痛がりお夏 (ヒューマンドラマ/★)
うう、頭がガンガンする。
こーちゃん、ゴメン。クスリを取ってもらえる? そこのガラス戸の中なんだけど。
ありがと。熱はないはずなんだけど、こうも痛くちゃ集中できないわ。
少しだけ、横にさせてちょうだい。三十分くらいで良くなるから。
お待たせ、どうにか落ち着いたわ。
自分が頭痛持ちって、なかなか辛いわねえ。こーちゃんは大丈夫かい?
今だと、いいお薬がたくさんあるから、手段はたくさんあるけど、昔は大変だったと思うわ。
薬局が町のあちらこちらにあるなんて、当時では考えにくいことだったでしょうね。
置き薬のシステムで、どうにかならなかったか?
確かに家々に薬を置いていく、あのシステムは便利ねえ。有名な「反魂丹」は腹痛に効果がてきめんみたいだけど、頭痛に効く薬はあったのかしら。
でも、「用いることを先にし、利益は後から」という理念は、今でも見習いたい心の在り方だと思うわ。
そういえば、薬と痛みに関して、ウチの実家ではこんな言い伝えがあったっけねえ。
こーちゃんの興味をひくことができるかしら。
置き薬が広まったのは、さっき話に出した「反魂丹」の存在が大きいこと、こーちゃんならすでに知っているかしら。
江戸城で腹痛を起こした秋田の殿さまに、富山藩の前田様が処方して、奇跡的な回復を遂げたとされる伝説。
以降、「富山の売薬」として、置き薬がより多くの地域で見受けられるようになる。
貧乏な人が多い、当時の世相も味方していたわ。今みたいに、家庭に薬を備蓄できていたのは、お金のある家のみ。医者を呼ぶのも、時間がかかってしまう。
そんな中で、薬を予め預けて、必要なだけ使ってもらい、後日にお代を払ってもらう。これは常に一定の症状に苦しむ人にも、大きな助けになったはず。
だけど、薬に頼らないことも、また人間の誇り高い選択だと思うの。
江戸時代。ある田舎の村でのこと。
夏ちゃんという女の子がいたわ。
その子はとても背が高い子でね、大人の男よりも立派な体を持っていたわ。おかげで女というより、妖怪扱い。
彼女は小さい子が大好きで、いつも子供と戯れて遊んでいたわ。そして、遊んでいる子が転んだりしてケガをすると、泣かないようにあやしながら、傷口におまじないをかけるの。
「ちちんぷいぷい、御代の御宝」ってね。今でいう、「痛いの、痛いの、とんでいけー」というのと同じ意味ね。
子供たちには大人気だったけど、村の男たちはもっと小柄な子が好きだったみたいで、なかなかお嫁の貰い手が現れないのが、夏ちゃん一家の悩みだったらしいわ。
夏ちゃんと姉妹のように育った、親友の冬ちゃんも小柄で色白の美人で、一年前に殿さまの妾になったこともあって、「早く、夏も相手を」という空気が、家の中に漂い始めていたと聞くわ。
夏ちゃんの悩みは、立派な体躯以外に、もう一つあった。
それは彼女が極端な、腹痛持ちだったこと。
一日に十回以上、厠の中で籠城することも珍しくなかった。時には気を失うほど、ひどいこともあったみたい。
医者に診てもらっても原因は分からず、夏ちゃんはいつも置き薬の中から、腹痛に効く「反魂丹」を取り出して、持ち歩いていたと聞くわ。
おかげで、ついたあだ名が「痛がりお夏」。
子供たちと遊んでいる時にも、容赦なく痛みがやってきて、去らなければいけないから、興ざめした時も多かったという話。
でも、村の女性たちは、彼女をいつもいたわってくれたわ。女として、多かれ少なかれ同じ思いをした人ばかりだったのだから。
痛みを経験した者でなければ、相手を傷つけることはできても、癒すことはできない。
夏ちゃんは多くの人に支えられながら、何とか生きていたわ。
そんなある日。一つの知らせを受けて、夏ちゃんは喜びと共に、一抹の不安を抱くことになった。
妾になっていた冬ちゃん。殿様の御子を身ごもったと聞いたのよ。
夏ちゃんの不安は、冬ちゃんの身体のことだった。
確かに冬ちゃんは美人。だけど小柄で身体も丈夫とはいえない。
お産は、女性が命がけで行う神秘。この生命の営みは、冬ちゃんを無事なままで、おかないかも知れない。
どうか、冬ちゃんが元気でいられますように、と夏ちゃんは毎晩、神様に祈っていたって。
夏ちゃんの腹痛。日を追うごとに、一層、重くなっていったわ。
外で子供たちと一緒に遊ぶことはもちろん、家の手伝いもまともにできなくなっていた。
医者も相変わらず原因が分からずに、ヤブだの何だのと、夏ちゃんの家族に罵られたそうよ。
せめてもの助けと、家族が「反魂丹」を差し出してくれたけれども、夏ちゃんはそれをこっそり捨てていた。
この痛みは、自分の願いが神様に通じたものだと、彼女は信じていた。
だからこそ、これを自分の力のみで耐え抜いて見せる、と心に誓いを立てていたのね。
数ヶ月後。今までで最大の痛みが、夏ちゃんに襲い掛かったわ。
家族はわけあって外出中。厠に閉じこもった夏ちゃんは、痛みで気を失い、新しい痛みで意識を取り戻す。これを何回も何回も繰り返したみたい。
帰ってきた家族が厠の扉をこじ開けた時には、夏ちゃんは虫の息だった。けれど、弱弱しくも頑なに、医者も薬もはねつけて、何日も生死のはざまをさまよったんだって。
夏ちゃんが回復を遂げて、数日後。
冬ちゃんが多くの家来に囲まれ、里帰りしてきたわ。その胸に、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて。
妾腹だからこそ、許されたのかも知れないわね。
冬ちゃんの出産は難産だった。このように母子共に健康でいられることは、奇跡的な確率だったというのは、お医者様の話。
そして、冬ちゃんが夏ちゃんの家を訪れた時、夏ちゃんの顔を見て、赤ちゃんは嬉しそうに笑って、手をばたつかせたそうよ。
夏ちゃんも、手をあげて答えたわ。そして誇りに思ったの。
自分はこの笑顔に出会うために、冬ちゃんと一緒に、命を賭けて戦ったであろうことを。




