みだりにみだれ
なぜ、こんなものがこんなところに?
長い人生を生きてきて、そう疑問に思う場面は誰でも多かれ少なかれ、あるんじゃないだろうか?
小説と違い、現実を神の視点で見ることかなわない我々の目には、突発的な事故や現象は、天運によるものとしか思えない。そう思わなくては、やっていけないほどつらいことが混じることもあるからだろう。
それでも、ときには法に則った正しい裁きの場を設けるため、あるいは再発を防止する策を練るため、はたまた個人的な納得を得たいがため。人は調査なり探求なりで、その内容を探ろうとする。
予想通りの範疇で終わることもあれば、そうでないこともある。もし踏み込んでいたなら、どのようなことが待っていただろうか?
歳を重ねると、そうした「やらなかった」ことが増えてちょっぴり振り返りたくなるときもある。後悔さえあるかもしれない、人生の思い出だろう。
私もやらなかったことはいくつもあるが、中には気が向いて、「やった」こともある。それが先にいった「なんで、こんなところに」なわけだ。
そのときの話、聞いてみないか?
あれは私が10歳くらいのときだっただろうか。
その日の夕飯は私の大好物の生春巻きで、何本食べたか分からないほど。葉ものをそこそこに、エビと春雨とチリソースをたっぷり入れこむのが、私のジャスティスでね。
それまでの10年間有数の幸せをかみしめながら、すでに敷いてある自室の布団でゴロンとした。
うとうともし始める。食べてすぐ眠気に襲われるのは、最近だと血糖値スパイクの危険がどうといわれるが、心の気持ちよさは何物にも代えがたいものだ。
そうして、夢へ踏み入る半歩手前あたり。
布団のすぐ横、網戸一枚のみを隔てた窓の外をぼんやり眺めていると、ふわりと白い粒がやわらかく横切っていった。
雪だろうか? と最初は思ったね。
春に差し掛かろうという時期なのに、雪が降ったこともあったからねえ、あの年は。よもや、またかと思って寝ぼけまなこを無理やり起こした。
最初の粒はすでに見えなくなってしまったけれど、そこからまばらに第二波、第三波と粒が続き、舞っていく。
――しょっぱなから、やたら大きな粒ばっかりだなあ。こりゃあ、また積もったりするのかな?
そうのんきに眺められたのは、まだ起きたつもりでも、完全に目覚めきっていない五感だったゆえかもしれない。
やや遅れてやってきた第四波は、これまでよりもいっそう、窓際へ近づいてきた。
その窓に「くしゃ、くしゃ」とぶつかる音を聞いて、耳を疑ったよ。とても雪の粒がかもすようなものじゃなかったからね。
もっと質量のあるもので、しかもこの音は日常でよく聞く音のひとつ。広げた紙を丸めていったり、どこかへぶつけていったりしたとき、耳にするものとそっくりだったんだ。
眠気もようやく完全に飛ぶ。そのまま窓へよると、取り付けられたベランダにも、同じように散りとなった紙の粒が何片か。
――いやいや、なんでここで紙吹雪が起こるねん?
ここは家の二階。それなり高い位置から紙を巻いている奴がいるのは間違いないが、先ほどから網戸から入ってくる風はない。
さっと外へ腕を出しても、横なぎに吹いて来るべき風を感じなかったんだ。
風もないのに、自然と通り過ぎていかんとする紙粒たち……それをいくつか見送っているうちに、私は気づいたんだ。
文字らしきものが、書いてある。
はじめは単なる黒ずみに思えていたそれが、一定の空白や曲線を交えながら構成されているのを、私は見て取ったんだ。
ベランダにいまだ転がっている紙片。そのうちのひとつを私はつまみ上げる。
爪の先ほどしかない大きさなのに、大絶賛掃除に参加中のぞうきんと言わんばかりに、身をよじりによじっている。
くりくりとそれをいじり、広げた紙片もやはり指先へかろうじて乗っかる程度だったけれど、そこには「く」に似た曲線がいっぱいに描かれていたんだ。
ふと、背後の遠くから犬の遠吠えが聞こえたような気がして、振り返る私。
このあたりに犬を飼っていた家なんてあったかなあ、と思いつつ、夜の闇の中で散歩したりする奴もいるだろうかなどと見やる。
それでも、いないのを確かめると紙片の謎に再びとっかかった。手近な一枚をまた広げてみる。
すると、先ほどの「く」を点対称にしたような図形が書かれていた。
そいつはちょうど、先ほどの紙と隣り合わせると、ぴっちり曲線の端と橋が重なるようで。
同時に、私はまた犬の声を聞く。
先ほどよりも、ずっと近い。というか、聞き間違いでなければ背後のベランダの柵近辺にいるような気がしたんだ。
振り返った。いない。
ただ、先ほどと同じ、夜の景色が広がっているだけだ。視覚的には。
でも聴覚は違う。私の耳は荒っぽい犬のものと思しき吐息が、しきりに鼓膜を震わせて来るのを感じていた。
なにか、やばいんじゃないかと、部屋の中へ戻ろうとしたとき、両手の指に痛みが走ったんだ。
振り返って、わかった。
先の二つに広げた紙が閉じ合わさって、ちょうどそこに触れていた両手の親指たちを挟んでいたんだ。
紙の合わせ目からは、とくとくと私の血がたれ落ちていて、あわてて家の壁にたたきつけるかたちで紙を引きはがしたよ。親指たちには、まるで犬歯を突き立てられたような、深い刺し傷ができていたんだ。
その日はもう、紙たちには触れまいと思ったし、一晩経ったらやつらもすっかりいなくなっていたよ。
それからしばらくたって、シュレッダーをはじめて使ったときに出てくる紙の成れの果てを見て、ふとこのときのことを思い出したよ。
きっと、あの吠え声の主にとって、あの紙は何かしらシュレッダーのような処分をせねばならないものだったのだろう。
それを私が無理につなげてみようとしたから、怒りのままに警告してきたのだろうとね。




