変わる夕陽 変わらぬ天命
つぶらやくんはここのところ、ぼーっとすることあるかい?
いやあ、何を変なこと聞いてやがるんだ、こいつ? といった感じだよねえ。最近、聞いた話でちょっと気になるところがあったんで、ついね。
私たち、何をするでもなくどこかを見ながら、ボケッとすることあるよね。目の前がぼやけて、あるいは頭の中に浮かべる景色や計算でいっぱいになって、強い刺激を与えられない限りは、そこから切り替えることかなわないだろう。
はたから見ると、無駄な時間。さぼりの時間に見えないこともない。特に、自分が忙しくしていたり、心にゆとりがなくなっているときなんかだったりすると、なおさらだ。
だが、身体は常にその役目をつとめている。肺を動かし、心臓を動かし、絶え間ない身体の変化を支え続けているわけだ。
それらの変化は、当人にしか分からないものがあるかもしれないな……。
おおっと、「つべこべ言わずに、とっとと話を聞かせろ」って顔だね。精力的で何よりだ。
じゃあ、耳に入れてみるかい?
私の友達が学生時代のころの話だ。
クラス替えをして、はじめて一緒になった面々のうち、黒髪ロングの女の子がいたらしい。
校則に縛られるものでないとはいえ、腰までをも越える長さの黒髪というのを、友達は初めて目にした。
授業などで、器材などに巻き込まれるのを防ぐためか、普段は編んだりまとめたりするから、ストレートにする機会はそう多くはないそうだ。
友達としては、小さいころの初恋のお姉さんが同じような長い黒髪だったこともあり、顔立ちもどこか似ている彼女に、少なからず興味を抱いていたらしい。
幸い、話もそれなりに合って気安い相手だ。とはいえ、思春期真っ盛りの他のクラスの連中の前であまり一緒にいると、変な勘繰りが怖い。
互いに、周囲と同じレベルのようないじりやおバカに付き合ってやり、誤解の種は摘み取るよう気を配っていたのだとか。
その彼女の黒髪ストレートを、ときおり目にするときがある。
夕焼けの映える時間帯。天気のいい日はよく、彼女は窓際に立ったらしい。
たいてい帰りのホームルームが終わっているころだ。教室には残っている人もそう多くなかった。
その中で、窓辺にたたずむ彼女が印象的だったのは、身体の向く方向だ。
彼女は教室内に身体を向けていたのだという。普通、窓でたそがれるとしたら顔ごと外を向くべきだろう。
それが彼女は教室内を向いている。しかも目を閉じて腕を組んで、ほとんど眠っているかのようだ。
眠っているようとは、ただ舟をこぐだけなら、こっくりこっくりと首がうつむいたり、戻ったりする細かな動き程度に、背後の黒髪も揺れるだけのはず。
どうも彼女はときおり、大きく天井を見上げるように、顔をのけぞらせんだそうだ。
自慢の黒髪も、それにつられて音が出そうなくらいに、半ば広がり、半ば外へ流れ出て、その姿はひとつの芸術品のごとき様相を呈していたとか。
だから、天気のいい日の放課後は、友達はすぐには帰らない。
どのような思惑があろうとも、彼女の姿を少しでも長く見たいから。この目に焼き付けておきたかったから。
だから、ある日。彼女から、放課後に付き合って残ってほしいと頼まれたときは、たいそうどきまぎしたそうだ。
――これって、そうだよな。ドッキリとかじゃないんだよな? 勘違いとかでもないんだよな?
場所はいつも通りの教室とのことだが、この日は学年全員が早帰りだ。下校時間までは残れるものの、よほどのことがない限り学校に残り続ける奴はいないだろう。
世の楽しみは、外にもいっぱいあふれているのだから。ここにとどまり続けるもの好きは、そうはいない。
――ど、どうする? 身だしなみケアの道具なんて、持ってねえぞ? リ、リップか? リップなんか?
