母時
お~、こーらくん、すまない。待たせたかな?
待ち合わせ時間そのものには、間に合ったと思うのだがねえ。いやあ、まさかオンタイムになるとは思わなんだ。公共交通機関、頼りにしているが、あてにしすぎもよくないかねえ。
遅刻の原因、というと世の中でよく考えられる言い訳のひとつなんじゃないかと思う。
人間、プラスのことはそうそう信じないが、マイナスなことはおもしろいくらいに信じがちだからなあ。
横断歩道で渡り損ねてはねられそうになったおばあさんを助けていたら、遅刻しましたなんていうより、シンプルに寝坊しましたという自分に落ち度があるかのような物言いのほうが信じられるというもの。
人を自分よりすんばらしいやつだと思いたくない……多かれ少なかれそのような気持ちがあって、想像の中だけでも人を自分と同等か、それ以上におとしめたくなるのかもしれない。真にリスペクトできたり、愛したりできる相手じゃない限りね。
本当の理由。そいつは下手におおっぴらにすることなく、胸のうちにしまっておくのがいいかもしれないな。自分を誤解させて、相手も不幸に巻き込んでしまうよりもね。
とはいえ、ときには胸のうちにあるものを、誰かに吐き出したくなるときがあるのも事実。ちょうどここにはこーらくんがいるしな。
聞いてみないか? いまこのときじゃない、昔の私の遅刻なりかけの原因を。
遅刻とはつまり、約束された時間に間に合わないこと。
どのような理由があったとて、待っている者が理解できるのは「間に合わなかった」の一事であり、気をもむこともあれば、猛烈に腹を立てることもあろう。
時間は有限なんだ。なにもチャンス的な意味合いばかりじゃなく、その人が生きていられる時間は限られていて、しかもいつ終わるか分からないのだから。
いくつもある可能性のうち、約束されたことを果たすことを選び、それでいて果たされないわけだから、その損失はでかい。もし他のことをしていたなら、その結果が自分にも世界にも大きな影響を与えたかもしれないのだから。
中学生あたりで、ものをいろいろ考える時分になると、こうも小難しいことをこねりたくもなるものさ。
それでも毎日を楽しく過ごせていたし、この日もゆとりをもって起きたつもりだったよ。
友達とちょっと遠くの街まで足を伸ばし、映画を観る予定だったんだ。上映時間は決まっているし、友達の時間ももらっているわけだし、これは遅れるわけにはいかない。
現に1時間ほどはゆとりを持てるくらいに身支度を済ませたし、悠々と出かけようとしたのだけど、このとき母親に注意されたんだよ。
「今日は『母時』だから、気を付けていきなさい」とね。
ぼじ? とはなんだろうと、母に尋ねると「あらゆるものが休む時間」といわれたよ。
この世にいるあらゆるものは、ふとしたときに母のもとへ連れていかれる。そのときに癒せる限りを癒してもらうために。
もし、母時が存在しないのであれば、この世のものはもっと早くに傷み、壊れてしまっているのだという。それは動物、人間にもあてはまること。
この世が大きく乱れることないように、微細な部分がローテーションで母のもとへいっては帰ってくる。その時間はブツによって多少の差があるようだ。
母時の察知にも、個人差があるとのこと。母の場合は、今日起きてからずっと眼輪筋がぴくぴくと、勝手に動いて仕方ないらしく、これが母時の訪れなのだと。
「あくまで世界単位でたいしたことが起きないようにする機能。個人レベルじゃ大きなけがになることもあるから、注意しなさい」
ほんとは、外に出ないほうがいいんだけどね……と付け足す母をしり目に、私は玄関を出る。母時などという得体のしれないもので、約束をたがえるわけにはいかない。
そう思っていたのだけど。
走り始めてから数分後。
私はひとりでチャリに乗ってから、久しく体験していなかった転倒をする。
握っているハンドルがね。唐突に消えてしまったんだよ。手放し運転はできなくもなかったが、自分がその気のないときにやられたら、たまったものじゃない。
私はつんのめりながら、自転車から投げ出されるようにころけたが、当の自転車は意外なほど真っすぐしばらく走り、やがては横倒しになった。
けれども、そこにはちゃんとハンドルが備わっていたんだよ。
こんなことがあっては、のんきに運転していられない。
私は自転車を押しながら先を急ぐも、そのところどころで、自転車はトラブルを起こしては、すぐさま直っていく。
タイヤが消えたり、チェーンが外れたりと、自転車にとって致命的なトラブルが起きるたび、自転車もろとも体勢を崩しかける私。しかし、気づいた時にはもう、元通りになっていてバランスを崩した原因は跡形もなくなっている。
おっかなびっくりになるから、スピードも出せない。予定していた時間よりもだいぶかかってしまうも、まだなんとかなる……とこのときはゆとりがあったのだけど。
通り道にある、大きいマンションの前へ差し掛かった時だ。
突然、両足の感覚がなくなって、またも私は倒れてしまう。見てはいないが、あれはおそらく足の先が「母時」に連れていかれたんだろうな。支えが完全に失われた。
そうして転んだかと思うと、今度は視界が一瞬暗くなってね。眼を閉じたわけでもないから、最初は眼が「母時」に連れていかれたのかと思ったけれど、おそらくは違った。
視界が戻る直前、陶器が割れる音が私の顔のすぐ下の方からしてね。視界が戻ったとき、自分のあごのすぐ下に、割れた鉢植えの鉢と土がこんもりと山になっていたのを見たんだ。
のちに、このマンションの一室。私の真上に位置するベランダから落ちたものだと判明する。
このときはもう時間のゆとりがなくて、この場を後にしてね。どうにか約束に間に合ったというわけだ。
おそらくあのときの私は、顔全体が母時にいっていた。そこへあの鉢植えの落下が重なったんだ。
奇跡的なタイミングで、私はあの鉢植えを母時にいくことでかわしていたのだろう。




