流れゆく時を追って
ううむ、今日は燃せるゴミの日とはいえ、なんかお人形を捨てている家がちらほらあるな。ゴミ袋越しにも見えちゃっているぞ。たまたまかな。
ひな人形などはひなが泣くと有名なエピソードもあるが、他の人形もちらほらと同じような話を耳にする。こうやって処分してしまうのは、はた目にはちょい悲しいことだ。
でも、家の中も容量が決まっている。無限とはいかない以上、どれかを処分するのは仕方ないだろう。その優先順位の高いものから、こうした憂き目に遭う。
それがお菓子や食べ物のパッケージとか、日々消費するものならまだしも、何度も、長く使えるものがランクインしてしまうとは、哀しきものだよ。
長く置かれるもの。大自然に存在するものとは、比較にならないかもしれないが人工物も長い歴史を持つことしばしばだ。
いや、元は大自然にあるものを加工しているから、長寿命には変わりないのかな。それゆえに彼らが不思議な力をもつものと、語られるのは自然なことかもしれない。
僕が友達から聞いた話なんだけど、耳に入れてみないか?
友達が物心ついたころ、自宅の2階。両親の寝室に置かれていたものが、妙に気にかかったらしい。
明かりとりと換気のために使えるだろうが、人が通るには足らない小窓。その手前のふちに置かれていたのは、一見はにわにそっくりなポーズをとる、銅でできた像だったらしい。
像はキャミソールらしきものを身に着けている。上から着せたものではなく、制作時に彫り込まれていた、同じく銅でできた一品。
およそはにわというより人、しかも女の子が身に着けるもののように思えたとか。
何かの擬人化なのだろうかと、母親に尋ねてみたところ、小さいころに手に入れたものを今でも魔除け代わりに飾っているのだという。
いつ手に入れたものなのか……は、本人もよく覚えていないとのこと。これもまた、物心ついたときから部屋の窓際に置いていたものらしい。実家にあったものを、こちらへ持ってきたのだそうだ。
小さいころから、なんとなく気にかかるものの存在。分からなくもない。
本当に必要なもの以外、きっぱりと決別できる人もいるだろうけど、なじみであれ腐れ縁であれ、長い間一緒にいたものを連れていくこともあるだろうか。
そうなると、この銅式キャミソールはにわは少なくとも数十年は母とゆかりがあるもの。彼女が問題としないなら、友達もさして気にするつもりはなかったそうだ。
けれども、いざ休みを直前に控えた金曜日の夜。
母親は用事のために夜遅くまで家を留守にすることになった。当時の友達はまだ、両親の部屋へ一緒に布団を敷いて眠っていたから、夜はこの部屋が定位置になる。
夜のチャンネルでやる洋画がお目当てということもあり、友達は早めにお風呂へ入って観賞体勢を整えている。ポップコーンに飲み物も用意してテーブルへ置き、気分は映画館。
いつもは寝床に食べ物を持ち込むのはいい顔をされないのだが、このようなひとりのときこそ、機会を活かさないでなんとする。
いよいよ放送時間5分前と迫ったが、育ち盛りのお腹はおとなしい夜更かしを許してはくれない。ひとあし早く、袋に入ったポップコーンの封を開けてしまう。
友達は袋の開いた口から、ちまちまとつまみ出すことを好まない。いったん開いた袋を今度は縦に裂き、広げた袋の上にてんこ盛りのポップコーンが乗っかる形にする。
その山の一角を、さくさく音を立てながら切り崩し始めたのだけど……。
さく……さく……。
手を止めた。いま友達はポップコーンを咀嚼してはいない。でも、音は確かに響き続けていた……と、思う間に止まる。
――聞き間違い? いや……。
試しにポップコーンをいくつかつまみ、かじってみる。音を立てながらゆっくりと。それはどこからか聞こえてくる、余計なものを聞き分けるのに神経を使いたいこともあった。
案の定、自分の咀嚼にわずか遅れて、ポップコーンをしゃくる音が混じってくる。そして、この部屋には自分以外、誰もいない。
出し抜けに飲み込んだ。もうひとつの咀嚼音は、それにわずか遅れてピタリと止まる。
まるで「だるまさんがころんだ」だ。
鬼の動作に合わせて、それ以外の者がアクションを起こしたり、止まったりしていく。多少のミスや遅れをいかほど許容するかは、鬼側の情けにもよるけれど。
――仏の顔も三度まで、という。三度までは許してやろう。
どこかマウントをとって、偉そうな心地になる友達。
そうして映画が始まり、更にポップコーンをつまみ出したところで3回目。そうしてCMを迎えるころに、とうとう堪忍袋の緒が切れる4回目のNGを出した。
この広げたポップコーンをくすねているのは、間違いない。
先ほどから何度も、盛ってあるポップコーンの山の一部が、触れる前からおのずと崩れていき、かさを減らしている。
友達は周囲を見回したうえで、真後ろを振り返った。
はらりと、ポップコーンの欠片が落ちたのを、友達は見る。
窓のふちから、真下のカーペットへ。そのうえにあるのは、あのはにわもどきの銅像だ。
そのキャミソールは、今まで見たことがないほどてかてかしているばかりか、いくつかポップコーンの破片をくっつけている。
友達は目をぱちくりしながら、何度も袋とはにわへ交互に視線を移してしまった。その間、数メートルは開いていて道具などなしでは、人でもどうしようもない。
――まさか、あの位置からポップコーンを?
友達がそう思うや、はにわのキャミソール部分がにわかに、どろりと溶けた。
たちまちはにわの足元へ、水たまりのような格好で横たわるキャミソール部分。素っ裸になったはにわに色気など期待できるはずがなく、はがれた白い断面がのぞくばかりだったとか。
やがて帰ってきた母親に説明しても、納得しきってもらうことはできず。とはいえ、キャミソール部分がなくなり、完品でなくなってしまったのも確かで、友達の家の押し入れに今も封印されているとか。
キャミソールといい、ポップコーンといい、ひょっとしたらはにわも流れゆく時間のはやりものを味わいたいのだろうかと、友達は思ったみたい。




