闇の誕生日
こーちゃんは、自分の知らない場所へどれだけ赴いたことがある?
なにも旅行先のことに限らない。身近なところでも構わないさ。
人間、生きていくうちに行動半径が広がっていく。たとえ今現在は家の中から出ない、出られないという人でも、その空間の中でまだ脚を運んでいないポイントがあるなら、そこは未知だといえるだろう。
たとえ見えたとしても、そこを知っていることになるとは限らない。実際におもむいて、はじめて知ることになり、それでいて形は人それぞれだ。
地理的には同一の場所であっても構わない。その日、そのときに出くわし、心で感じたこと。
たとえ九分九厘が同じでも、まったく同じ視野や熱意の感想を持つのは不可能、というのが私の自論。だから個々人しか生み出せないものがある、という考えにもある程度は賛成さ。
生きているうちに、たどり着ける場所には限りがある。こーちゃんはその中で印象に残っているところはあるかな?
……いきなりだと、想像しづらいかな。
じゃあ、私から。子供のころにたどり着いた不思議な場所の話をしよう。
小さいころの私は暗い場所が苦手だった。
自分が意識的に目を閉じることをのぞき、暗さに包まれることに言い知れない不安に駆られていたんだ。
暗所恐怖症のたぐいだったんだろうか。暗がりに置かれる可能性が待ち受けるだけでも、かなり怯えていたなあ。映画館をはじめとする映像を見せるための暗い空間が整うたび、盛大に泣き出して迷惑をかけていたと、親からも聞かされたよ。
少し歳を重ねると、それもいくらかマシになってきて泣き出すようなことはなくなったが、若干の苦手意識もある。
だから、学校の友達の誕生日パーティーへ招かれたとき、いざケーキのろうそくの火を消す時にはびびったし、ああもなるとは思っていなかった。
パーティーといっても、大掛かりなものを想像しちゃいけない。アパートの一室で行われるこじんまりとしたものだ。
ごく限られた友達だけが招かれて、ケーキをいただく。それも昼の間に済ませるというささやかなもの。晩には晩で家族そろってお祝いを改めてやるらしいし、ケーキもまたいただくとか。
友達にとって、公に二度ケーキを食べる機会を設ける意味合いがあるようで「よくやるなあ」と思ったものだ。
いま留守にしているおうちの人には、友達が来ることのみ伝えていて、このパーティーのことはナイショらしかった。私としては自分の家ではなかなか食べられないケーキを食する機会があるなら、それで構わない程度のノリだったよ。
が、いざホールのショートケーキにろうそくが立ち始めると、一抹の不安を覚えた。
ろうそくを消す時、きっと部屋の中を暗くすることになるだろう。そう考えただけで、身体の鳥肌が立ってくるのを感じていた。
それでもすぐ「長くてもほんの数分程度。そのあとに待つケーキの楽しみを思えば、ちょっとの我慢さ」と自分に言い聞かせ、その時を待つ。
ほどなく、ろうそくすべてに火がともされて、想像していた通りに部屋のカーテンが閉めきられる。
このバースデーの瞬間のために整えられたのか、光が差し込む可能性のある場所いずれにも遮光の手立てが施されている徹底ぶり。昼間にもかかわらずアパートの一室は、ろうそくたちの火以外は、明かりなき暗闇のふちへ沈んだ。
ぶるる、と身震いする。
あの、わずか9本のろうそくの火。あれを失えば、ここは目を閉じるのとは違う暗闇が待っていると思うと、内心では落ち着かない。でもそれをおくびにも出さず、ケーキを乗せたテーブルを集まったみんなで囲う。
誕生日を祝う歌がつむがれ、その瞬間は訪れた。
友達が吹く息により、ほのかなともしびたちは次々にその命脈を絶たれていく。
そうして、消えた火の煙が余韻として残るばかりの暗がりが支配したとき。
私は動けなくなった。いや、厳密には「思うように」動けなくなった、か。
周囲から拍手が聞こえる。他の参加者がするように、私も手を叩こうとしたものの、代わりに頭ががくんがくんと、前後に揺れるばかりだった。
ならば頭を、と意識を傾けると、今度は椅子に座ってぶらつかせている足がどんどんとその場を踏みならす。
脳からの命令と、身体の動きがてんでばらばらになっていたんだ。
まさに混乱状態とは、このようなことをいうんだろう。完全にリセットされた身体の動きの中で、私はどこをどう思えば予定通りに動かせるのか、ちくいち探していった。
この間、私は声を出すこともままならなかったが、いくらか手足は暴れていたはず。なのに、友達全員は私に何かしらの反応を見せることがなく、周囲も暗闇のまま時間ばかりが過ぎていった。
次々と、身体のあちらこちらの動かし方を確かめていく私だけど、ただ一ヶ所なかなか見つけられずにいたところがある。
左手の中指、薬指、小指。
この連動して動きがちな三本指のみ、どこへどう指令を出しても応答してくれなかったんだ。すでに力の入れ抜きだけで動かせることは皆試したはずだ。
――ひょっとして、ただ力を籠めるだけじゃなく、外から力をくわえるべきか。
押すなり、つねるなり。これは何かの力を借りなくてはできないことだ。
先ほどから周囲へ呼びかけられるようになり、幾度も声を張り上げているが返事がない。いったいみんなはどこへいったのだろう。
どうにか見つけ出した身体操作で立ち上がろうとしたおり、例の三本指が盛大な悲鳴をあげた。
強い引っ張り。いや、指の根元に熱いものを感じ、聞き間違いじゃなければプチプチと小さいものがちぎれるような音も混じっている。
増してくる痛みに「このままじゃ、指を持っていかれる!」と直感した。
なんとか動かせる右手で、先ほどの仮説通りにあらゆるところを触れていく。痛みを感じる左手の指たちは、確かにちぎれそうな圧をかけられているのに、そこへいくら右手をやっても感触はなかった。
右手で左手は救えない。
ついに指が限界を迎えるかと思ったとき、私の右手が頭のつむじをきつく押すと、左手が勝手に、圧に逆らって身体へ引き寄せられた。ここが左手の命令をきかせられるところだったんだ。
ほぼ同時に、カーテンが開かれて部屋へ明かりが差し込んでくる。そこへ照らし出されたのは部屋へ集まった面々の姿だった。その中には私とすぐ隣り合わせの子もいる。
私が動きを取り戻すまでに、相応に手足が暴れたにもかかわらず、彼らにはちっとも当たる気配がなかった。もちろん、声が届いた様子も。
幸いにも手足は余計な気をまわさずとも、これまで通りに命令を受け付けるようになっていた。だが、祝いの席に水を差してしまったのがいささか心残り。
私の右手の指三本は、ともに根元から半ばちぎれかけるように出血していて、病院沙汰になってしまったのだから。
あのとき、友達の家の一室は明らかに違うどこかになっていたと私は思う。
もし、あそこで私が身体の動かし方を見出せなければ、指のみならずどこまで持っていかれてしまっていたか、分からないな。




