放り置かれしもの
木の葉を隠すには森の中に、という言葉はよく使われますね。
目的をもってことを成すには、それに合致した環境を用意したほうがいい。あるいはまわりの環境に溶け込めるような姿形、態度をととのえるように努めるべきか。
私たちも、いまこの世界では密度が高めですけれど、そのぶん何かが溶け込むには人間の姿が都合いいこともあるでしょうね。
ある日、突然のひょう変……とかならだいたいの人は気づくでしょうが、じわじわ、ちまちまはさほど気にならないこと多いですよね。
期待値のハードルは、数を重ねるたびにどんどん下方修正されていく。最終的には役立たずとあきれられて、期待されなくなるわけです。
アクティブな人にとっては、余計なエネルギー浪費のため、もっともな傾向と言えるかもですが、それもまたスキを与える行い。
末端にまで血が行き届かなくなったなら、それは全体を脅かしうる毒になりえる。人体もコミュニティも似たようなものかもしれません。
つい最近、弟から聞いたことなんですが、耳に入れてみませんか?
弟は小学校の低学年。恋愛よりも遊ぶことこそ優先順位高めな年ごろです。
勉強、スポーツ、ゲーム……何かしら出てくる話題についていって、みんなの輪の中へ入っていくのは、歳を経てからも見られる傾向です。
ただ、情報は常にアップデートを続けていかなければ、取り残されてしまうもの。これが自分の好きなものであったなら幸いですが、そうでないもの。いわゆる「ファッション○○」なたぐいだとしんどいですね。
これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。
無理をして得た付け焼刃の知識では、そのうち好きな人や楽しんでいる人に水をあけられていってしまうのです。
弟と同じクラスの子のひとりも、そうだったみたいですね。
新しく発売したゲームの話でみんなが盛り上がっていたとき、はじめこそはいろいろ知識を披露していて、目立っていたようです。
しかし一日、二日と時間が経っていくうちに、発言頻度が目減りしていきます。弟いわく、その子がこれまでに話したことは、じかにゲームをした者ならばちょっぴり進めればすぐ分かることばかりだったとか。
時間ある子供たちの情報更新は早く、その子はおそらくゲームそのものを持っておらず、情報誌各種のみで収集したもので話を合わせていたのでしょう。
置いて行かれまいとする姿勢はあれど、子供たちは落伍者へ配慮しづらいですからね。
次第に口を開かなくなっていく彼をしり目に、ゲーム熱中組はついていける者同士でおおいに盛り上がっていきます。
他に彼がついていける話題があればよかったのですが、おそらく他の話題は彼の好みではないのでしょう。
ほどなく、彼は「壁の花」となってしまいます。みんながわいわいしている脇で、そっと壁際にたたずみ、こちらの様子をうかがうことが増えていたのでした。
いちど、くだんのゲームから少し前のゲームへ話題がうつったことがあったんですがね。そのときはがぜん、食いついてきたみたいなんですよ。それに関しては、前々より彼が熱心にやりこんでいるのは知られていました。
虎視眈々と、自分が参加できる機会をうかがっている。
その熱意はすさまじいでしょうが、向けられる側としては怖さとかうっとおしさとかを覚えかねませんね。ややもすれば、ストーカー相手と似たような心持ちでしょうから。
そうして、新作ゲームも進みが早い子はもう、クリアしていく頃合いとなった、ある日の朝。
先駆者たちはネタバレに配慮しつつ、後から来る子たちに情報を選んで渡していきます。
弟も先んじてクリアにこぎつけたひとりですからね。内心で「え~、知らねえの? あ~、教えてえなあ」とマウントを取ることのできるこの状態が、なんとも心地よい運びだったとか。
そうしてみんなとわいわいやっている間、ちらりと視線を移すといつもの定位置に、また彼が立っているわけです。
教室の四つ角の一方、意識しなければ誰も近づく必要がないほどの隅っこ。そこで彼は腕を組み、顔をうつむかせたまま動きません。
これもまたいつもの姿勢。なかば死人のようですが、もし自分の得意とする話題が振られたらたちまち生き返り、こちらへ加わってくるでしょう。
けれども、もうその話題に転ぶこともなさそうでした。価値と気持ちよさで、大いに勝るゲームの話題を手放すなんて、ありえない。
そうして彼を置いてけぼりに、どんどん話はヒートアップしていくのですが。
予鈴がなるちょっぴり前。
不意にその子が、どっと床へ倒れ込んだんです。
具合が悪いのか、それともあまりに放置されたがために注意をひきたくて、あえて行った演技なのか。
いずれでもありません。というのも、彼は床へ倒れた端から、空気を抜かれた風船のようにどんどん体がしぼんでいってしまったのですから。
それに伴い、教室へいたみんなを襲うのは、ツンとくる鼻と目をしたたかに刺激してくる、アンモニアの臭いだったのです。
誰にいわれるでもなく、みんなは廊下へ逃げ出し、ほどなくやってきた担任の先生もまた教室そばまで来て事態を察しました。
当然、みんなはいたずらを疑われ、それに対して見た通りのままを弁明したところ、先生はぴしゃりといいます。今朝がた連絡がきて、彼はこの日学校を休むとのことだったのでした。
教室の向かいにある窓も開け放たれて、すっかりアンモニアの臭いを追い出したころ。
のぞいた教室の中に、彼の姿は影も形もありませんでした。ただ、彼らしきものが経っていたところには、微弱ながら例のアンモニアの臭いが残り、いかな薬を用いても取れることはなかったそうです。
彼の生霊のごときものがもたらしたのか。それとも彼の立ち位置をよく知る何かが、あのときに成り代わって痕跡を残していったのか……。
弟を含めた若きクラスのみんなにとって、相手との付き合い方を考えることになった不思議な体験だったようです。




