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広がる夜空

 つぶらやくんは、最近夜空を見ているかい?

 いや~、夜遅くまで仕事が続くと、なかなかゆとりが持てないよねえ。

 昼間の仕事の心残り、持ち帰った仕事の心配、明日の仕事の不安……なんでもかんでも付きまとって、とにかく一分一秒でも休みたいという願望が勝る。

 それを無理やりかなえたからといって、気が楽になることもなく。結局は解消されない積み重ねの中へ埋もれていくことになる……しんどくなりきるまえに、素敵なもので癒されるといいのだけどね。

 夜空を眺めるのも、そのなぐさめのひとつになるだろうけど、実際にエンジンがかからないとやる気が起きないのは、万人共通。子供のころとか、何も背負うものがないときは、エンジンがかかったという自覚すらなく、気楽に取り組めたものだよねえ。

 ああ、別に今から夜空を見ようと誘うわけじゃないよ。

 ネタの提供。今のつぶらやくんには、こちらのほうがてきめんに効くだろう?

 ま、夜が更けきるまでの暇つぶしみたいな感覚でさ。ちょいと私の話を聞いてみないか?


 季節によって、見られる星座が異なることは君も知っていよう。

 太陽を中心に回っているため、我らが地球から同じ時刻に見ることのできる星はどんどんと変わっていくわけだ。

 夏の夜空に輝く星々も、冬には昼間に空へのぼり、太陽の強い光によってその身体を隠されてしまう。でも、確かにそこに存在はしているのさ。

 目で見えないものは、果たしてそこに存在しているといえるのか? 星でなくともいろいろ考えてしまう案件ではあるが、私がこれから話すのは目に見えているもののことだ。


 夏休みのことだった。

 その日は月が出ておらず、まわりの家もこぞって早い時間から明かりを消しているためか、少し夜空が見えやすい気がしていた。

 さそり座のアンタレスが、赤く煌々と光っていたのを手掛かりにして夏の星座たちを視界に描いていく私。小さいころは今ひとつ関心が持てなかったのだが、星座の背景になる神話・昔話のたぐいが興味深くてね。

 その話にまつわる形で星を見るようになると興味がわいてくる。アンタレスはかのオリオンを葬ったサソリの心臓にあたる部分とされ、それが夜空にのぼっている間は冬の星座のオリオン座は姿を見せない。

 オリオンがさそりを恐れるようになったからだ、とまことしやかにささやかれ、かといってサソリも完全無敵とはいいがたく。背後からいて座に心臓を狙われている……とね。


 そうして思いを巡らせながら、家のベランダより夜空を眺めていたんだが、ふと目線を落として気が付く。

 家の前の道路をはさんで向かいの家の屋根にひとつ、座り込んでいる人影があった。

 切妻屋根のてっぺん、アンテナのわきに腰をかけて、夜空を眺めているようだが手に本のようなものを持って、広げている。

 私が目を見張ったのは、その影が腰かける家には老夫婦が住んでいるのみで、あのような子供はいなかったはず、という点。あの子がどこやらか、あの家の敷地に不法侵入して、悠々と腰かけているという状態になるからだ。


 泥棒のたぐいなんだろうか、と思うとうかつに注意したりするのも危ない気がして、私はすぐ家の中へ退避できる位置をキープしつつ、その子供の様子をうかがう。

 完全に目を離すのも、それはそれで怖い。得体のしれない相手なんだ、ちょっとよそ見をして、戻したときにはすぐ目の前にいる……なんてやられた日には、寿命が縮みそうだし。

 されど、その子がこちらを見やる様子はまったくなく。先ほどからじっと空を見上げるポーズをとり続けていたんだ。先ほどまでの私と同じようにね。

 そこへふいに。


 ぎいこん、ぱたん。


 まるで年季の入った機織り機がかもすような、木のきしみによく似た音とともに、その子が広げていた本のページを一枚めくる。

 と、次にまばたきした瞬間には、屋根の上からその子の姿が消えていたんだ。何度目をしばたたかせても、そこにはもう現れない。

 想像通りか!? と家の中を見回し、私のもとへ現れたのではないかと見やったけれど、それはなし。もちろん、外を出歩くあの子のような影もなし。

 狐に化かされたかのような心地だった。けれどもあの「ぎいこん、ぱたん」の特徴的な響きは、深く耳に刻まれてしまったよ。

 それから普段の生活の中、あれに似たような音をかもしそうな場所へ赴いたり、道具を扱ったりもしてみたが、完全な再現はかなわず。

 やがて時間は過ぎて、冬場を迎えることになった。


 あの子のことをかすかに考えながらも、また私は家から夜空を見上げるようにしていたよ。

 その日も月はなく、周囲の家々の明かりも乏しい日。おおいぬ座の青白いシリウスを起点に、僕はまた冬の星座たちを空に描いていく。

 ベテルギウスを目にし、そこからリゲルと三ツ星を見出してオリオン座に。冬の空ではよく目立つ星座のひとつだろう。


 ――オリオンは、さそりに刺されたから冬にしか出てこないんだよなあ。


 夏にも考えたことをこちらでも想像しながら、なおもほかの星たちへ思いをはせていったのだけど。


 ぎいこん、ばたん。

 忘れられない、あの音がまた耳へ飛び込んできた。しかも、記憶にあるよりもずっと近くから。

 さっと仰ぎ見ると、ベランダにかぶさるトタン屋根のうえ。透けて見える私の頭上で、トタン越しに座り込んでいる影があった。

 あの子だ、と息を詰まらせるものの、視界の端に映る夜空から飛び込む赤い光が、私の注意を引く。つい、とそちらへ顔を向けた。


 アンタレスが。夏の夜空がそこにあったんだ。

 先ほどまであった冬の大三角形は消えうせ、私の眼はすぐさま夏の大三角形を構築しに走ってしまう。

 そんな馬鹿なと思ったよ。すでにこのとき、冬場は夏の星座たちは昼間にのぼっていると知っていたからね。けれど、先ほどまで見ていた冬の空は消え、肝心のオリオンだって影も形もないほどの逃げ足を発揮してしまっている。

「はあ?」とつい、とぼけた声を漏らしちゃったよ。当時、スマホとかがあればこの奇妙な景色を撮影とかしていたのかなあ。しかし、ただただ自分の網膜に映る景色を、どうにか理論的に理解しようと頭が急速回転しだすと。


 ぎいこん、ばたん。

 またあの音がするや、空にはぱっとシリウス、ベテルギウス、リゲルたち冬の星たちが登場。アンタレスたちは瞬く間に、消滅してしまった。

 トタン屋根を見上げる。あのうずくまっていた子供の影も、なくなっていたんだ。ただあのきしみに似た奇妙な音は、新鮮さを更新されてまた私の耳へ刻まれることになったよ。

 あの子の見せたしぐさと、それによって響く音。ひょっとしたら、この夜空たちをアルバムにとじているんじゃないか、と私は思った。

 そうして自分が見たいと思うとき、本来の夜空にかぶせてあのような景色を広げるんじゃないか、とね。

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