雨中のはかり
う~ん、今日は珍しく勢いある雨降りだねえ。しかも、けっこう風が強いときた。
今でこそ建築技術が発達し、ある程度の風雨はゆとりをもってしのげるようになってきた感はあるけれども、ひと昔前だったらより気が気じゃなかっただろう。
壁のゆらぎ、屋根のざわめき。様々なところから響く音に、いまにも故障が生まれるんじゃないか、とね。実際にそのような事態になる確率は高いから、起きたら処置しなくちゃいけないし、起きないなら引き続き低確率を引くのを期待し続ける。
バクチ的な心持ちかもしれない。自力でどうこうできない部分の運否天賦が、自分にとって都合のいい傾き方をしてくれることを願う。そうしてうまく行ってくれたときには、神様に感謝を捧げることも多々あるだろう。
しかし、実際にはどのような方法であれ、確度を高めるために頑張ってくれた人がいる可能性は否定できない。その仕事までをすべて神様のおかげとされてしまっては、当人たちは少しムッと来るかもしれないな。
このような風雨のときの対策もしかり。ときに雨風にさらされることも構わず、皆の住まいや今後の生活のため、頑張ってくれている人もいるんだ。
私が以前に聞いた、昔の話なのだが耳に入れてみないか?
むかしむかし。
とある山に近い村には、「雨のはかり」と呼ばれるものが設けられていたという。
名前のとおりのはかり、天秤であったのだが木製でつくられたこのはかりは非常に大きくこしらえられたものだった。
高さは村の矢倉に匹敵し、左右にさげられる皿は優に大人を数十人以上乗っけることができたが、重さを比べるのに用いられることはなかったらしい。
これもまた名前の通り、雨をはかるためのシロモノだったとか。
村の中央に備え付けられていたはかりは、雨が降り出して雨宿りをする人が出てくると、彼らによって見張られたという。
はかりの上向いた皿の中には、どんどんと雨粒が溜まっていく。もし風もなく、真っすぐに雨粒が降り注いでいたのなら、二つの皿に雨水の溜まる速度はほぼ同じ。おおよそ均衡が保たれたまま推移するだろう。
しかし、風そのほかの要因により、はかりの均衡が保たれなくなって、皿の片割れが地についてしまうようなとき。起こすべき行動があるのだとか。
その行動ははかりそのものに働きかけするものじゃない。
はかりの支えは南北を向き、皿は東西に吊るされている。東が沈めば東の方へ、西が沈めば西の方へ。長い竿をたずさえて、それぞれ100歩を数えてはぬかるんだ地面に竿を突き立てていく。
竿も一尺ほどは地面へきっちり埋まらなくてはいけないようで、この条件を満たすまで人々はその先を目指してどんどん歩いた。
幸いにも普段から多くの人が行き来する村の出入り道。極端な地形などに悩まされることはなく、人々はこの100歩数えを重ねていくことができた。
均衡崩れは「薙ぎ」の合図。薙ぐべき相手がすぐそこまで迫っている。
ほじって出して、すぐさま流せ。とはこの雨のはかりの対処を伝えるものだ。そのために皆が竿を持ち、雨の中を歩いていく。
いったい、何が「薙ぎ」の対象になるのか? それは土のうちより出てくるという共通項をのぞいては、そのときどきのものに託されるという。
私の聞いたケースだと、このようなものだ。
その日のはかりは、いつになく急激な傾き具合を見せた。
嵐を思わせる強い風雨の中にあって、東から西へじゃんじゃんと雨が降る。
その間、西側の皿はもう水いっぱいの桶から引き上げたひしゃくのごとく、ふちより雨水がこぼれにこぼれ、土へうずまるほどに溜まっていく。
一方の東側は不自然なほどに水がたまらず、皿のまわりが濡れるだけ。はかりそのものも傾いでしまうほど、不均衡を極めていたという。
すでにびしょ濡れの村人たちは、いつものように竿を持ち、笠とみのを身に着けて100歩の道を測っていく。
道行く者は、ざっと10人。役目を帯びた村人たちだけ。この天気ゆえか、他に往来する者はいない。
ひとつ100を進むたび、彼らは風雨を身に受けながら、ところどころに竿を差す。
何が出るかは分からなくとも、出たならそれが「薙ぎ」の対象とすぐに分かる。顔を出したそのとたん、より風雨は強くなり、かのものをかき消したり、吹き飛ばしたりしてしまったのち、あっという間に天気が回復へ向かうのだから。
これまでの経験を信じ、最初の100歩がダメでも、彼らはそのまま次の100歩、更にその次の100歩と刻んでいった。
繰り返すこと12回。
村人たちが持っている竿をめいめいで地面へ突き刺したおり、にわかに風雨がその勢いを増した。
的中だ、と思う間もなく、彼らの身体は勝手に浮き上がってしまう。
にわかに強まった風と、警戒の足りない身体の双方が合わさって、人体の飛翔を許してしまったんだ。あるものは跳んだ先の地面にたたきつけて転がり、あるものは周囲の木々の枝へ服を貫かれるかたちで、はりつけにされる。
だがそうされたのも、皆が突き立てた竿の先から漏れ出てきた桃色の煙を見れば、むしろ幸いだったかもしれない。
竿の作ったわずかなすき間から漏れ出た煙に取り巻かれた竿は、たちまち地面へ倒れ伏していくばかりか、その脇から小さい足のようなものが両側へ生えていく。
人の赤子の足の部分。それが10か20か生えそろったかと思うと、それを支えにして竿たちはてんでばらばら、おもいおもいの方向へ駆け去っていってしまったんだ。
桃色の煙はほんのわずかの間だけ、そこに立ち込めていたものの、大人たちを飛ばすほどの風にいつまでも抗えず、その身を吹き散らして見えなくなってしまった。
誰の目にも完全に煙が見えなくなると、まるで栓でもしたかのようにぴたりと雨も風も止んでしまい、青空がのぞいてきたのだとか。
あの足の生えた竿たちが、何をしているかは分からずじまい。
ただその被害が広がらないよう、雨風たちはああも吹き付けて、ここでケリをつけたかったのだろう。




