夢見あるき
ほ~、今度のつぶらやくんの興味は夢の話かい?
夢はいまだ、生き物の間で謎が多い現象だよねえ。起きている間の情報の整理、というのは前から聞く、有力な説のひとつだ。
現実に体験したこと、考えたことを散らかして、また箱の中へしまい入れていくかのよう。片付けと分かっているから、本来なら並び立たないものが一緒にあっても、気に留めない。
起きて振り返れたなら、なぜあそこであのようなことしてたんだ、自分? みたいな感想はしばしばあるが、これもその整理のためだろう。
と、あくまで自己完結の範囲で語られるうちはいい。
けれども、夢をめぐる奇妙な話は枚挙にいとまがなく、歴史も長いもの。自分の記憶の整理だけでおさまらない、奇妙な体験。実は君もしたことがあるんじゃないだろうか。
私の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?
あの夢は、今でもはっきり覚えている。
私は夢の中で、広い広い草原を歩いているんだ。空を見上げても、ほぼ白のイメージが焼き付くくらい太陽の照らしが強烈でね。夢の中だというのに、強烈な熱さを覚えていたから、しばらくは夢だと気づけなかった。
夢の中の私は、足を止めることはない。だが、真っすぐに歩き続けているわけじゃなかった。
この草原、軽く上り坂を保ちながら地平線のかなたまで、緑が続いている。その中を私の足は気まぐれにあちらこちらの方角へ向かっていくんだ。
ぐるりと鈍角へカーブを切ったかと思えば、鋭角にもほどがある微妙な足先を向けたりして、先が読めない。景色はいずれへ向かっても代わり映えがなく、本当に方向転換しているかを怪しみたくなるほどだ。
しかし、停滞はない。
ずんずんと歩んでいく私は、どれくらいか進んだところで、ふと足首あたりに重みを感じ出したんだ。
見下ろそうという意思は、通じた。青いサンダルという、これまた私物としては持っていないし、草原を歩くにはいささか心もとないその履物に頼る両足。その足首部分の肌が、きつい靴下を脱いだ直後のように、赤くなっている。
それは歩みを続けていくうちに、どんどんと色合いが濃くなってきていて、同時に痛みを感じるようにもなってきて……。
最初の日は、そこで目が覚めた。
ようやく先ほどまでが夢だと、私は思い知ったんだよ。そして、あの夢の内容とくれば、気にしてしまうのは自らの状態。
私は布団から、自分の足を引っ張り出してみる。夢の中で見たような赤みはまったく見当たらず、ほっと溜息をついたよ。
夢は夢。こうして現実へ帰ってくれば、取り越し苦労に終わることを私は感謝していたし、安心のよりどころともしていた。
だが、そのときより数日おきに、私はあの草原を歩かされることになったんだ。
夢を見ている間はろくな抵抗ができず、私自身も違和感を覚えることができずにいた。
だから、話しているのはあくまで目覚めてからの印象。実際に私が体験したものとは差異があるかもしれないのは、留意してもらえると助かる。
夢の中で歩き続ける私は、どうもサンダルと同じ色をした貫頭衣一枚を身に着け、進んでいるようだった。草原はやはり広大な面積で、いくら進んでも景色が変わることがなかったよ。
ただ、振り返ってみると生き物の気配がまったくなかった。
自然の草原なら蝶をはじめとした、虫や小動物が居ついてそうなものなのに、私は夢の中でそれらを見ることは、一度たりともなかった。
私はそれらがいることこそ、ナチュラルだと思っている。そう考える当人の夢で出番がないとか、おかしいことじゃないか。
夢から目覚めたばかりのときから、私の感想は変わらなかった。そして、考える。
これは夢というより、誰かが私の脳なり心なりに入ってきているんじゃないか、とね。
そう考える根拠は、例の赤みだ。
最初は歩くたびに食い込む痛みが足首に走り、腫れを見せていた。それが夢を見る回数を重ねるたび、箇所がうつっていったんだよ。
足首からすね、すねからひざ、ひざから太もも、更にはその上のほうも。
背後から引っ張り続けられるが、夢の中の私は斜め後方へ足を向けることはあっても、180度後ろを完全に振り返ることはなかった。
夢を振り返るたび、私は次こそは後ろをと強く願うのだが、かなわないまま日数のみが過ぎていき、ついにこのときが訪れてしまう。
あの食い込みが、とうとう鼻の柱あたりまで来てしまったんだ。
これまでの食い込みの間隔からして、いよいよ次は私の両目のあたりに来そうな気がしたんだ。
これまで、現実の身体にダメージがないことは証明済みだ。だが、いつだって「次こそはまずいことになるんじゃないか」と、覚悟を固め続けてきたんだ。今回だって油断はできない。
あの夢から自力で抜け出せた試しはない。自然な覚醒を待つよりなく、その間はあの痛みが続くのだ。
わめくことも、おかしくなることもできず、ただただひたすら耐え忍ぶのみの、あの時間が。
いつ来るのか分からない。けれど、必ず来ることが分かっている。
いずれ迎える死も、また同じものなのかと私は早くもおびえを抱く羽目になったよ。
いつも見る夢の間隔よりも、幾日か遅れて。
とうとう、その時が私にもやってきてしまう。すぐにわかったよ。
なぜなら、いつも見えるはずの緑色の草原が、視界に入る二本の横線によって三分割され、一歩歩くたびに目を閉じたい衝動に駆られる、激痛を発してくるのだから。
他者の視点から見えたわけじゃない。でも、おそらくこの横線たちは糸のようなもの。それが夢の中の私の眼球に押し当てられ、歩みとともに食い込み続けていくんだ。
痛みとは不思議なものだ。
最初こそ飛び上がり、叫びまわりたくて仕方なくなる。そうして逃れられないと分かってくると、次に支配してくるのはしびれとこすり。
内々にある筋肉、神経、臓器……迫りくる侵入者を前に、ひんびんと痛みによる助けを
求めていたのが、縮こまって神妙になっていくんだ。
しかし、抵抗をやめたわけじゃなく。なおも食い込み、開拓を続けんとする者たちへ抗議のしびれを発し続けているんだ。
いつもに増して、何も考えられずに私は歩いたよ。
余計な神経を使えば痛みが増す。自分が壊れないために、痛みを感じないよう、最低限の機能以外はカットする。
ただただ、この苦しい時間が早く終わることだけ……それを信じ、どれだけ歩いたことだろう。
ふと目の前から二本線がぐるりと消えるとともに、私の身体は強制的に背後を向けさせられたよ。あれほど背後を見たいと思っていたのに、いきなりそれがかなうと呆然とするものだ。
そこに立っていたのは、額より上だけがない「私」の姿だった。
サンダル、貫頭衣、体格に至るまで同じ。その目は私をまっすぐ見てきたが、長くは続かない。
そいつもまた、ぐるりとこちらへ背を向けて、草原のかなたへ歩き出してしまったんだ。それを見送ってほどなく私もまた目が覚めたんだよ。
今回もまた、あれほど痛んだにもかかわらず、目には何も異状は見られなかった。
それ以降、あの草原を歩く夢は見ていない。
あれは夢に見せかけて、何者かが私の姿のデータを取ろうとしていたのかもしれないね。でも、目までいって何かしらのトラブルでも見つかったのだろうか。
もし、君も夢の中で目より上がない人が出てくるとしたら、その私のコピーかもしれないな。まあ、気をつけといてくれ。




