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野分の兵士たち

 野分、というと日本における台風の昔の呼び名なのは、ご存じな方も多いでしょう。

 台風に関しては、「タイフーン」「大風」「颱風」と外の国の言葉がいろいろ伝わっていった結果らしいので、外国由来といえます。

 それに比べると、野分というのは日本人センスがにじんでいるかもしれませんね。

 風そのものではなく、風によって吹き分けられていく野原の姿に着目し、文字通りの「風情」とみなす。空気、気配に敏感な感性がにじんでいると思いませんか?


 一つの現象に対し、どのような視野でとらえるかは現代においても重要なポイントのひとつ。

 良い面、悪い面、影響の大きい点、少ない点……いずれかをおろそかにしてしまったばかりに、おおごとへ発展してしまった例は古今東西、枚挙にいとまがないほどです。

 そこに、気にかけるゆとりが持てないほどの切実な理由があったとしても、起きてしまったものはなかったことにはできません。たとえ再現性が低かったとしても、本人にとってそれは事実として伝わってしまうもの。

 最近、野分に関してちょっと奇妙な昔話を聞いたのですが、耳に入れてみませんか?


 むかしむかし。

 山の中にある小屋を住まいとしていた木こりがいたそうです。

 彼の住まう小屋は、他の家屋に比べると屋根が低い。大人がかろうじて立ち上がれるかどうかといった高さに保たれていました。

 かつてはもっと背が高かったらしいですが、「野分」が原因でした。

 高い建物ほど、風の影響を強く受けてしまう。五重塔みたいに心柱を用いた工法ならば、あるいは異なってくるかもしれませんが、一般の家ではそうそう採用はしていません。

 一度は倒壊してしまった家のうち、残った部分を木こりの家族が修繕し、いまの形にしていたそうですね。


 その年も、野分がよくやってくる時季が来てしまいました。

 朝、目が覚めたときから、家全体をかすかに揺らすほどの強い風が吹き、屋根壁ごしに叩きつけてくる雨粒の音を、木こりはとらえています。

 これは落ち着くまで外には出られない、と木こりは火をおこしながら、わらじを編み始めたのだとか。このような内職も、自分の稼ぎにつながりますからね。空いた時間の有効活用はいつどこの人でも考えどころだったのです。


 そうして作業を進めるうち、ふと木こりは気づきました。

 閉め切った家の中へ届く雨音は、当初に比べるとやや弱まってきていました。しかし、そうして弱った雨に代わり、「とん……とん……」と壁板を叩く音が混じるようになったのです。

 最初は風の関係などで、雨がそのような当たり方を始めたのだと思いました。しかし、聞いているうちに、それは小さくなりがちな雨音とは拍子が異なるところが出てきます。

 しかも、かの音がするのは南側の壁のみ。残る三方はただ静かに風雨を受け止め続けていました。


 南側の壁のみに、いたずらをする何かがいる。

 狐狸のたぐいかとも思いましたが、もしそうなら風雨の中で外に出るのもさることながら、もっと音が不規則に乱れてもいいはず。

 一刻も早く住処へ戻るため雑な動きとなるか、それとも雨宿りに徹し気配を押し殺し続けるか……いずれにしても、こうも目立つ音を断続的に発し続けるとは考えづらかったんです。

 木こりも作業の手を止め、じっと壁の音をうかがいました。叩く音以外に、よくよく耳を澄ませてみれば、草を分けていく音もかすかに混じっているのが分かります。

 意図的なのか、そうでないのか。こちらの存在など、可能性も考えていないとばかりの行動に木こりもいよいよ不審を覚えまして、じかに様子を見てやろうと思ったのです。


 そっと足を忍ばせながら、南側の壁へ近づきます。

 外の雨でいくらか音が消されるとはいえ、玄関から出てまわりこむのは気取られる恐れも高い。幸いにも、南側にも閉じた窓があるし、そこからのぞきこもうと考えたとか。

 木こりが間を詰める間も、音は止まずにいましたが、ちょっと気になるところといえば音の出どころの低さ。

 複数の板材を重ねる壁の、もっとも低い板のあたりから、例の叩く音は聞こえてくるのです。

 やはり狐狸か……と、木こりは自分の目の高さにある窓の戸を、そうっと持ち上げて、真下を見やりました。


 そこにいたのは、狐狸ではありませんでした。

 二の足、二の足と踏み出し、長い槍をたずさえたその姿は、人間の足軽のそれだったといいます。しかし、その背は人間に遠く及ばない。

 ひとりひとりは、せいぜい三尺(10センチほど)。それに数倍する長い槍を手にしていました。こちらもまた、髪の毛のような細さ。

 列をなして更新する彼らの槍の穂先が、家の壁へこすれていく。それが「とん……とん……」と響いてくるのでした。槍の細さからは、にわかに考えられないほど硬質な音だったそうです。

 彼らはありんこのように整列し、ずんずんと前を向いたまま進んでいて、見下ろす木こりに気づいた風はありません。しかし、あの長い槍を思い切り伸ばしたなら、こちらの顔に届くかもしれませんでした。

 得体がしれないが、ヘタに気づかれるよりはいい。

 そう思って窓の奥へ引っ込もうとしたときです。


 風向きが変わり、この南側の壁へ吹き付ける形になったかと思うと、雨に混じって無数の砂利が飛んできたそうです。

 顔を引っ込めかけていたので、まともに受けずには済みましたが、頬にはいくつか石がめり込んで血が流れ出ているほどでした。

 壁もまた、先ほどとは比べ物にならない無数の大声をあげてきます。そればかりか、ひとつは板材をぶち破り、家の中へ転がり込んでくるありさま。

 最下段の板を破り、いろりへ飛び込む直前まで回転し続けたそれは、つまみ上げられる大きさでありながら、ある面に糸のようなものを張り付けていたのです。

 まぎれもなく、先に外を行進していた槍持ちのひとり。その身体を槍ごととらえ、ぺしゃんこに潰してしまっていたのでした。


 壁が不自然に鳴るのも、ほどなくしてやみます。

 無数の石が叩くのも、あの足軽たちの槍がこするものもです。普段の野分と変わりなく、ひたすら強い風と雨が、住まいに襲い掛かるばかりとなりました。

 彼らの吹き込む穴へ、木こりが応急処置しなおすころにはもう、あの石に張り付いていた足軽の姿は槍ごとなくなってしまっていたとのことです。

 天へのぼったか、床へと溶けたか。そのゆくえは知れません。

 ただ彼らがこの野分の中、戦らしきことに臨んでいたのではないか……とは、木こりも考えたらしいですね。

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