のぼり階段の果て
おおっと、つぶらやくん、大丈夫か?
すごいタイミングで、足を踏み外しかけたなあ。止めなかったら転ぶか、足をひねっているところだ。なにかあったのかい?
――くだり際で、もう一段階段があるような気がしていた?
ああ、ときどきあるやつかあ。
実際はどうあれ、自分が思い込んでいると体重のかけ方とか間違えるからなあ。あれ、思い込みってかなり大きいらしいねえ。
人間、身構えるかどうかで被害がまるで変わってくる、とはしばしば耳にすることだ。自分で思っている以上に、身体がこれから起こりえることに備えて十分な覚悟を固めていくものだ。
肩透かしに終わるなら、普段から悩み絶えない仕事にさらされている、脳みそや心などは助かるかもしれないが、身体などは想定以上に疲労を覚えるのだそうだ。
体中の栄養、ホルモンなどなどをたぎらせて待ち受けるだろうしなあ。時間の長短に関係なく負担がかかるだろう。
それらのエネルギー、余計に消耗してしまったと考える人は多いと思う。骨を折ることなぞ、ないことのほうがいいだろうしね。
しかし、発散したエネルギーは我々が気づいていないところで、固まっているかもしれない。それらに触れることがあったならば、思わぬ体験をすることがあるかもしれないね。
私の昔の話なのだけど、耳に入れてみないかい?
私は小さいころ、ある夢をよく見ていた。
満月を背景に見るその空き地は、家からやや遠いものの、私たちが昼間遊び場にしているところだった。
奥にピラミッド型に積まれた土管がある以外は、ちょっとした野球ができるくらいの広々とした空間があって、時間を潰すには持ってこいだ。
その空間がいま、青白い月光に照らされて昼間のように明るく浮かび上がっている。
夢の中で私は、その空き地へ立っている。
いうことは聞かないし、夢を見ているときはろくに抗うこともできず、動きを受け入れるよりなかった。
土管とは真反対の、空き地の入り口近く。そこで夢の私は大きく足を振り上げたかと思うと、ゆっくりおろしていく。前へ進むにしては、大仰すぎる動きだ。
まるで足元を確かめるかのように、ゆっくりゆっくりおろされる足。その足の裏がいよいよ地面に着くかと思ったとき。
ぴたりと止まった。地面の上、10センチくらいのところで。
夢の中だというのに、ここではまるで霜柱を潰したような、痛いほどの冷たさが刺さったのを、いまでも覚えているよ。
そこに足をかけたまま、私はもう一歩。やはり大きく足を振り上げながら、そっとおろしていき、また先ほどよりも10センチほど高い位置で止まる。
空中に浮く階段。そこを私は登っていくかと思ったのだけど……そのときは、ここまでだった。
もう一歩を踏み出し、おろしていったときにふと足元がぐらついたかと思うと、真っ逆さまに落ちる私。そこではっと目が覚めたんだ。
崖とか高いところから落ちる夢、君は見たことあるかい? あれと同じような感じさ。
あれって「落ちる!」と思ったときには目が覚めるからねえ。体中が冷や汗をかいていたし、相当緊張していたんだろう。
このときはただ、妙で怖い夢を見たな……程度の認識だったんだけどね。このときから私は足を何度も踏み外しそうになる。
ちょうど先ほどのつぶらやくんのように、まだあるつもりの階段がふっと消えてしまってね。あると思ったものにはしごを外され続ける……そのような気持ち悪さがあったんだ。
周りの人にとっちゃ、私が不注意しただけにしか見えないだろうし、これはこれで厳しいものがあったよ。精神的にね。
その後、夢の中で私がのぼる階段の段数が増えていったんだ。
踏み外し一階につき、一段ずつね。
最初は13階段かと思い、恐怖していた。13段をのぼりきったとたんに、命が終わるんじゃないかとね。
けれど13段を越えても、私は引き続き階段をのぼり続けていたんだ。まだ空き地の半ばほどの上空であったけれど、起きてから胸をなでおろしたね。
しかし、現実で私はなおも階段を踏み外すことを続け、それに連動して夢の中で私ののぼる階段の数は増加を続けていく。
結局、どうなったのかって。
当初の私の予想は半分はずれだったけれど、半分は当たっていたんだ……残念なことに。
何十段も積み重ねた階段の先は、とある一軒家の二階へ続いていたんだ。夢の中の私は空中の階段に足を乗せたまま、窓の中から部屋を見やる。
真っ白い布団へ横になった、禿頭のご老人がいた。あとで知ったのだが、祖父の古くからの友人であったらしい。
その人の寝姿をしばし見やった後、夢から覚めた私はなんとも奇妙な心地になってね。朝の食卓を囲んだとき、家族へ尋ねてみて祖父から聞いたんだよ。
そして……その日の午後に亡くなられたことが伝わってきたのさ。
あの階段、私自身ではなく、かの人を導くために設けられたのかもしれない。私はあのとき、縁起でもないが虫のしらせ役、死神の代行をさせられたんだろうかね。昼間に行き場を失ったエネルギーを糧とする形で、ね。




