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臭き雨と鉄砲水

 うへ〜、これがブロンズ像の涙現象というやつか。

 酸性雨が原因なんだっけ? こうも先人の結晶が汗をかくかのように、汚れていってしまうなんて……恐ろしいものだね。

 歴史的には、レモン汁以上の濃さをほこり、人を死に追いやるだけの恐ろしい雨もあったというから驚きだよ。

 人間ばかりが原因ともいえないだろうけど、こうして被害をこうむっている以上は、対策しなきゃいけないのは必然だね。


 そういえば雨というと、つきものなのは傘。

 今でこそ代表的な雨具だけど、これを男が差すようになったのは、およそ18世紀ごろと結構最近のこと。

 それまでの男は笠をかぶって、蓑をしょって、せっせこ先を急ぐのが主流だったんだろうね。しかし、それが原因なのか、僕の地元には少し不思議な雨の話が残っている。

 興味があったら、聞いてみない?



 むかしむかし。

 とある村の雨降りの中を、男が歩いていた。

 彼は他の村民たちとともに、川の堤の様子を見て回っていた帰りだった。夜通し、交代で男たちが見張ることになっており、その当番の交代がきたわけ。

 雨降りにくわえ、仕事終わりともなれば自然と足も早まる。男は村はずれに位置する自分の家まで、身をかがめるようにして急いでいたのだけど。


 ぽつんと、男の頬をかすめる雨粒があった。

 それだけなら、これまでも何度か受けてきたものであるし、気に留めることもなかったかもしれない。

 けれど、これまでのさらさらした滴と異なり、雨粒はひどくぬめっていた。

 べっとりと張り付いたそれは、そのまま頬を伝って落ちるでもなく、走る勢いで風に飛ばされるでもなく、のろのろと肌に寝そべっている。

 妙だな、と男は指先でそれを拭い、その黄ばんだ色と放つ異臭に、つい顔をしかめてしまう。


 小便、とも違った。どちらかというと、鉄のこすれあった香りに酷似していたんだ。

 戦の匂いといってもいい。世は戦国のさなかだったから、この手の匂いをかぐ機会もそれなりに多かった。

 しかも、いぶかしがっている間に身に着けている笠や蓑からもほどなく、同じような香りが漂い始める。おそらくは、この雨そのものに同じような滴が混じっていると見えた。


 男はなおも先を急ぎ、家へ帰り着いたときには身体のそこかしこから、鉄の匂いが湧きたっていた。

 すでに寝ていた妻子すらも目を覚ましたというほどだから、相当なものだろう。

 ひとまず濡れた着衣を換え、あらかじめ汲んでいた水で身体を洗おうとした矢先。

 屋根を打つ雨の音が、どんどんと変わっていったんだ。

 しとしとといったものから、こんこんと硬質な音を立て始める。

 ひょうかとも思われたものの、この地域で降ることなど、ここ数十年はなかったことだ。


 音はなおも強さを増し、屋根だけでなく家の壁もまた悲鳴をあげはじめる。

 起きた妻子は大黒柱に身を寄せるようにして身体を震わせ、夫にして父たる男は、彼らをかばうように寄り添いながらも、うすうす音の正体を察していた。

 この身を濡らした、鉄の香りを放つ粒たち。

 自分が浴びた時は、降り始めということもあり、いくらか「やわさ」が目立ったのかもしれない。

 それが、時間を追うごとに身を固めてきた。こうして屋根や壁相手に、大きな音とともに衝撃を与えてくる。なおもその勢いは、衰える様子を見せない。


 そうしてついに、家の壁の一角が破られる。

 かまどのすぐ上の板を、小指がようやく入るくらいに小さく抜き、自分たちの足下へ転がってきた物体。

 小石のように見えるが、その図体はまっ黄色。先まで男が全身に漂わせていた、擦過による金属の臭いをたぎらせつつ、床板を飛び跳ねながら滑っていく。

 他の板たちも、立て続けに衝突され続けて、絶え間ないけたたましさを放っていた。

 それに刺激されてから、獣のおたけびらしきものも混じって聞こえ、家族はますます身を固くしていく。


 男は、家のことももちろんだが、一度は離れた堤防のことも気になっていた。

 ただでさえ、妙な性質を帯びた雨粒が川に良からぬ影響を与えているやもしれない。

 先ほどまで見ていた堤が、心配になってくる。もしあそこを破られれば、自分が持っている田畑にも被害が出るかもしれない。

 そうなれば今はよくとも、明日以降がどうなるか……!