指定された時間の直前に、トイレでひとり焦る友達。
できることなぞ、乾燥しがちな体質のために持っていたリップを塗り、せいぜい鼻毛が出ていないかどうかを鏡で見るくらいだ。
生来の癖っけもどうにかしたかったが、ブラシはない。手ぐしには限界があるし、水でぬらすのはあからさますぎてNGだろう。
服はどうだ、とすんすんと制服に鼻を寄せるも、自分の臭いなぞ分からない。
彼女は嫌そうなことがあっても、そうそう表に出さない性格らしいことは、これまでの付き合いで知っている。
それだけに、表を取り繕ったまま、裏では嫌っているとしたら。もし、それを何かのきっかけで後から知ることになったら。
女が、怖くなるかもしれない。
友達はごくりと固唾を呑み込んで、教室へ向かった。
彼女は窓際でまた、大きく後ろへのけぞるようにして、外へ髪を投げ出している。
黒髪の広がるさまは友達にとっての絶景には違いないが……今日はちょっと様子が違った。
彼女は広がる黒髪の先、そのすべてを窓より外へ出していたんだ。いつもなら教室内にいくらか髪をおさめているというのに。
まさか、わざと……?
「気づいたんだ?」
不意に彼女が頭を戻しつつ声をかけてきて、友達はビビりざるを得ない。
なぜこうもときどき、こちらの考えを見透かしたようなことをいうのか。やっぱり女は油断ならない相手だと思う。
ちょいちょいと手だけでの招き。普段と変わらない仕草だ。
安心したような、肩透かしを食らったような。少し複雑な心地で、彼女のそばまで友達は寄っていく。
「ね、毎日、夕方が死んでいる……といったら、信じる?」
隣に並んだ友達に対して、彼女は話す。
またちょっと顔を上ずらせ、髪の毛を外へこぼしながら。
「毎日、陽が沈んで夕方じゃなくなり、夜が来るってことか? そりゃ、もちろん。一日だって世界がさぼったら、大ニュースだろ」
「そ。大騒ぎだよね。人の身体とおんなじで、ちょっとでも休んでしまったら、私たちはたちまちこの世からおさらばする。その身体を悪くするものもこの世にたくさんある。
人にもたくさんいるんだ。健康を心がけていても、早死にしてしまう人もいる。不摂生きわまりない生活をしても、長生きする人もいる。
個人差ってやつだけど、今もよく分かりきっていないものが、昔の人には分からないのも無理ない。『天命』て表現、あながち間違いじゃないと思う」
「……つまり、夕方の死に方もその『天命』てやつになるのか?」
「そ」と彼女はあごをくい、くいとしゃくる。
おじさんに対してよりも、気持ち後ろめの角度。どうやら髪を見ろとのことらしい。
つられて目をやって、おじさんはそのまなこを大きく開くことになる。
いまある彼方からのオレンジ色。空を染める夕焼け色が、彼女の黒の色を塗り潰して、髪の隅々に行き届いているんだ。
空のキャンバス。いや、鏡や写真かのようだったと友達は語る。
そのうえ、よくよく見ると、そのオレンジの中にかすかに映り込む人型の影も混じっていた。
自分の影だ、と友達が思うのと、「もうちょいじっとしてて」という彼女の制止はほぼ同時のことだったとか。
それから数十秒ほど、そのままだっただろうか。
彼女が教室の中へ引っ込んでも、髪は変わらずにあの夕焼けと友達の影をそこに焼きつけている。いや、もはやこれは髪と呼んでいいのだろうか。
彼女は友達の質問に答えることなく、自分の席へ。机の引き出しから工作用のはさみを取り出すと、なんのためらいもなく髪に刃をいれたんだそうだ。
濡らし、固めているわけでもない。
なのに髪はざくり、ざくりと彼女の後頭部からじょじょに離れていっても、余計な毛を一本たりとも散らすことなく。やがてどさりと、まとまって床へ落ちてしまう。
ここに至ってもわずかな乱れもなく、夕焼けと友達の影をかたどった髪の束たちは、もはや反物といっても差し支えない。
それを丁寧に畳んで胸に抱きかかえながら、すっかり髪を短くした彼女は、友達に例をいう。付き合ってくれて、ありがとうと。
自分は何もしていない、という友達に、彼女は胸の中の髪たちを指していう。
「この中にいてくれるようになったから。ずっと」
言葉の意味を測りかねているうちに、彼女はさっさと荷物をまとめて学校を出て行ってしまう。その突然の転校を友達が知らされたのは翌日のことだったのだとか。
彼女の語った天命と、友達と一緒にいたかったと語るひととき。
それがどこまで本当で、どこまでが戯れなのかは友達にはいまだ分からずにいる。
ただ毎日の夕焼けが、もう出会うことがないように、もはや彼女には。いや、自分の知る「彼女」の姿ではもう会えないのではないかと、うすうす感じているのだとか。




