山川の金タライ
ねえねえこーちゃん、ちょっと質問があるんだよ。
昔話でさ、ちょくちょくおじいさんが山へ芝刈りへいって、おばあさんが川へ洗濯にいくでしょ? あれって意味あるのかなあ、と思ってさ。
おばあさんのほうは分かるよ。洗濯ってひと昔前は女の人の重労働ってイメージだったから。洗濯機が普及するまでだいぶしんどかったんじゃないかなあ。
でもさ、おじいさんの芝刈りって謎じゃない? 山って別におじいさんの所有物じゃないっしょ? 仮に山を持つような富豪のおじいさんだったとして、わざわざ自分が出向いて、やることが緑の芝をかること?
なんか、労力に見合わないような気がするんだよねえ。なんでわざわざ……。
――え? 本来の文字は芝刈りじゃなくて、「柴刈り」? 柴は薪になるようなもののことで、いわば燃料補給のために動いてた?
なーんだ、そうなのか。得心がいったというか。
たしかに、そーいうことならおじいさんの仕事というのも重大なことだな。この寒い時期のことだとしたら、なおさらのことだよね。
このおじいさんとおばあさんのくだり。暗に「いつも通りに過ごしている」ということを伝えている。特別なことをしていなくても、あるときふと出会うものがあるのだと、昔の人も教えたかったんだろうね。
実は僕も、最近に地元でちょっと妙な昔話を聞いたんだけどさ。その話、耳に入れてみない?
むかしむかし。
おじいさんが山へしばかりへ向かったところ、いつも行く山の中腹あたりで、ひとつのタライを見つけたんだ。
金色の表面を持ちながら、一部がはげかけて下の木材があらわになっている。
メッキをしていたのかと、おじいさんは思いながらも、怪訝そうに近づいていった。
たとえ金メッキであろうとも、このようなこしらえをしたものは、まわりの誰も持っていないだろう。少しく派手な暮らしをしているか、あるいはやんごとなきお方の持ち物なのか……。
タライには紺色の手ぬぐいがかぶせられている。
ふちには金色の刺繍が入った、これもまた高貴な者が所持している高級そうな雰囲気を漂わせる生地だったとか。
おじいさんがおそるおそる、その生地の下をのぞこうと、持っていた小さい鉈の先をタライと布の間へ差し入れようとする。
その生地がほんの少しめくりあがったとき。
タライが軽く跳ねたかと思うと、山の斜面を駆け下り始めたんだ。
これまでタライの底は、大きな樹の根にはまる形で固定されていた。多少の揺れがあっても、容易に抜け出すことなどかなわないはず。
それをおじいさんが鉈を差し入れて、ほんの少し持ち上げようとした拍子に、タライそのものがぴょんと跳ねたんだ。
落ち葉の残る斜面を、タライは軽く回りながらどんどんと転げていく。途中、山肌へ張り出した石の凹凸たちに突き上げられ、また跳ねることはある。
それでもひっくり返ることはせず、中身を隠したままでどんどんタライは先を急いでいったのだとか。
おじいさんは、後を追わなかった。
確かに少し興味はあったものの、どちら様のものか分からないブツにも違いない。
触らぬ神になんとやら。おじいさんは当初の通りに仕事を続け、やがてひと段落をつけて家へもどっていったのだとか。
が、その家で思わぬ再会を果たしてしまうおじいさん。
川に洗濯へ行っていたおばあさんだ。彼女があの金メッキのタライを拾ってきてしまったのだよ。
先ほど見た、メッキの剥げ具合は間違えようがなかった。
このとき、タライはかぶさっていた手ぬぐいを無くしていた。
タライが流れてくるのを見たおばあさんは、このときすでにタライは裸だったのだと話す。あの滑りの果てに、川へ飛び込んでしまったとして、どこかで外れてしまったのだろうか。
自分が離れても、おばあさんが持ってくるのであれば、これも縁かとおじいさんは今度こそタライをのぞき込む。
タライの中には、何も入っていなかった。けれども、存在していたものの証は、盛大にメッキのはがれたタライの底が物語ってくれている。
もし、円を成すタライの底のふちの部分に、まだ残っているメッキがなければ、もとから木であったと説明されても納得できてしまうほどのはがれようだった。
すぐに手放すべきとおじいさんは考えていたようだけど、おばあさんはこのタライを取っておきたいと思ったらしい。
二人の間に子供はできないまま、ここまで生きたこともあるのか、おばあさんはめぐり合わせに強い思い入れを抱くようになっていたそうだ。
子がいない代わりに、自分たちと関わり合いになったものは大切にしていきたい。それが誰かに打ち捨てられたとおぼしきものなら、なおのこと。
金メッキのタライは、生活に用いられることはなく、家の神棚へまつられて二人は日々お祈りを欠かさなかったそうなんだ。
そうして幾日も老夫婦と過ごすタライだったけれども、じょじょに変化が見え始める。
メッキが勝手に剥げていくんだ。
様子をうかがうのに、間をおいていたら気づかなかったであろう、ゆるやかな早さで。
まず、底から完全に金が剥げる。
元の木の色をさらしたかと思うと、今度は側面の無事だった部分のメッキも少しずつ姿を消していってしまった。
こぼれ落ちたにしては、家の中を探しても見つけることはできず、泥棒のたぐいかと戸締りをきちんとしても、メッキが剥がれるのは止まらなかったそうな。
そうしておばあさんのほう。
にわかに熱を出し、寝込んでしまったかと思うと、みるみるうちにそのお腹が大きくなっていった。
これまで命を宿したことがなかった腹の中、一昼夜をかけて苦しんだのち、這い出てきたのは金色の幼児の姿であったという。
しかし、その手足は左右に3本ずつをそなえる、計6本であり、他の赤子のように這う姿を見せられても、それが人間のものとは到底思えなかったそうな。
そして金色の幼児は、動けぬおばあさんと、驚きに腰を抜かすおじいさんをおいて、家の壁の一角へ這いながらぶつかっていったかと思うと、そのまますり抜けていき、ゆくえが分からなくなってしまったとか。




