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青い狼

 青い狼、と聞くとモンゴル人の祖とされる伝説の獣とされるらしい。

 すでに日本では狼が絶滅して久しい。仮に生きていたとしても、我々がお目にかかれるところに都合よく現れるとは考え難いな。もしそうなら、大々的にしらされているはずだ。

 地球の中では、深海がまだまだ未知の領域とされているが、陸地でも秘境や洞窟の奥深くなど、いまだ探検家の人たちによって切り開かれていると聞くね。

 ゆえに私たちの身近にもあるかもしれないね。知られざる未踏の地が。


 ――そんなもん、あるわけない?


 本当にそうかな?

 たとえ垣根やブロック塀を隔てた隣の家の敷地だって、親交がなければそうそう入ることはあるまい。その隅から隅までを、君は把握できているというのか?

 その隣で何が起こっているのか……これもまた、想像するのは難しい話になるかもしれない。

 私が以前に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?


 青い狼の話を出したが、それは実際に私が目にしたものでもある。

 あれは数年前、久々にまとまった休みをとることができ、実家へ戻ったときのことだ。

 最寄りの駅まで来て、家に着くまで車で数十分。帰ってくるたび、ちょくちょく変わっている風景を間違い探ししながら、それでも変わらぬ我が家が目に映ると、ほっとするものだ。

 家の中も、私が毎日暮らしていたときと比べると、ところどころ装いを新たにしているものの、根っこは変わっていない。

 庭に面する縁側。そこと室内を区切っていたかつての障子戸は、今はガラスに置き換えられているものの、私の楽しみは今も昔も同じ。

 日向ぼっこだ。じかに浴びるのではなく、ガラスなどのフィルターを通したものでも大歓迎だ。そこにごろりと横になるための毛布などが用意されていれば、なおよし。

 このときも、すでに毛布を自前で用意している。さっそく窓のそばへ敷き、横になるや大あくび。うとうととまどろみながら、庭の景色を眺めていたのだけど。


 その見慣れた畑景色の中を、さっと歩いて横切っていったものがある。

 それが青い狼だったんだ。実物には出会っていないが、そのかっこうは図鑑で見たものとそっくりだったんだよ。さすがに青いものは載っていなかったのだけどね。

 はじめはぼんやりしていたから、反応が遅れてしまった。身を起こしたときにはすでに、狼は庭を覆う柵を飛び越して、隣家の敷地内へ入っていってしまっていたんだ。

 庭を覆う柵はさほど高くなく、大人だったら注意してまたぐことができてしまうほど。獣にとってはさほど難しいことではない。私は起き出して、縁側下に並んでいるサンダルのひとつをつっかけて、現場へ向かってみる。


 足跡らしきものはかすかについているものの、そのくぼみの中にあの毛色を構成していた青色の気配はまったくない。どうやら、どこかのペンキ塗りたてベンチで、遊びまわったあげくにここへやってきた線は違うようだ。

 隣家のほうを見やる。柵よりも高い生け垣が立ち、よじ登らなくては向こうへ行けない。当然、大人の身では不法侵入となるだろう。

 そうなると、あの狼はあれからどこへ向かったのか。

 気になる私は、自宅の2階へあがってみる。ベランダからなら垣根の向こうの隣家の様子も見られるから、軌跡が追えるかもと思ったんだ。

 とはいえ、この家の庭でも足跡を見るのがせいぜいな存在。このような遠目で見やったところで、成果に関しては望み薄かもしれなかった。


 垣根の向こう側は、こちらの庭とは打って変わった芝生が広がっている。

 何年か前、ここに住んでいるご夫妻に新しく子供が生まれたとのことで、遊び道具のひとつと思しき小さめのゴムプールが、芝生の上に置かれていたよ。

 子供でも溺れる心配がないほどの、小さく浅いつくりだ。あの中に狼が隠れられようはずもない。かといって、あとは家屋以外にさえぎるもののない庭の中では、やはりどこも丸見えといったところ。


 ――すでに、どこかへ行ってしまっているか?


 そう思いつつ、私はふと空を仰ぎ見て、首を傾げてしまった。


 日向ぼっこができるほどの、いい陽気だ。空にはほとんど雲がなく、水色に近い光が頭上に広がっていた。

 その中に一点、より藍に近い色の濃い青がうずくまっていたんだ。

 空全体で見たら、それこそ一粒の砂程度の小さいものだが、私ははっきりと目に留まったよ。

 先ほど、庭を横切っていった青い狼。その毛色とうり二つの色合いをしていたからだ。


 よもや、と思う間にその空の点が消え失せる。

 まるで水色の部分が壁であるといわんばかりに、濃い青色が少し糸を引いたかと思うと、真下へ垂れ落ちていったんだ。

 その先にあるのは、くだんのプール……そこへ、あやまたず入り込んだかと思うと、次の瞬間にはプールのふちをよじ登ってくる、あの青い狼の姿があったんだ。

 あっけにとられる私の存在を知ってか知らずか。狼は私のほうを一度も見やることがないまま、隣家の庭を横断し垣根も越えていってしまう。

 その身のこなしは猫やカエルの飛び跳ねを思わせて、ひとっとびで垣根の向こうへ消えていってしまったんだ。


 あとで親に聞いてみると、あのプールの存在はしっていたが、普段はしまっているのだという。

 隣家の人たちにはあの青い狼の出が分かっていたのだろうか? ならば、なぜ用意をしていたのか?

 疑問がつきないところだよ。

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