吸い水たて
う~ん、こうして水道水をごくごく飲めるって、つくづくこの国の水へのこだわりはすさまじいと思わないかね、つぶらやくん?
貯水池、浄水場、上水道、給水所、貯水タンク、各家庭の水道……と、その旅はすさまじい長さの行程とは、学校に通っているときに習ったと思う。
それをこうして飲めるようにするには、塩素などによる消毒。各家庭での浄水器設置などこれでもかという徹底ぶりが求められるが、それでもこうして経口摂取で問題ないレベルになるのは、もはや執念すら感じる。
しかしこれは、どこかしらバランスが崩れれば、とてもマズいことになる恐れも秘めているわけだ。
大々的なメンテナンスでカバーできるならいいけれど、こまごまとした部分は個人の対応に任されるところもある。健康な人間の免疫力なら、ある程度は対応できるかもしれないだろうけど、そうでない人にとってはきついこともあるかもね。
昔の私が体験した、水に関する話、聞いてみないかい?
当時の私にとって、インスタントラーメンやカップ麺は革命的な一品だった。
お湯さえ沸かせる環境があれば、ちゃちゃっと作って食することができる。ご飯というには物足りないが、お菓子というにはボリュームがある。その手軽さと、うまいこと穴を埋めるポジションを私は気に入っていたんだ。
その日も、学校から帰って来るやお湯を沸かし始める私。ポットをみるに、おそらくカップ麺を作るに足るお湯は入っていたが、朝から置いていたものはどうも気が乗らない。
あらゆるもの、作り立てが一番クオリティ高いように、お湯もまた沸かしたてを用いてこそカップ麺の価値もあがるというもの。そう信じて、泡立つまでじっくりお湯を沸かしたのち、私はカップ麺へお湯を注いでいったのだけど。
いざ3分後。
ちらりとフタをめくってみて、私は少々違和感を覚えた。
湯を入れる前と、大差ない状態に思えたんだ。麺はろくにほぐれておらず、かたまりのまま。上からたっぷりお湯をかけられた肉、海老、卵たちもまた、普段なら見せるふくらみやみずみずしさにかけ、ドライな表情を保っている。
フタの裏には水滴がいくらかついているし、湯沸かしに使った雪平鍋も湿り気が残っていた。確かに注いだはずなのだけど。
箸でつついてみると、ほんのりと柔らかさを帯びている気がしたが、力を込めると砕けそうな硬さのほうがまだ強い。
麺がお湯を吸い切ったにしても、このような姿を保てるだろうか?
首をかしげながらも、私はもう一度お湯を沸かしにかかる。その間、カップ麺からは目を離さずにいたけれど、別段変わった様子はなかった。
やがて温められた水が湯気を吐き始めると、私はそれを再びカップ麺へ注いでいったんだ。
今度はフタをめくったまま。当然、熱気は逃げていくだろうが、それでもまったく麺をふやかすことができない、というほどでもないだろう。
先と同じようなことに陥るとしたら、なにが起こっているのか。それを見定めてやろうと思ったんだ。
お湯を注いで10秒そこそこ。さっそく変化が見られる。
円筒状のカップ麺の容器。内側の線までお湯を入れるよう指示がされているが、それをやると固まっている麺たちがすっかり水没するほどになる。
その水かさが、私の目の前でみるみる減っていくんだ。自然に干上がっていくにしては、明らかにおかしい早さでだ。
しかも、いったんは水気を含んで浮かぶ気配もあった具たちさえも、水が少なくなったことでまた、麺の上へ着地。それどころか、いったんは大きくなったように思えた身さえも立ちどころに縮んでいくさまは、根こそぎ水分を奪われていくようだったよ。
そこからさらに10数秒も経たないうちに、お湯はカップの底へ消えていき、注がれる前と大差ない姿を私へ見せつけてきたんだ。
こうなると、麺を食べる食べないの話じゃない。
私はカップをひっつかむと、中身を全部流しへぶちまけたんだ。見事にひっくり返ったカップの中の麺たちは、自然と底の部分をてっぺんにする形で私へ見せつけてくる。
その頂上、元ある麺たちの姿を覆い隠すくらいにぴっちりこびりついていたのは、茶色い膜だったんだ。
ぱっと見、溶け残りのスープ部分かと思ったよ。ただ、そこの中心部からはときおり、ぶしゅぶしゅと音を立てて細かく水が飛び出している。
勢いはさほどではなく、すぐに茶色い膜の上へ落ちてしまうのだが、その噴き出した拍子に空いた中央の穴が、ひとりでに口をパクパクさせるような動きを見せたんだ。
まるで、エサを一心に欲しがるひな鳥のごとく。しかも、そうしていくうちに膜の濡れはどんどんとその輝きを失っていき、先ほどと同じように乾いた表面を見せつけていくことになる。
――こいつ、水を喰らっているのか?
先の2回のお湯たちも、そうだったのかもしれない。
せいぜいカップの底程度しかないこいつらが、物足りなささえ感じさせるほどお湯を奪っているのならたいした吸水性だが、感心するゆとりはなかった。
反射的に流しの排水口のフタを取り、まるごと下水へ放り込んでしまったんだよ。あとからじゃんじゃん水も流して、少しでも奥へ追いやったつもりだった。
ほぼ衝動的な行動。もうカップ麺を食べる気など起きず、親たちにもこの件は話さずに黙っていたんだが、その晩はやたらと流しやトイレが下水のうめきを漏らした。
人が腹を壊したときに盛大な音が立つように、下水もまた苦しんでいるかのようで、なかなか眠ることができなかったよ。家族してね。
で、そこから数日の間。
全裸の子供が、夜中に町中を歩いているのを見たという話が、ちらほら出た。
私はじかに見たことはないのだが、その身体はくまなく茶色に染め上げられ、近づこうとするとやたら水音を立てて走り去り、追いかけられないような用水路の中へ飛び込んでいったのだとか。