 しかし、飛び出したく思う両足を、踏みとどまらせるものもある。

 あの獣のうなり声だ。何度も耳にするうちに、男はこれが熊の漏らすそれに、よく似ていることを察しつつあった。

 丸腰はおろか、刃物で武装したとしても、単独で退ける見込みがどれだけあるか。

 それが、降りしきる硬質の雨音の中、家のすぐ近くまで来ているような気配がしていたんだ。ヘタにここを離れるわけにはいかない。

 男が忍びやかな足取りで、家の隅に寝かしていた、さすまたを手にすること。

 先ほど穴の開いた壁が、大震動とともに一気に大破したことは、ほぼ同時だったとか。


 想像していた熊の姿は、半分が当たっていた。

 いま壁を破り、直立する高さは七尺に余るほどだろうか。家人の誰より高く、その大きな背で、硬くなった雨の粒がときどき跳ねては落ちていく。

 しかし、残りの半分の異なる要素は、その熊の全身が黄金色に満ちていたことだった。

 実る稲穂が、時季をたがえて熊の身に広がったかのような、見事な輝き。

 対峙すれば命の保障はないほどの獣を前にしながら、三人は逃げ出すでも、戦うでもなく、その光に目を奪われて動けずにいた。

 その歩みが、家の中へずいっと入ってきても。みずからの目の前で悠然と片腕を振りかぶってきても。

 その所作のひとつひとつに、目が奪われる。


 が、振り下ろされるに至らない。

 この場にいた者の耳へ次に叩きこまれるのは、引き裂かれる空気の音。

 それが肉を打つ音。

 そして黄金の熊がうなり、倒れ伏す音だった。

 何が起きたのか、熊の真ん前にいた男には見えている。

 甲高い音の直後、立ち上がっている熊の首元に、三つの穴が生まれたんだ。


 火縄が当たったかのような傷で、証拠に背後の壁にも同じ数だけ開いた穴があった。

 そうして倒れ伏したのもつかの間、黄金色の熊はぱっと三人の目の前で消えてしまったそうなのさ。壊れた壁たちという、そこに存在していた証のみを、その場に残して。

 のちに確かめたところによると、例の川は氾濫こそ起こさなかったものの、あの硬い雨を取り込み続けたためか、その水は時を追うごとに、土砂を含んだにしてはあまりに黄色を帯びていったらしい。

 あのこすった臭いと一緒に、流れる勢いも増していき、見張り番たちもいぶかしく思い始めたとき。


 勢いのまま跳ね上がった、三つの水滴があった。

 弾丸ほどの大きさは、居合わせた誰もがそうとはっきり分かる形、大きさを保ったまま、堤を越える高さにまで舞い上がる。

 もう、邪魔するものなどないとばかりに、居並ぶみんなの間を抜け、ぐんぐん遠ざかっていったらしい。

 およそ、自然にできる動きと思えなかった。舞い上がりも、再加速も、遠方への飛翔も、何者かが操ったとしか考えられない、奇怪なものだったんだ。

 そして、もしその三つの弾があのとき男が目にし、熊をうがったものであるならば、たとえ銃であっても届かせることなどできないような勢いで、ここまで来たことになる。



 正体のつかめぬまま、やがて雨はあがって、晴れ空が戻ってくる。

 いろいろな説がささやかれて久しいけれど、僕個人としてはあの熊は「回収」されたのだと思っているよ。

 人ではない何かのペットか、実験動物か。降りしきる雨も川から飛び出した弾丸も、その捕縛のための仕込みであり、用を果たすや、すぐさま姿を消したのではないかとね。

 


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