ハトつなぎ
こーちゃんは天女のはごろもの話、知っているかい?
古今東西、よく知られた話のひとつだと思う。水浴びに来ていた天女の衣を、たまたまその場を訪れた男などに奪われてしまい、天へ帰ることができなくなってしまう物語。
のちに男と夫婦になって、子供を作るなどするも、何かしらのきっかけで服を見つけて帰ってしまうケースはしばしば。ときには、よそを放浪することになり、地域の由来となる地へとどまることもある。
住むところ、食べるところにならび、着るものが重要視されるのも、これがあるかもしれないね。自らの所属をあらわし、ときに服装に応じた特殊な力を発揮しうる。
超常的なものから、地位や立場に付随する力まで、身にまとったならば服が意味を与えてくれる。それをつむぐ行為もまた神聖化されるのは、自然なことだったのかもしれない。
僕の昔の体験なんだけど、聞いてみないかい?
それは年明けそうそうに起こった。
初詣からの帰り道に、大きめの橋を渡る箇所があるのだけど、そこで一羽のハトがこと切れていたんだ。
よく見るグレーの体色を持ったドバト。それが半身になって横たわり、その羽の真ん中を通る形で、大きな切れ目が入っている。そこには乗り物のタイヤがもたらす溝のあとも一緒になって浮かんでいた。
おそらく自転車にでも轢かれたのだろう。気の毒に、と軽く頭を下げながらその場を僕は後にする。
物語の中なら丁寧にお弔いをするかもだけど、動物の死体はどのようなものを持っているか分からないのも事実。残念だけど、関わり合いになるにはリスクがあるもの。
この手の犠牲は珍しくないもの……と、このときは思っていたのだけど。
翌日の親せきまいりのときだった。
家族で車に乗り、あちらこちらへ顔を出すのだけど、その車へ乗り込む際。
決まって僕の上着のダウンジャケットにだけ、鳥の羽毛らしきものがくっつくんだ。着く瞬間を見られたわけじゃなく、気がついたら付着しているという感じ。
袖であったり、裾であったり。羽毛自体も白であったり、灰であったり、一枚だけだったり、複数枚だったり……。
場合の差こそあれ、最終的に何枚引きはがしたか分からないくらいだったよ。一緒にいた家族も、これらが張り付いたときを確認してはいないんだ。
いったい、何が……と羽根を引きはがしながら、夕方ごろになって僕たちは帰路へ着く。
冬至を過ぎてからしばらく経つこともあってか、じょじょに陽は伸び始めていた。飼えるころになる夕方でも、いくらか道は明るさを保っている。
そのとき、通ったのがあの橋の上であり、ひょいと顔を向けた先はあのハトの遺体を見かけた歩道側だったのだけど……つい、二度見しちゃったね。車の速さゆえ、二度目に見た時にはすでに距離を離されてしまうにもかかわらず。
あのハトの遺体は、そこにあったんだ。
ただし、昨日とは似ても似つかない、羽すべてをむしられた姿でもって、だ。
あの身を裂くわだちの跡がなければ、同じ鳥のものだと判断がつかなかったかもしれない。けれど、いくらか見慣れていた、昨日のドバトのかっこうはもはやなくなっていた。
ほんのわずかの間に見えた地肌の部分は、全体的に青紫がかっていたなあ。それが血管によるものかは分からないけれど、僕には身体を走る静脈を思わせる色合いに感じられた。
すぐにでもこの場で観察したい衝動に駆られたけれど、家に帰ってからの用事もあったし、勝手にとはいかない。
もし、明日も残っていたなら様子を見に行ってみよう……なぜか、心の奥からふつふつとそう湧き出すものがあった。
翌朝。
朝ごはんを食べるとすぐ、散歩と告げて例の現場へ僕は向かった。
昨日も涼しめだったが、今日は輪をかけて寒い。上着なしとはいかなかったよ。
道行く人の数は少なく、僕は赤信号による足止め以外はずんずんと進んだ。やがて目標とする橋のたもとが近づいてきたのだけど。
ふと、振る腕の袖に鳥の羽はくっついているのを、目の当たりにする。昨日の車に乗る時とそっくりだ。
このときは、急いでいるから何かの拍子にどこからか飛んできて、くっついてきているのだとばかり思っていた。手早くはがして、引き続き先を急ぐ。
けれども、先へ進めば進むほど、くっついてくる羽の数は増していくんだ。あのハトの死体が見えるか見えないかというところまで来たときには、もう着ている上着の元の生地がほとんど埋もれている有様だったよ。
羽毛100パーセントへの道……などと、場違いな感想が頭をかすめたけれど、すぐ気味悪さのほうが勝ってくる。
僕が思わず上着を脱ぎ棄ててしまうと、それを待っていたかのようなタイミングで追い風が吹く。
つい足を止めてしまう間に、ひらりと空へ舞った上着は、だいぶ距離をとって落下。見間違いでなければハトの遺体があったあたりだ。
そして、目をしばたたかせる僕の前で、上着はまた浮き上がりはじめる……いや、「起き上がり」はじめる。
ダウンジャケットの起き上がりざまに、そこから足が見え始めたのさ。
ズボンを履いていない素足のまま、太もものあたりまでのぞくのは、紛れもなく人間のものだ。ダウンはそれに被さる格好で、袖などはだらんと垂れたままでいる。
理解の追い付かない僕の前で、ダウンの下からのぞく両足は出し抜けに走り始めた。僕に背を向けたまま、橋の向こう側へ。
そして、その後を追うようにして上着の表面へどんどんと虚空から引っ付いてくるものがある。あの羽毛たちだ。
僕の全力疾走でも間を空けられてしまう、その両足の羽織るダウンは、今度こそ残った部分も羽毛に包まれてしまったんだよ。
とうとう見失ってしまった僕は、追跡を断念して橋へ戻る。
あのハトの亡骸はきれいになくなっていた。身体どころか、羽ひとつ、血の一滴すらもそこに残さず。
まるで初めからそこにいなかったのような……いや、完全にいなくなり、ああして人の服を着て次なる生を歩み出したのかもしれない。




