穴満たし
大事件のきっかけは、往々にして小さいきっかけである。そうは思わないかい?
並々たたえられた浴槽の水も、栓をぽんと抜くだけでたちまちのうちに流れ出し、空っぽになってしまう。全体で見たらとっても小さい穴なのに、すべてを変えてしまうに十分な力を持っているわけだ。
蟻の一穴とはいうが、そのようなきっかけは私たちの身近にもあるかもしれない。
一地点からの距離ばかりじゃない。ふと立ち寄ったところ、足が向いてしまったところ、そこの何気ないものがキーとなることもあるわけだ。
残念ながら、それらの実情を知っている人は少ない。ゴミや背景として、特に注意することなく接する場合も多々あるだろう。そうして、なにかあったときに対症療法していくよりない……。
君にはそのような経験はあるかな? 僕は大昔に一度、どうやらやばいことをしてしまったらしい、と思ったことがある。そのときのこと、聞いてみないかい?
あれは夏休み終わり際の朝のことだった。
早朝のラジオ体操もいよいよ最終日を迎え、体操後にみんなで公園のゴミ拾いをすることになった。
今でもラジオ体操の習慣、続いているのかなあ? 体操の始まる時間になると、みんなで近所の公園に集まってさ。スタンプカードにはんこを押してもらっていくの。できれば続いていってほしいけど、時代はどう動いていくことやら。
ともあれ、集まった全員で軍手とゴミ袋、ゴミをつかむようのトングを手に公園の各所へ散って、ゴミ拾いを始める。
僕はというと、皆が担当しない一角の茂みを分け入り、中へ巧妙にねじ込まれている、ティッシュやコンビニのビニール袋とかを回収していたのだけど。
その中に、古いきんちゃく袋のような形をしたものが混ざっていたんだ。手のひらに収まるほどの大きさのそれは紫の生地に包まれ、口を縛るひもはすっかり茶色く変色してしまっている。生地そのものも、端々がほつれていて相当時間が経っていると思わしき傷み具合だったよ。
この手のもの、うかつにゴミに捨てると良からぬことが起こりそうな気がしないかい? 神社とかでもらうお守りとかとそっくりなデザインだし。
僕はそっとそれをどけるにとどめたのだけど、その下に隠れていた空き缶は見逃すことはできなかった。
350ミリ缶は、その口を先のきんちゃく袋に隠される形で、わずかに地面へ埋まり固定されている。十中八九、誰かのイタズラだろう。
僕はトングの先を開き、缶をがっちりとホールド。なかば潰すほどの力を込めながら、地面から引き抜いた。
この手のものは、外気に触れている部分のほうが傷んでいそうなものだけど、この缶はその逆。地面に埋まっていた部分は、土をそのままこびりつけたんじゃないかと思うくらい汚れ、元の肌などすっかり隠されてしまっている。
それはサビだったんだ。しかも、あの特徴的な臭いを周囲へ強く発する、真新しいもののように見受けられ、僕は顔をしかめながらゴミ袋の中へそれを放り込んだ。
分別はみんなが集めた後で行われていく。いまはゴミを拾いきることが大事と、他のものを集めていく僕だけど、例のきんちゃく袋はそのままにしておいたんだ。
しかし、異変はすぐにやってきた。
僕は予備や行先に合わせて、何足か靴を用意していて、ラジオ体操用に履く靴とほかの外出で使う靴も別にしていたんだ。
その靴が見当たらない。靴箱には入れず、玄関に並べておいたはず。ラジオ体操に出かける前は、確かにその姿を確認していたのに。
母にも尋ねたが、靴はいじっていないという。一番可能性がありそうなのは彼女だし、それが否となればほかの家族も同様だろう。
どこに行ったのかと、玄関まわりを探してみても、家じゅうを引っ掻き回しても靴は見つかることがなかった。人を疑いたくはないが……自分こそ、靴になにかしたわけではないとはっきりしているから、余計にもやもやする。
結局、その日は諦めて床についたのだけど……これで終わりじゃない。
僕の靴は、日を追うごとにどんどん数を減らしていった。
頻繁に履くものから、めったに履かないものまで。僕のものばかりに限ってだ。
くわえて、僕は靴下を脱ぐときに痛みを感じるようになる。
原因は両足首にできた傷だ。最初は靴下が締め付けたような痕が残るだけだったが、日に日にその強さは増していき、ついには皮膚が破れて血がにじむようになってくる。
幸い、今のところすぐにかさぶたができるレベルにとどまっているも、いっこうに治ろうとする気配が見られなかったんだ。
どれだけ、関係があるか分からなかったけど、僕は母にこれまでのことを話す。母もまた僕の靴が急激になくなってきたことは知っているし、あの日のときから思い出せる限りのことを僕に尋ねてきた。
そこで、公園でのごみ拾いでの一件に思い当たったんだよ。
二人して公園へ向かい、あのきんちゃく袋を拾ったしげみへ向かったんだけど、そのしげみを分けたとたん。
どっと、僕の両足首から靴下ごしにたちまちにじむほどの出血、それに伴う痛みがあってうずくまってしまう。
そのうえで見たのは、変わらず脇へのけられたままの、あのきんちゃく袋。そして缶がうずまっていた穴にうずまる、僕の靴の一足だった。
穴をすっかり埋め尽くし、一部が土の上に突き出ている状態だったが、抜き取るのはかなわない。
手を伸ばしただけで、両足首がどくりと大きく脈動。さらに痛みを発しながら、血があふれ出た。確かめると、足首をぐるりと取り巻くように血が出ていたばかりか、深い切り傷になっていたんだよ。
――これじゃあ、足が切り離される!
となると、できることは缶が埋まっていたときの、あの状態へ戻すこと。
きんちゃく袋をとって、突き出た靴の一部を隠すように重ねると血はぴたりと止まった。
とはいえ、傷はまだそのままでしばらく治療に力を入れることになったし、靴たちはずっとあのままだ。おそらく缶の埋まっていたところと同じく、錆びのような茶色にまみれているだろう。
僕はいったん、あれから逃れたことになるかもしれないが、また誰かがあれをいじらないのを願うばかりだよ。




