甘々に寄せて
罠、と聞くとあまりいい気持ちはしない人が多いんじゃないだろうか。
仕掛けるぶんには爽快だけども、仕掛けられる側としては全然おもしろくない計略だと思う。快感を覚えたがる気持ちがある限り、世の中からこの概念が消えることもなさそうだけど。
罠は突き詰めると、いかにターゲットに気づかれず、ターゲットをはめるかという一点こそが大切だ。ターゲット以外に違和感やプランが漏れてしまったとしても、ターゲットにさえ露見しなければ役目を十分に果たせるわけだ。
まあ実際には、通りすがりがターゲットとどのようなつながりがあるかは不明だからね。目撃者は片っ端から消す、となるのもむべなるかな。そうならないでいられるのは、僕たちの幸運がなせることかもしれないな。
ひとつ、僕が昔に体験した「罠」に関する話、聞いてみないか?
虫の集まる樹液、というのは自然が用意できる罠のひとつだと思う。
意識して用意しているわけでもないだろうが、うまさを欲するものにとって、避けがたいごちそうというか。性質を理解してしまった人間にとっての大きなアドバンテージというか。
虫取りにおいては、めいめいが用意したたっぷりの「ごちそう」でもって、標的を引き寄せるものだ。
僕も一時期、クワガタムシを捕まえるための甘々水作りに執心だったことがあってね。虫が活発に動き出す夏場になると、近所の公園にある木々へ砂糖水を塗りたくり、虫たちがたかるのを楽しみにしていたんだ。
おっとレシピは教えないぞ。僕が僕なりに苦労と調整を重ねて作ったものだからね。それを無償でほいほいバラせるほど、人間ができていないんで。
その夏は、異様な乾きを覚える年だったと記憶している。
のどに関してはもちろんのこと、他の水たちもぐんぐん空気の中へ溶け込んでいってしまった。地面へこぼしたアイスなども、普段ならのろのろと形を崩して、土を濡らして、ようやく天へ昇っていくところ。
それがあの年は、落ちる、溶ける、散華するまでがワンセットといわんばかりの早さ。熱したらフライパンの上でだって、ああもスムーズにいくだろうか?
そこまでのものなら、僕たちだってタダではすみそうにないのに、気温そのものは例年並みというのだからおかしなものだった。
僕のこしらえた甘々水も同じく、ドライな影響を受けまくっている。
試しに、へらでもって木へ塗ってからじっと眺めていたのだけど、一往復塗りたくっただけだと、数分も持たずに樹皮は元の乾いた姿を見せた。
ふたを開けていると、瓶の中にストックしているぶんも、どんどんかさを減らしていってしまう。その原因を、当時の僕はいぶかしく思うこともせず、シンプルな根競べへとしゃれこんじゃったよ。
つまりは、物量作戦。もう1リットルのペットボトルからあふれるかというくらいを用意して、それを使い果たさんばかりの量を一度に樹へぶちまけたわけさ。
片時でも目を離したら、次の瞬間にはすっかり甘々水はなくなっているかもしれない。
言い知れない不安が、このときの僕の胸にうずき、甘々水を塗りたくったのち、てかりさえ放つ幹の表面を僕はじっとにらみ続けていた。
これまでの量ならすっかり姿を消していただろう数分後になっても、甘々水はまだまだ健在。すると、僕の視界の端から飛び寄ってくるクワガタが一匹いた。
よく見る黒や赤褐色じゃない。その全身は葉っぱから抜け出してきたかのような、緑色をしていた。そいつは塗りたくった版図のうちのちょうど真ん中あたりへ取り付き、のんびりとそこへ居座るように思えたよ。
ひと目見て、レアものだと判断した。だらんと垂らし気味にしていた虫取り網を掴み直し、ムシの関心がよそへ移ってしまう前に……と、網を構えたまではよかった。
けれど、網を振ってクワガタを中へおさめた、と思った瞬間。
どっと、がけ崩れを起こしたかのように、甘々水を塗った一帯の樹皮がいっぺんになだれ落ちた。
そこからのぞいたのは幹の芯じゃない。「うろ」を思わせるような、深い深い穴が口を開けていたんだよ。
クワガタは樹皮の落下の時点で飛び立ち、逃げる姿勢を見せていたけれど、あいにくそこには虫取り網。遠方へ逃げるなどかなわないことだった。
かといって、網の端までには数十センチの余地があり、そこまで目いっぱい飛べば樹皮の崩落からは逃げられる……はずだったのだけど。
その穴の中。網のかかった中から、さっと飛び出たのは人が持つのとそっくりな、されども長い長い舌だったんだ。
網目に囲われた空間の端へ触れることなく、中央部を疾駆することわずか数秒。網の端へ飛び逃げていたクワガタを、その先端はしっかり触れて、引っ込んでいく。
クワガタはというと、接着剤を使われたかのようにピクリとも動けないまま、舌にひっついて連れていかれてしまった。
それだけで終わらない。
クワガタが舌もろとも連れていかれるや、網の当たっていたあたりの穴が、にわかに大きくなった。網そのものをとらえるに十分なくらいにだ。
支えとしていた幹を失い、網もまた穴の中へ連れ込まれかけて、僕はとっさに網を話したよ。あの穴の大きさは、すでに当時の僕が入り込むに十分なものだったからね。もし網をつかんだままなら、もろとも捕まっていたと思う。
手放した網をまるごと内へ取り入れると、崩れ去ったはずの樹皮がまた動き出す。
先ほどとは、まるで巻き戻し。重力にさからい、どんどんとせりあがった樹皮は、当初の僕が見たままに。けれども、丹精込めた甘々水はすっかり失せて、元の色を取り戻してしまっている。
網を木の穴に奪われたなど、誰も信じちゃくれなかった。
けれども僕は、行動が読まれるところどのような罠もあるし、口を開けて待っているものだと学んだんだよ。




