強まる鼓動
う~む、こう寒い時期になると臓器関連の発作などのニュースを、よく耳にするねえ。
私も以前に不整脈の気があるといわれたことがあってね。原因もいまひとつ分かっていないタイプのようだし、いつまたどんなことがあるかと、実のところ気が気じゃないんだ。
自分が不調を抱えたとき、何を気にするかは個人差があると思う。発作を注意し続けることもあれば、起こったら起こったでその時と割り切って他のことへ集中できる人もいよう。
何がきっかけになって、どのようなできごとが起こるかは読めない。自分の調子にかかわらず、世界全体で見ても同じことはたくさんあるだろう。
そして、それが規模の小さいものであったとしても、個体にとっては大きな影響を及ぼしうることも。
先日、実家へ帰ったおり、久々に会った父から聞いた話があるんだけど聞いてみないかい?
父は若いころは、バス通学の日々だったという。
今もそのバスの路線はあるけれど、一日数本程度の運航にとどまり、景色と一緒に利用者の数も大きく変わってしまったようだ。
父が学生のころだと、朝から夜まで長い時間走り、日中などは10分待てば次のバスがやってくるくらいの頻度だったとか。
いつも利用しているバス停は、地域でも大きめな郵便局の前。停留所に屋根はなく、背もたれのない木製のベンチがひとつ。じょじょにシェアを広げていた金属製、プラスチック製に比べると、時代に取り残されている感が父には否めなかったそうだ。
それでも、身体がだるめで他に誰もいないときなど、どっかり腰かけてバスを待つことも珍しくなかったと聞くが。
そろそろ年度末が近づいてくるかという時期。
ひときわ寒い登校日に、父はまたいつも通りにバスを待っていた。自身は余裕をもって家を出たものの、公共交通機関は常に遅れの可能性をはらんでいる。
その日のバスは定刻になっても、道路の向こうから姿を見せなかった。父はベンチへ腰を下ろす。
長時間待つと分かっているなら本でも読み始めるところだけど、以前にのめり込みすぎてバスを見送ってしまったことがあるのが痛かった。それ以来、父は待つときには待つことしか考えないようにし、じっと道路を見やる。
つもりだった。
腰を下ろしてほどなく、父は思わぬ冷たさを尻に感じて、思わず立ち上がってしまう。
あの冷え、考えられるとしたらベンチが湿っているという線。いまだ乾ききらない夜露の残りが、触れた相手を震わせるほどに凍り付いているのかと。
でも、木製ベンチにその手のシミらしきものは見受けられない。手でかるくなぞってみても、それらしい冷たさにはかち合わない。
気のせいだったのだろうかと、いったんは立ち上がった父は、道路を一瞥。バスがまだ見えないのを確かめると、いまいちどベンチへ腰を下ろしてみたのだそうだ。
……10秒……20秒……。
先ほどのような、不意の冷たさを警戒しながら、時間をゆっくり数えていく。
目線は変わらず道路の先、本来バスが来るべきほうを見据えていた。そろそろ、後続のバスに追いつかれてしまうくらいのタイミング。本格的に事故かなにか起きているのだろうか。
学校への時間。まだゆとりは残っているとはいえ、確実に猶予は失われていく……。
しばらくそうしていて、父はそのうち自身の鼓動が強く、早まっていくのを感じていたらしい。
何かしらアクションしていると、気にしづらい拍動。それが時間を数えるたびに、自己アピールを高めていく。
――なにに、自分は緊張しているんだ?
疑問に思う間で、なおも心臓は止まずに響く。
生きている限り、こいつがおさまることはないとはいえ、もう胸のうちに痛みを覚えるほど。のど奥もまた乾ききるのみならず、冷えた刃が粘膜の表面を断ち切るかと思う鋭さを感じ、両肺には地下からくみ上げてきたばかりのごとき、冷水の押し寄せる気配さえ錯覚するほどだったとか。
父はまたぱっと立ち上がるも、ほぼ同時にバスが道路向こうからその顔を見せた。
この異状、満足に調べる時間はない。ちらりともう一度だけ自分の座ったあたりを振り返ってから、路上へ近寄った父はバスを停める。
空いていた席は、たまたまタイヤの上しかなく、そこへ腰を下ろしながら、あらためてどっと疲れていた自分に父は気づく。
タイヤの揺れこそ感じるが、もう心臓は落ち着き払った鼓動を響かせていた。そっと胸をなでつつ、先ほどのあれは何だったのだろうと父は思いをめぐらせる。
その学校からの帰り。
朝とは道路をはさんで向かいにあるバス停で降りた父は、すぐに向こうのバス停からベンチが消えていることに気づいたそうだ。
近寄ってみると、そこには長くベンチが足をつけていた跡のみが歩道へ残り、木片のひとつもこぼれていない。
このようなベンチを盗む輩がいるのかと、それだけでも普通じゃなかったが、ベンチはほどなくバス停から数百メートル離れた、田んぼの中で見つかったのだそうだ。
歩道のへりのすぐそばで倒れており、誰かが投げ転ばしたのかと思われたけれど、おかしなのはその身体。
真っ二つになった木の身体の裂け目からは、まるで生き物のように赤い血がどくどくと流れ出してきて、容易には止まらなかったらしいんだよ。
話を聞いて、父は再度自分の胸をなでながら、あのときの強い鼓動を思い出していたらしい。




