音を。
おふざけなんかではなかった。わずか数秒の発声で父の真剣な表情には、脂汗がにじんでいたのだから。息詰まり、鬼気迫るという気配を、私は子供ながらに心で感じ取ることができたのだ。
奇妙な声のやりとりは、家に帰り着くまでの間で、実に5往復は続いた。
3往復目などは、特に音が大きく聞こえるとともに、私の鼓膜の奥が直にぶっ叩かれたように、いつまでも長鳴りをして耳を塞いでしまったほどだ。
極端な風味を味わうと舌がしばらくバカになるが、このときは耳がバカになった。
コォウ……コォウ……コォウ……。
あらゆる音が聞こえなくなり、永遠にこの音を聞かねばならないのか……と漠然とした不安を覚えるほどだったよ。ほんの数十秒の間で、これまでの人生の中で指を折るほどの大きさ。
先の野球観戦の声援とは別物だ。音に波がなく、ずっと垂れ流されているようで、怖かった。
それも父が口から手を離した5往復目に、ぴたりとやんだ。自宅の玄関を開ける音が、はっきりと聞こえるようになったんだ。
つつっと、頬を伝ったのは涙だった。知らぬ間に泣いていたらしかった。
父に尋ねたが、どうやらはっきり存在を告げるのははばかられる、「よからぬもの」とだけ教えてくれた。
あいつらは黙っていると、ずけずけとこちらの領域へ入ってきてこちらを支配せんとしてくる。私の聴覚がつぶされたことなど、氷山の一角に過ぎない。むしろ、幸運なほうであったと。
だからああして、否定する言葉を伝えて離れていってもらう必要があるのだと。
私ものちのち教えてもらったが、いまだ披露したことはない。むやみやたらに使うと、かえって連中を引き寄せるから、控えるべきとね。




