ひろウサギ
現代とは、常に最新の歴史である。
学生時代の恩師が、話してくれた言葉だ。我々のいる今日からみれば、昨日のことはすでに歴史であり、変えようのないこと。
ひいては、こうしている今も一秒前はすでに歴史になっている。我々は前に進むばかりで、あとへ戻ろうといくら力を尽くしても、1分1秒すらさかのぼることはできない。
テストの問題についても、時間内に解けきれなかった一問。その合否によって命運が分かれる可能性も、なきにしもあらずだ。そうして決まった歴史を我々は歩いて行かなくてはならない。
困ったことに、我々は自分が踏みしめている足元を完全には把握できていない。
数年、数十年前のことはなんとかひねり出せても、それより前のことは? 歴史書などをたどっても、それが果たして本当のことを語っているかはわからない。いまこのときの歴史の知識、常識さえも更新を繰り返しているからね。
ならば、それぞれが自身で味わったことこそが、歴史の真実となっていくのだろうな。たとえ大勢に知られることでなくても、だ。
私も昔に体験した話、つぶらやくんのネタにならないかとまとめてきたよ。聞いてみないかい?
子供のときは、外で遊んで転んでなんぼ、という考えは今も強いんじゃないかな?
個々人の気質があるとはいえ、子供時代の運動はそのまま生育に直結しやすい。体力増強の意味合いも大きいだろう。
あらゆる分野において、体力はあるに越したことはない、とは大人の大半が認めるところじゃないだろうか。他者より長くコンディションを良好に保ち、活動時間も確保できるとなればそのアドバンテージはでかい。
とはいえ、子供時代はそのような細かいことは知らず、気にせず、楽しい時間を過ごすことができれば、それで構わない。
その時間には、けがが勲章扱いされちゃうほど身近なものなんだ。
私もすり傷のたぐいはよくこさえたものだけど、その日の膝小僧のケガはよく血が出たものだ。
遊び場が公園だったから、水飲み場兼流しでよく水洗いしたんだけど、少し水から話した途端、禿げた皮膚からじわじわ、じわじわ赤いものがにじんできてしまう。
ガーゼのたぐいを貼るにしても、私はこの手の出血は一時的にでも止まない限りは、次へ進まないというポリシーがあった。
遅かれ早かれ汚れてしまうことを避けられないガーゼたちでも、せめて最初は良い環境を用意してやりたい。つい、そう考えてしまうわけだ。
結局、血が少しおとなしくなるまで10分以上はそうしていたと思う。赤いものが引っ込んでいるその間隙を縫って、私はさっと絆創膏を取り出す。
やつぎはやに3枚。横、横、横と並べて傷をすっかり覆い隠した。ひとまずはこれで安心……と思ったのだけど。
いざ折っていた足を伸ばして立ち上がったとき。「ずるり」と膝のあたりから、何かがはがれる気配がしたんだ。
そうだな。たとえるなら靴下がずり下がる感じ、といったところか。無視しようにも違和感のほうが微妙に勝る、嫌なあんばいだった。
私の靴下は、そこまで長くない。膝を見下ろすも、絆創膏がはがれたり、その下から血が漏れ出したり……ということもない。
変な感じだな、とその日は公園を後にしたのだけど。
そこからしばらく、例の公園では妙な噂が流れた。
あそこでコケると、血が止まらなくなるってね。特に子供などは。
わざとつけたものだとそうはならないらしく、本気でこけたものだけらしいが、たとえ膝小僧だろうが、手のひらだろうが、おでこだろうがダラダラと血が出て、いくら冷やそうと、ぬぐおうと、水で濡らそうとも後から後からにじみ出てくるのだそうだ。
この噂を奇妙たらしめているのは、その対処法。
公園の敷地より外へ出ると、出血はやがてぴたりと止まってしまうのだとか。そして公園の敷地内へ戻ると、思い出したように血が出始めるのだとか。
呪いの公園だ、とささやかれるのに、それほど時間はかからなかったなあ。
遊び場のひとつをほぼつぶされるとなると、私としては面白くない。
どうにかならないものかと、家族に相談してみたところ、意外にも腰をあげたのは祖母だったんだ。
「『ひろウサギ』が目を覚ましたかもしれないねえ」と。
ひろウサギとは何か、と聞くと、この地域にかつてあったという「守株」の話をされたよ。
待ちぼうけの歌などで語られる守株の話は、君も知っているだろう? たまたま切り株にぶつかって、命を落としたウサギがいるのを見て、二羽目がやってこないかと待ち続けた結果、二羽目はあらわれずに待っていたものは多くのものを犠牲にしてしまった……というふうな笑い話だ。
今回、重要なのは前半の、切り株にぶつかって命を落としたウサギの話。
どうやら、ずっと昔に実際に起こったことらしいのだけど、その最期は穏やかなものじゃなかったらしく。
切り株に残っていた枝が、ウサギの急所をつらぬいてしまったらしく、そこから漏れ出る体液がしとどに地面を濡らして、ひどい有様だったのだと。それ以来、あそこで血の出るけがをすると、ウサギが自分のなくしてしまった血を求めて、絶えないように望み始めるのだと。
「あんたの転びがきっかけになったかもしれないねえ。そうなると、ウサギにこれは良くないよと伝えないとねえ」
そういい、私に協力を要請してくる祖母。彼女は部屋の押入れへしまっていた絵具一式を手に取ると公園へ向かったんだ。私もそれについていく。
あれ以来、公園に足を運んでいなかったが、いざたどり着いてみるとほぼかさぶたが張ったしたから、血がにじみ出すから恐ろしいものだ。
祖母はそれを確かめると、年季の入ったパレットに私の血を数滴乗せ、ラベルに何も書かれていない赤い絵の具を混ぜ合わせ始めた。
あのとき漂った、味噌を思わせる香りはいまだ忘れることができないねえ。明らかにただの絵具じゃあなかった。
それと私の血が存分に混じりあった赤を、今度は祖母がとぽとぽと地面に垂らしていく。
すると、あとからあとからにじんできた私の血がぴたりと止まってしまう。
それを見て「ひろウサギ」の嫌気がさしたのだろう、と祖母は告げたよ。またあいつの機嫌が損なわれたり、たまたま目を覚ましたりしないうちは大丈夫だろう、と。
呪われた公園のレッテルもはがれていくも、思い出はどうしても過去のものとして残る。
祖母とその世代が、例の対策をどれだけ伝えているか知らないが、ひっそりと継がれていくのだろうな。




