桃色決戦
あ、先輩、ちょっとほっぺた赤くありませんか?
先輩の肌はすぐ染まりやすいですからねえ。はたで見ていると、よく分かりますよそのあたり。熱とかあるんじゃないですか?
――大丈夫? 本当ですかねえ。
まあ、先輩がいうなら、それはそうと置いておいて。
赤くなること、というのは異常を知らせるうえでも、分かりやすいサインじゃないですか?
赤とは熱の表現にぴったり。発熱も身体に熱を帯びさせることで、入ってきた病原菌との戦いを有利に進めるフィールドづくりになるようですよ。なんでも、発熱した状態だと免疫機能が活発に動き出すとかで。
とはいえ、これは短期決戦仕様。長引けば体そのものへもダメージが残るため、のちに薬や病院のお世話になってしまうかもしれない、危うい手段でもあります。
色の変化に関する注意ごとは様々にありますが、そこにひとつ付け加えてみませんか?
壊れた桃色に関するお話を。
手あかがついた、という表現は今でもときおり使われると思います。
使い古されて、陳腐化されてしまっているもの、という具合に。優れたものというのは、多くの人にどんどん真似をされて、その新鮮さを損なっていってしまう。ややもすればパクリの仲間入りです。
垢というのは、更新され続けることによってついていくもの。しかし、いったんついたものでも時間が経てば、自然とぽろぽろ落ちていく。マイナーであったり、古すぎるものであったりと、いまやほとんどの人が気にかけない領域にこそ美味しいネタがあるかもしれませんね。
その垢がついたものたちに、注意を払ったほうがいいのではないか、という経験が私にはあります。
はさみとホチキス。私が幼稚園時代に購入してから、ずっと使い続けてきた品なんですよ。道具箱の片隅、あるいは筆箱の中へ放り込みまして。
単純な年数でいうなら10年以上はおつとめしているでしょうか。様々なものにもまれたおかげで、汚れがこびりついていました。
私、誰かが使う可能性のあるものはきれいに保つんですけれど、この2つに関しては絶対にほかの人へ貸すことはしなかったんで。ずっとそのまま使い続けていたんです。
しかし、これら二つもいよいよおおっぴらなお役を御免になるときがきました。
はさみは刃が噛んで開く動作一回分にそれなりの力を求められ、ホチキスはいったん打てばつまりかけるし、まともに芯を通すことさえもまれになってしまいました。
愛でカバーしていくのさえも、やや重荷になってしまった彼らはそこから長く、私の自室のペン立ての隅っこで立ち尽くすことになります。
完全に寝かせはしません。私的な使い道に限るなら、彼らの出番もなくはないですし、処分へ踏み切るには、長い時間をともにしてきた名残があります。
彼らは私とともにいたときよりもずっと緩やかな、まさにスローライフな余生を送っていたのだと思いますが。
ある日。
封筒の封を切るためにはさみを使おうとした私は、ペン立てを見てふと首をかしげました。
愛用のはさみの持ち手は、深い青色をしています。多少汚れようとも、色そのものが覆い隠されるほどのことはなく、私にとっては物心ついたときから見慣れたものでした。
それがいま、桃色に変わっている。まわりのペンたちは暗めな色のボディばかりでしたから、ひときわ目立つたたずまいなわけです。
もちろん、私自身が塗ったなどということはありません。となると、原因不明なこの状態、みだりに使う気にはなりません。
家にある別のはさみを使い、私は封筒の中身を見ます。それがちょっと火急の用だと分かったものですから、はさみの異変のことはすぐに頭から抜けてしまったんですね。
しかし、その用を済ませて戻ってきたとき、私は新たに気が付いてしまいます。
例のはさみばかりじゃありません。まわりのペンたちへ桃色が飛び火していたんです。
ぽつぽつと、それは穂先を湿らせた絵筆で、無造作にしぶきを飛ばしたかのよう。大小入り乱れる水玉模様が、頼んだわけでもなくペンたちをデコレーションしていたんです。
さすがに、驚きましたね。彼らは湿らせたハンカチなどでぬぐっても、わずかなにじみすら見せませんでした。あたかも、はるか昔からここにいるのだといわんばかりの頑固ぶり。
もしや、と私はホチキスの様子も見に行きます。
はさみと比べると、家の中では出番の少なめなホチキス。はさみとは別のペン立てに入れておいたのですが、予想していた通りにホチキスもまた汚れていました。
持ち手はもちろん、針を補充する金具部分もすべてが桃色。
こちらもやはりそばにいる同僚の筆記具たちも同じような斑点を浮かばせていて、ただならぬ様子でした。
鳥肌が立つのを感じる私は、これまでの愛着が一気に怖さへ変わって、衝動的に彼らを処分しようとしました。つかんだ端からゴミ箱へ放り込んでいく、シンプルな方法で。
でも、彼らのほうが早かったんです。
私が手を伸ばしかけるや、彼らは指の先でパン、パンとはじけていったんです。
ホチキスははじけるように分解されて部品たちが宙を舞い、汚れたペンたちもまた内側から爆ぜて、中のインクたちが飛び出るのを私は見ました。
しかし、彼らは家の中を汚すことはなかったのです。空中をいくわずかな時間で、彼らは磁石が備わっているかのようにおのずと引き合い、粘着力を持ったナメクジか何かのように形と重さをもって、じゅうたんに着地。
その黒々とした体を見せながら、思いもよらない速さでささっと走り、家具の間へ逃げて行ってしまったのです。
粉々になったホチキスたちの姿が、先の光景が幻でなかったことを物語ります。はさみのもとへ戻ったときも、ほぼ同様の状態でしたよ。
はさみもペンたちも、あの桃色に汚れた面々はいずれも元の形を保ってはいなかったんです。
桃色に変じた彼らの姿。
それは本来の自分のかっこうから抜け出すための、前段階だったのかもしれませんね。




