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そは赤けれど血にあらず

 空気の成分、みんなおおよそ理解はできているかな?

 そう、窒素がおよそ8割で酸素がおよそ2割。「およそ」だから、この2つの足りないところに、他のもろもろが入っているわけだ。

 当たり前に暮らしているから気にかけないが、こいつはまた特殊な環境に身をおいているわけだ。

 特に窒素に関しては、地球に衝突した太古の隕石たちによってもたらされたとされるが、こいつはとっても安定した気体だ。長い長い時間、そのままの形でいる。

 かつてはたっぷりあった水蒸気も水となって海となり、二酸化炭素もそこへ溶けての石灰岩入りか、あるいは現れた生物たちに取り込まれて酸素にされてしまうか。次々とライバルが脱落していったがために、空気の王者たりえるわけだな。

 そのミラクルな条件のもと、我々のような生き物が住んでいける。


 だからちょっとでもバランスが崩れると、とたんに危うくなる。

 一酸化炭素などは空気中に0.02%含まれているだけで、体調に支障をきたすとは聞いたことがあるかもしれないな。

 我々にとってたいしたことではないにせよ、それが多大な影響をもたらしうる可能性は高い。注意ができずとも覚悟は必要かもな。

 先生の昔の話なのだけど、聞いてみないかい?


 先生の子供のころは、材木置き場があちらこちらにあった。

 みんなも道路沿いに材木店の保管場所など、のぞいたことがあったりしないかい?

 私たちの背を大きく何メートルも超えて、そそり立つ板材たち。よほど大きな建物に使われるのだろうけど、いざそれを前にしてみると萎縮しそうな威容を覚えることはないか い?

 先生はそのあたり、どうも感受性が強い方だったらしくて。学校の帰り道でもよく通るお店の奥。高い屋根の下でいくつかに区切られた木材たちを見るたび、ちょっと鳥肌が立つのを感じていたよ。


 その材木置き場の屋根の下は、長い長い鉄骨によって4つのブロックに分かれていて、前方にはこちら側へ木が倒れてこないようロープが渡されている。

 その日、通りかかったときにはひとつのブロックをのぞいて、材木はお留守にしていた。留守番をおおせつかっているブロックも、いつもに比べると材木の数は少なく、ゆとりがある。

 普段は敷地内に複数台停まっているトラックも、いまは一台を残して出かけてしまっているようだった。こうまで広々とした状態はめったに見ない。

 珍しいこともあるもんだと、目線はそちらへ向けながらも足は止めない先生。店前を通り過ぎるのに、何秒もかからない短い時間……だったのだけど。


 その店の真ん前まで来たとき。

 残っていた材木が、倒れた。ロープのかかっている前方にではなく、敷居のある横方向へだ。

 眠気に襲われた人が壁に寄りかかるような動きで傾ぎ、その身を敷居へ預けていく。それを受け止めた鉄骨がゴーンと、お寺の鐘を思わせる長鳴りを残したのが先生にはちょっと意外だったよ。

 けれども、変なのはそればかりじゃない。

 鉄骨と触れ合ったとき、数メートル上の材木のてっぺんから、赤みがかった花粉らしきものが舞ったんだ。

 色をまとって噴き出したのは、ほんの一瞬。それらはすぐに散り散りになって、あたりの空気へたちまち溶け込んでいく。すぐに元通りの景色へ戻ったはずだけど。


 先生は不意に、咳がこみ上げてきた。

 元よりのどが強いのか、年中を通しても、ものがむせる以外で咳を出すことはめったになかったんだ。

 それがこうも、連続でのど奥からせり上がり、飛び出さんとするとはめずらしい。

 歩きながらも手をあてて、最初こそレアケースを不思議がっていたけれど、いざ離した手が真っ赤になっていれば、そうのんきなことを言っていられなくもなる。


 血? と最初は思った。胸のあたりを中心に身体をなでてみるも、特に痛みを覚えない。

 そしてこの赤いものも、落ち着いて確かめてみれば血特有の味や臭いが弱いように思えたんだ。以前、鼻血を出したときに味わったものとは、ほとんど別物。

 それはそれで恐ろしい。自分の身体がいきなり、得体の知れないものを吐き出し始めたということだから。

 家に帰るまでの10分あまりは気が気じゃなかったねえ。あのお店を離れても、先生ののど奥からこみ上げてくるものは変わらず。あの手の汚れ具合を見てしまっては、うかつに吐き出すこともできない。

 口をぐっと閉じて、我慢した。咳たちはなおも出ようとし続け、口が開かないと分かるや鼻のほうに回ってくる。

 鼻水と一緒に、この正体不明の赤水が帰るまでに二、三度、鼻から噴き出たよ。こんな醜態さらせやしないと、もっているハンカチやティッシュを総動員して、なんとか防いだよ。

 家に帰ると、これらのことはぴたりとおさまったから、なおさら気味が悪い。顔を洗って、うがいも良くして家族にくだんのことを話したのだけど、再現性がなくてね。

 もう一度外に出なおしてみても、あの赤いものを吐くことはなくなってしまい、念のため病院で診てもらっても異状はなしとされた。

 そして例の店に関しては、もう一度先生がかけつけた数時間後には、もう材木もきれいさっぱりなくなったもぬけの殻となっていたんだよ。


 いまのところ先生はこうして暮らせているが、あのとき吐き出したものは何だったのか。それを取り返すことはできたのか。もしできていなかったら、まだどうにかなるんだろうか。

 不安になっていることがあるよ。

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