とねり橋
ホウホウ、ホウホウ……。
この鳴き声を聞いたなら、多くの人はフクロウを思い浮かべるんじゃないかと思う。
アオハズクの鳴き声が実際のところ……とされることは多いけれど、イメージって強力なものだとつくづく感じるよ。
海と聞いたら青を浮かべ、土と聞いたら茶色を浮かべる。葉っぱと聞いたら、緑と無難に考える人は多いだろうけど、季節が秋なり冬なりしたら、赤や黄色や茶色を考えるときだってあるかもね。
そこにつけこむことができるなら、案外そこへ紛れ込むのは簡単なのかもしれない。
思い込みというか、心理的盲点というか、人は目を向けていたとしても、それを情報として受け入れない、処理しない部分がある。
先のイメージに関しても、これはこういうものと決めつけたなら深追いはせず、別の大事だと思われることへ意識を移すだろう。
しかし、それがためにもっと重大なことを見逃すことだってままある。僕たちの世界は、それに気づけるごく一部の人によって、ようやく支えられているところもあるかもね。
僕もふとした拍子に、それらしいものに出くわしたことがあるんだ。そのときの話、聞いてみないかい?
学区内にある歩道橋が、しばらく利用を控えるように言われたのは、小学3年生の時だったなあ。
そうだなあ……仮に「とねり橋」と称しておこうか。
とねり橋は最寄りの駅舎から、スクランブル交差点の上を通る形に、四方へ手足を広げるようなペデストリアンデッキの体裁をとっている。一つの通路を行き来する歩道橋のイメージとはちょっと遠いかもねえ。
けれど、学校でしらされたとねり橋の事故は、人が橋から落ちて車にはねられた……という流れとしては、少々妙なところがあったらしい。
運転中、上から落ちてくる人やものに、とっさに反応しろというのは難しいだろう。
しかし、歩道橋に寄っていくまでは、前方に視野が広がっている。歩道橋を行き来する人の姿が見えるはず。
ところが運転手はどうやら自分が現場に着くまでの間で、とねり橋を誰も渡っていなかったと強く証言しているんだ。
被害者の意識はまだ戻っておらず、詳しい話はいまだ聞けずにいるようだが、もし運転手のいうことを全面的に考えるなら、被害者は突然、虚空にあらわれて道路に身を横たえたことになるわけだ。
あいにく、先生たちへ禁じられるまでもなく、とねり橋周辺は警察関係者の皆さんによる交通整理が行われていて、容易に近づける様子じゃなかった。この地域じゃ滅多にない交通事故だったのもでかいのだろう。
そうなると、僕たちは勝手に想像をふくらませ始める。
運転手さんの言う通りならば、被害者を瞬く間に移動させるような、瞬間移動の熟達者の仕業だろう。
いうなれば、テレポマンだろうか。
一度信じ込むと、疑うことをほとんど知らないのが若さというもの。
僕たちは興味本位でテレポマンに出会いたいからと、やたら外を出歩くようになった。ところどころ、テレポマンの名前を呼びながら歩くこともしたっけなあ。
テレポマンなんて勝手な呼び名、仮に該当する者がいたって認知できるわけがないのに、ここのあたりも子供ならではの傲慢さというか。相手が自分に合わせてくれて、当たり前だろと思っていたんだな。
しかし、当然ながらテレポマンに出会うことなどできようはずもなく、日数が過ぎていった。
被害者の人がどうなったか、ということについて続報はなかった……ということは、つまりそういうことなのだろう……さすがに、これにああだこうだと自分勝手をいうつもりはなかったさ。
やがて、とねり橋も通行が再開されて利用者の数もまた回復していく。
なんだかんだ、ペデストリアンデッキの性質上、一定の利便性があるのは確かだしな。
通学路にも含まれているところだし、僕たちまわりでもとねり橋を利用する子も多い。
その日もまた、とねり橋を使う子と途中まで一緒に帰り、いよいよ別れるというところまで来た。
僕はそのまま歩道を行き、彼はとねり橋の上を歩く形だ。
しばらく並走し、やがては別方向へ分かれていくんだけど……あの、事故があった道路の真上あたりまで来たときだ。
たまたま橋を見ていて、確認することができた。突然、道路上へかかる橋が消えてしまったんだよ。
ぱっと、一瞬じゃあなかった。身を寄せ合っていた蝶が一気に飛び立つように、無数の破片が浮かび上がったかと思うと、橋はたちまち姿をかき消し、友達を落としたかと思うと、また蝶たちが戻って元の橋へ形を戻してしまったんだ。
その間、おそらく1秒も経っていないと思う。他に通行人のいないタイミングだったし、とねり橋の一件で注意を向けていない人は、見間違いか何かで済ませてしまうだろう。
でも、確かに友達は橋へ飲み込まれてしまったし、道路の向こうからは車も走ってきている。ちょうど、歩道橋の下をくぐっていく形だ。
あの友達が通り、消えてしまったところの下を……。
子供の無鉄砲さは、ありがたいものだ。
僕は車道へ降り立ってダッシュ。そのまま走ってくる車の前へ両手を広げて仁王立ちしたんだ。車を無理やり停めるためにね。
案の定、乗用車は僕の前で停まり、文句を言わんとするドライバーの人が窓を開けて顔をのぞかせたとき。
その背後に、友達が落ちてきて路上へ倒れこんだんだよ。
友達に聞いたけれど、あのときのことはほとんどよく分からなかったらしい。
ただ足元の感覚が急にうすれ、しばし目の前が真っ暗になった後、車道へ投げ出されてしまったことくらいしか、ね。
けれど、おかげで確信が持てた。
テレポマンなどいない。その代わり、とねり橋そのものが本当に「橋」と呼べるか怪しいとね。
その日を境に、僕はとねり橋を意地でも使わないようにしている。




