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燃えつくす身

 ふ~ん、御恩と奉公の関係が成り立たなくなったことで、鎌倉幕府崩壊のきっかけがひとつ生まれた、と。

 土地をごほうびに与えるって、わかりやすいけど限りがあるのもすぐ分かるのが難点だよねえ。日本列島の面積でやりくりしなきゃいけないわけだし。

 先に持っていた人がいなくなって、空き地がどんどん増えていくならその限りじゃないだろうけど、人死にを期待するというのも不謹慎だよねえ。

 さらには分割相続で、ようやく惣領が持たせていた土地も子供たちに分けられちゃって、かえってひとりひとりの生活が苦しくなっていくと。

「犠牲なき献身こそが真の奉仕」とはナイチンゲールの言葉だったと思うけどが、自分の身を削って相手に尽くすというのは、遅かれ早かれ壊れていってしまうもの。

 僕が最近きいた昔話なんだけど、耳に入れてみない?


 むかしむかし。

 あるところに、カブトムシを助けた男の子がいたのだそうだ。

 大仰なことじゃない。路上でひっくり返り、脚をばたつかせていたのをひょいと返してやっただけだった。

 仮にカブトムシがひっくり返っていても、即座に致命的事態へ至るとは限らない。元気があるならば、自力でなんとかできてしまうことも多いんだ。逆に自分でどうにもならず、ひっくり返った状態が長引くようなら、それは死に至る予兆である、と。


 男の子も、見かけてすぐに助けたわけじゃない。

 足を止めて、しばしじっと観察していたものの、カブトムシが均衡を取り戻せる気配はなさそうで、つい手を貸してしまったのだとか。

 元のように地へ足をつけたカブトムシ。当初はかなたを向かせたカブトが、わざわざ反転。男の子へ向き直ると、頬をかすめるような軌道でびゅっと飛んで行ってしまったらしいのさ。

 あまりのすれすれ具合に、しりもちをついてしまう男の子。広々としたほうへ飛べばいいのに、恩をあだで返されたような形になってはおもしろくない。

 助けなけりゃあよかったかなあと思いつつ、陽のあるうちの用事を済ませて帰宅。

 この時期の明かりは貴重かつ、家の手伝いは早い時間より始まる。家族そろって横になって翌朝に備えたわけなのだけど。


 この夏場で、おなじみの不快な羽音が耳をうつ。

 蚊だ。

 一緒に寝る家族の中でも、一番よく刺されるのは、かの男の子だった。特に汗を人一倍かいたりして、虫を呼び寄せやすい体質ではないはず。なのに蚊たちの大半は、この夜陰に乗じて男の子へ迫ってきたらしい。

 眠りを邪魔されるうえ、暗がりの手探りでは満足に蚊は落とせない。いったん身体のどこかへ止まらせ、全霊でそこへ手を打ち下ろせば10回に2,3度くらいは効果が見られた。

 しかしたいていは外れ。蚊たちはびびって、わずかな間は離散するものの、やがてまた体勢を整えて迫りくる。

 寝入ろうとしながらも、意識の続く限りはその対応に追われ。ふと記憶が途切れて起きれば、残るはくわれた痕ばかり……。


 しかし、その晩はそうはならなかった。

 一度、男の子がしたたかに顔をうち、音がいったん止んだかと思うと、間もなく「ぱちん、ぱちん」と鞭打つような音が虚空に響きだしたんだ。

 かつて牛が尻尾で羽虫を叩いた音に似ている。けれどもここに牛はなく、男の子自身も動いてはいない。家族にも動きはなかった。

 何かが。自分以外の何かが、蚊を撃ち落としてまわっている。

 男の子は目を開いた。

 闇に沈む家の中、横たわる自分の視界のそこかしこで、ぱちん、ぱちんと音を立てて火花のごとき、小さな明かりが弾けていく。


 その光が照らすものを見て、彼は驚いた。

 カブトムシだったんだ。

 羽を広げ、滞空しながらも羽はみじんも音を立てていない。ただ、火花が散るたびにその姿がわずかな間だけ映し出される。

 カブトは頭を振り、その角が蚊に触れるたびに明かりとともに焼き落としているように彼には見えたのだそうだ。

 光の強さに対し、音はさほど大きくない。その静かな炎の中で黒い羽虫たちが次々と布団の上へ落ちていく。


 ――ひょっとして、あのわずらわしい蚊たちを倒してくれているのか? もし、昼間のカブトと同じであったなら。


 自分に恩返ししにきてくれたのかもしれない。

 その想像はおそらく、ある程度は当たっていたのだろう。けれども、その「程度」を男の子は完全に見誤っていた。


 すべての蚊が撃ち落とされるころ、闇にいくらか慣れてきた目はカブトの矮躯が高度を落とし、自分の掛布団代わりの上着へ降りてくるのを彼は確かめていた。

 このまま着地するのかな……などと、甘いものじゃなかった。

 ぱちん。

 頭も下げたカブトの角が、上着の端を引っかけてはじこうとしたんだ。

 明かりが灯り、かすかに火の粉が散った。思わず声をあげて、子供は上着の下で身体をばたつかせる。

 逃げ出すまでの間、カブトが角で引っ掻くこと5回。その間に散った火の粉たちは、ついにその身を寄せ合ってひとつの火と相成った。

 子供の悲鳴を聞いて、そばで寝ていた家族たちも次々と眼を覚ます。その間、男の子は布団を抜け出し、外へ逃げ出すも、カブトは上着から離れて執拗に彼を追い回したという。

 蛇行した男の子が、木々などを盾にするたびカブトは角を振るう仕草とともに、それらに火をともし続けていき……10か所に及んだところで力尽きて、地面に落ちていったとか。

 残した火の始末は、周囲のものたちの力も借りねばならないほど、大きなものになってしまったそうな。


 僕はね、おそらくこのカブトが恩返ししようとしたのは間違いないと思っているんだ。

 ただそれは、助けてくれた男の子本人「のみ」に用があるもので。それがたとえ上着その他のそばにあるものであっても、許しがたく思っていたんじゃないかな。

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