緑をつぐもの
はああ~ここのところ、緑色が少なくなって久しいなあ。
この時季、探したならば見つかるだろうけど、やはり緑の葉っぱたちを茂らせる森や林の中で、のんびり光を浴びながら練り歩きたいんだよねえ。
緑色は心理効果としても、リラックス効果や疲労回復効果があるとされる。遺伝子的に自然の中で過ごしているころを想起させるのかなあ。観葉植物とかを建物の中へ置くのも、それらの効果期待なところあるよね、きっと。
けれど、色にはプラスな印象ばかりじゃない。
カビやコケのような不健康さも緑の有するもの。未熟な果実は緑色になる傾向が強く、時期尚早の感をまわりへ伝える。彼らからのメッセージを直感的に受け取ることができても、その中身は触れてみないとまず分からない。
ことによると、不可解な事態が自分の身近で進行しているケースもあるかもね。
僕がむかしに体験したことなんだけど、聞いてみないかい?
学生時代、僕は自転車通学をしていた。
学校までダイレクトに行くわけじゃなく、最寄りの駅の駐輪場を借りて、そこに自転車を置いてから電車を使う傾向だったけどね。
小さめの駅だから、大都市の立派なものを想像しちゃいけない。待合室のたぐいはなく、休憩用のベンチがある近辺以外は壁も屋根もなく、外気へもろにさらされる。ホームの半分ほどは、いざとなればまたぎこせる程度のフェンスでしか、構外と区切られていなかった。
夏になると、下生えの草たちがちょこちょこ顔を出してはホームにせり出してきてね。そこにくっつく虫たちが、電車の訪れとともに車体へ飛び移り、無賃乗車としゃれこむ姿はたびたび見られたよ。
僕は電車に乗るときは、いつもドアのそばへ寄る。
お年寄りなどには席をゆずるものといわれて育ったが、いざ座ると立ち上がるのには勇気がいる性質なんでね。緊張によるストレスのほうが勝る。
だったらいっそ座らないで、立ちんぼでいたほうが気楽なんだよね。ドアの開閉するときと、急な揺れや停車に注意しておけば存外過ごしやすいものだ。寄っかかることだってできる。
少し難点なのが、先に話したような無賃乗車してくる虫だ。夏場などは数も多いせいか、やたらとくっついてくる機会がある。僕の世話になっているドアも例外じゃなく、この日は乗車間もなく、カメムシらしい大きさの腹が窓へくっついてきた。
何度か見たことがある6本に分かれた足の広がる腹部。それはいつもにも増して濃い緑色をたたえている気がした。
電車が走り出してしまうと、張り付いた虫たちはまず動かない。外でさらされる風圧も考えれば相当ふんばらないといけないところか。たまに、うかつな動きをして視界のかなたへ飛んでいく個体もいたが、このカメムシは耐えどきを分かっているらしかった。
その辛抱も次の駅へ着くまでで、電車の勢いが緩んだのを見計らったかのように、カメムシはぱっとガラスから飛び立った。
これだけなら、普段見る景色と大差ないのだけど、この日は違う。
カメムシが去ってからほどなく、ぱっとヤツがとまっていたところへ被さってきたものがいる。
バッタだ。カメムシの何倍も大きい胴体を見せつけながら、前足と中足の計4本を、先ほどのカメムシの足と同じように、盛大に広げていた。
妙なポジションを陣取るものだな、と僕はちらりと目を向けるも、すぐまた脇にうつる景色をぼんやり眺めはじめたんだ。
ここの駅では反対側のドアが開いたが、次の駅ではこちら側が開く。知っているのかいないのか、乗客の乗り降りが済んで再び走り始めるも、バッタはこの一点から動かない。
先の駅同士の間隔よりも、ここはちょっぴり長かった。僕の降りる駅はまだ先で、ぼんやり考えごとをしながらも、バッタは視界の端へおさめていたよ。
何かアクションを起こせばすぐにわかったが、先ほどのカメムシがじっとし続けていたように、バッタもまた電車の走っている間、不動の姿勢を貫いていたんだ。
やがて、次の駅が近づいてくると景色で分かった。
ゆるゆると速さがおとろえてくるも、今度のバッタはやはり動かない。今度の駅は僕の最寄りと比べれば少し大きめだ。遮断機を通り越してほどなく、ドーム状の屋根とそれを支える壁に、光源は自然のものから人工物へと変わっていく。
どっと通り過ぎる、ホーム立ちの顔、顔、顔……僕の乗るのは先頭車両だったから、見送る人の数は多い。バッタはいまだ、張り付き続けている。
ついに電車は停まってしまい、ドア前の乗客たちの顔がはっきり映し出される段になって、「あ」と僕は思った。
――このままとまってたら、こいつ戸袋へはさまれるんじゃあ……。
僕の乗る路線では、当時はまだまだ戸袋現役時代。
ドアに手をついたまま、戸袋に引き込まれる事故も年に何度か聞くけれど、それを虫の身で体験しようものなら……。
心配は的中する。
バッタは微動だにしないまま、開く戸ごと戸袋の中へ吸い込まれてしまったんだ。
この駅の乗客は多く、自分たちのことで精いっぱいだ。気に留めている人はいないだろう。混雑率はどどっと200%くらい増えたんじゃないかという窮屈さで、僕はドア枠の外へ出ないよう、内側からの圧を押さえつけるのがやっとだった。
アナウンスが流れ、戻ってくるドア。そこにバッタの姿はない。けれども、見間違いではなかったのだろう。
バッタが先ほどまでとまっていたところに、黒ずみができている。もちろん、戸が動き出すより前に、このようなものはなかった。
恐れていたことが起こってしまったか……と、ちょっと心が曇ったが、ほんのわずかの間だけだった。
走り出してから、ほどなく。ガラス一枚をはさんだすぐ外で、黒ずみがかすかに動き始めたんだ。
風に吹かれて、はがれてきているんじゃない。面積こそ小さくなってはいたけれど、それは真ん中へ向かって、じょじょに黒ずみが集まっているためだった。
その動きはまるで生き物。元の大きさの5分の1ほどになったとき、その黒ずみからじわじわと細い足が生え始めたんだ。
左が3、右が3。3対の足は先ほど見たカメムシのようだったけれど、身体の大きさはどちらかといえばバッタに近い。
そして黒ずみもまた、「黒」ではなくなっていく。カメムシもバッタも持っていた、黒いながらも緑と分かるその色合いに少しずつ少しずつ染まっていったんだよ。
次の駅へ着く直前に、そいつは自ら羽根を広げて飛んでいった。ガラスに一片の痕跡も残さずにね。
あれが本当に、僕の認知するカメムシとバッタだったのかは分からない。けれどもあれが、彼らなりの命の営みの姿であったのだろう。




