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卒業のとき

 卒業式の練習、もうつぶらやくんの学校で始まっているかい?

 学期の終わりという忙しい時期に、出席する生徒を伴って何時間分も練習しなくちゃならない。学校の先生の多忙ぶりには、つくづく頭が下がるねえ。

 とはいえ、生徒側の僕たちも僕たちでゆとりがないときはないし、互いの内情はわかりっこない。すれ違いやトラブルも生まれるわけだよ。

 先生たちにとっちゃ、毎年何度もやる行事だけど、生徒たちにとってこのとき、この学校を出るというのが一生に一度のイベント。未経験から経験済みになる、というのは不可逆の特別感がにじむよねえ。

 僕たちだって、なにもかしこまったことをしていなくても、日々「卒業」を重ねている。

 前に進むよりないから気づきづらいけれど、放り捨てられていった彼らは、どうしているんだろうねえ。


 ――ん、「彼ら」てなにか?


 またまた~。つぶらやくんなら、もうだいたい分かってそうなものだけどね。

 それでもあえて聞きたいのは、ネタが欲しいからじゃないか? 図星って顔だね。

 いいっしょ。じゃあ僕がむかしに体験した「卒業」に関する話を聞いてもらおうか。


 一日の終わりに、どっと疲れが出る。

 誰でもある、経験のひとつだろう。どこかへ腰かけたり、横になったりしたとたん、身体がごまかすのをやめて、いっぺんに疲れを受け入れ始める。その度合いも人によるけれど、記憶が定かでないくらい、たちまち眠りの世界へ誘われてしまうことだってあるだろう。

 そうして、翌日にはつらつと目覚められるのは若い間だけなのがほとんど。歳を経るごとに回復量が減っていき、体力も万全とはいいがたくなる。ほんと、若さは大切だと感じるのだけど、若い間は自分のパワーが永遠に続くと信じてしまうのだよねえ。


 僕自身、よく疲れて、よく回復するを繰り返した人間だと自負している。

 シンプルに走ることが好きかつ、みんなの中では足が速いほうだったから、徒競走の代表として選ばれることしばしばだった。

 それに伴う練習以外にも、自主的にダッシュすることが多くてさ。成長痛も重なって、しんどいときはほんとしんどかったよ。それでも病院のお世話にならなかったあたり、生来の頑丈さに感謝するしかない。

 疲れ果てると、ほんとぐっすり眠って夢も覚えていない……ていうのがほとんどなんだけどさ。それでもときどき、不思議な感覚を味わうことがあったんだ。


 目を閉じたままでも、ふと、自分に意識があると感じるときがある。君も体験があるんじゃないか? 意識してまぶたを閉じた状態でいることが。

「あら? 起きちゃったかな?」と漠然と考えながら、ふと目を開いてみる。

 そうすると、立ち上がっている自分がいるのに気づくんだ。確かに布団の中へ横になったはずなのに。

 立っているのは自分の部屋の中。暗がりではあるが、ほどなく自分の立つのが敷かれた布団の枕もとだと気づく。

 そして、見下ろしているのは目をつむって、寝入っている自分なんだ。


 幽体離脱? と最初は思った。

 けれども、よく耳にするのは天井近くのような高所から、自分を見下ろすようなもの。

 こうして実際に起きているような体勢で見下ろすケースは、当時の僕としてはあまり聞いたことのないものだった。

 床に足が触れている感触はない。はだしにもかかわらず、硬さも冷たさも感じないんだ。そして自らの意思で動くこともかなわないんだ。

 でも、まったく動かないわけじゃない。

 見下ろし続けて、しばし過ぎると、見下ろす僕はとたんに背が縮み出す。

 厳密には、足の先からどんどんと崩れ落ちていくんだ。膝を折っていくことの比喩じゃあない。文字通り、身が粉になってどんどんと高さを失っていくんだ。

 下がっていく自分の視界。それがやがて床と触れあうかどうかというところまで来て、僕の見ているものは唐突に途切れる。

 そうして次に起きた時には、布団の中で覚醒しているという運びさ。


 最初のうちは、気味悪いことと怖がっていたのだけどね。慣れというのも恐ろしいもので、何度か繰り返すうちに「またかよ」と落ち着いてこの状況を受け入れている自分がいた。

 よく動いた日に、この現象は起きやすい。だから勝手に「頑張りました現象」などと名付けて、誰にも話すことなく付き合い続けていたのだけどね。あるとき、そうもいかなくなっちゃったんだ。

 その日、枕もとに立つ自分の背が、いっとう高いことに気づいたんだ。

 ゆうに屋根を破る高さでありながら、その視界はさも屋根など存在しないかのように、屋内の僕の姿を透視していたんだ。

 何メートルもある高さの自分というはじめての経験。おののかざるを得なかったよ。そしてこれまで通り、勝手に動くことはできないときている。


 やがて、その身体が崩れ始めた。例によって足先からなのだけど、高さが違ったためなのか。

 崩れるの足だけじゃなく、だらりと下がった腕もだった。床に触れていないにしても、わずかな振動で崩れ去るほどもろくできているらしい。この幽体離脱もどきの身体は。

 でも、それをのんびり観察する余裕はなかった。

 がくん、と首が垂れたかと思うと、一瞬のためらいののち、真っ逆さまに下へ落ちていってしまったんだ。

 おそらく首がもげたのだろう。崩壊を続ける自分の身体よりも先んじて落ちていく僕の顔面はやがて真下。寝入っている僕の顔面目掛けて落ちていき……。


 ずきんと、顔に走る痛みで目が覚めた。

 あわてて起き上がって、洗面所の明かりをつけると、鏡の僕は顔全体を真っ赤にはらしていてさ。鼻血は出てるわ、気持ち歯がぐらつく感じがするわ、目のあたりはやたらひりつくわ……さんざんだったよ。

 なにかぶつかるものがあるか、というと部屋の中には見当たらない。ただ、あの見下ろす僕が落とした首以外にはね。


 のちに、僕は身体の新陳代謝のことを学んで、あの枕もとに立つ自分はたっぷり代謝を済ませて、外へ捨てられ、「卒業」していった昨日の自分じゃないかと思うようになったんだ。

 でも、永久にお別れってわけじゃなく、どこかしらに集まって、ああして大きくなったあとにまた会いにやってくる……それとぶつかると被害が出るんじゃないかと思い出したんだよ。

 それ以来、身体へ無理な疲れを強いる真似は控えるようになったんだ。

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