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怒気の歯うさぎ

 こーらくんはさ、怒りと叱りの境界線はどこにあると思う?

 昨日、後輩とちょっち言い争いになってね。部内で決めた仕事をちゃんとやっていないし、みんなにも迷惑をかけたからその点で注意をしたんだよ。

 けれど彼は、すぐに謝ってくれなかった。口も頭もよく回る子でね、勢いで聞けばうなずきそうだが、少し考えればボロが出る。そんなこちらを言いくるめようとするような、屁理屈ばかり。全然謝ろうとしなかった。

 実際に人へ被害が出ているのに「ごめんなさい」をしないとか、さすがにまずいだろ?


 そうきつくいったら、今度は泣き出しちゃってさ……注意したこちらが、キレただのなんだので、悪者扱いよ。先の理由を持ち出したら、今度は言い訳見苦しいとかなんとか……。

 ねえ、これは本当に僕が「怒った」のか? 「叱り」の範疇じゃないのか?

 いっそのこと、命にかかわる大事だったならもっと受け取り方も変わってきたんかな? でも、そうなるより前に止めることができたなら、泣かせた方がよかったのかな……。


 ふう、やだねえ。この手の役回り。

 大勢とか将来のために、泥をかぶるような立場。いくら優遇されたとしても、心に負った傷が治りそうにないわ。

 怒られる、叱られる側の気持ちも分かるけどね。こうして、やる側になったらなったでしんどいんだ、これ。ひょっとしたら、うちのおじいちゃんもこんな感じだったのかな……。


 ん? うちのおじいちゃんは、よく怒る人だったからね。子供心に恐ろしくて仕方なかったさ。

 でも、おじいちゃんもそこにどのような心境を抱いていたのか……これまで、言葉でしか聞いていなかったことを肌で感じ始めたんだよ。

 そのときの話、聞いてみないかい?



 僕が最初におじいちゃんに叱られたのは、おはしの持ち方を覚えて、自分でご飯を食べられるようになったころだったか。

 茶碗にくっつくご飯つぶ。これらは農家の人の汗と涙の結晶なのだから、最後の一粒までしっかり食べなさいとお母さんから教えられている。僕はそれを必死に、箸先で拾おうと努めたんだ。

 しかし、慣れていない上に生来のぶきっちょ。どうにか拾い上げようとして、周りのご飯つぶを巻き込んでこね回してしまう格好に。最後にはたまらず、指を伸ばしてしまった。


 とたん、頬を強く張られた。

 椅子から転げ落ちるほど強烈もので、倒れてからその衝撃の正体が、向かいに座っていた祖父からの平手打ちだと分かったよ。


「食べ物で遊ぶんじゃない!」


 大喝一声。

 にわかに食卓の空気が凍り付く。対する僕は、いきなり湧き上がる口の奥からの痛みに、ひたすら両目を潤ませることしかできない。

 それでも何とか言おうと口をぱくぱくさせていたら、席を立ち、つかつかとテーブルを回り込んできた祖父に、今度は箸で頭をぶったたかれた。

 箸先じゃなく、柄を打ち付けるかたち。先の張り手ほどじゃなかったけれど、それでも細工を施された木製の身体が、折れ飛ぶほどの力だった。


「めそめそ、めそめそと、まずごめんなさいといわんか!」


 祖父は折れた箸を放って、さっさと台所を出ていってしまう。

 それまでは明るくて、優しい祖父の姿しか知らなかったから、にわかに同じ人だとは思えなかった。

 おじいちゃんに化けたニセモノか。あるいはキツネみたいな動物に憑りつかれたかと、説明された方が、しっくり来てしまうような豹変ぶり。

 僕には、人生最初の大きなショックとして心に刻まれたよ。



 ご飯つぶがああなったのは、遊んでいたからじゃない。僕だって、一生懸命にやろうとしたんだ。

 それの何がいけない。どうして怒られなきゃいけないんだ。

 当時の未熟な語彙なりに、そのような意味の言葉を、両親に訴えたと思う。

 どのような事情があれど、その結果や状態によっては、問答無用で頭を下げなくてはいけないことがあるんだと、僕はこのときに学んだ。

 同時に、怒られないためには、自分がかかわらないようにすることが肝要なんじゃないか、とも。


 

 僕は何をこなすにも、おっかなびっくりになった。

 ひとりでいられる空間がいい。誰かがいるところは苦手。いつ何が相手の逆鱗に触れて、雷につながるか分からないから。

 けれど、当時の活動範囲はほとんど家の中で。おじいちゃんも散歩以外はたいてい家の中となると、ずっと目につかずとはいかない。

 今になっても、思い出したくないくらい怒られた。重箱の隅をつつくくらい細かいし、ひたすら痛くて怖い思いばかりが勝って、泣くくらいしかできなかったよ。

 反骨心とか目覚める前だったからね。ひたすら苦痛の時間が来ないことばかり願うようになっていた。


 

 そこへ、おばあちゃんからフォローが入ったのは一か月くらい経ってからだったか。

 その日はたまたま家にいたおばあちゃんは、おじいちゃんが散歩に出ていったのを見計らって、僕を家から連れ出した。

 遠出じゃない。家の裏の畑だったよ。

 祖父が主に土いじりをしているのだけど、その耕された土の上を二人して踏みしめながら回って、気づいたんだ。


 小さいまんじゅうを思わせる形のフンたち。

 幼稚園で見たことがある、ウサギのフンのそれだったんだ。けれども畑にウサギを飼っているわけじゃない。


「『歯うさぎ』が出るようになったからね。おじいさんはそれの対策に、ああして怒っているのさ」


 おばあちゃんいわく、歯うさぎというのは人を含めた動物の肉を好む、希少種なのだという。

 ひと昔前は、野原などの隠れ場所の多いところで、本当に動物を狩っていた。うさぎにしては大きいその歯を生き物の急所につき立て、瞬く間に命を奪う、おそろしい輩だったらしい。


 普段はフンのような痕跡こそ残すも、姿を見せない狩人。

 しかし、生き物の怒気には敏感で、一度怒った生き物のまわりをつけ狙うようになるのだとか。

 芝居ではダメだ。どのような理由であれ、心から激したものでなければ歯うさぎは寄ってこない。

 おじいちゃんやおばあちゃんの地元では、この歯うさぎが現れる気配があると、ほうぼうで怒鳴り声が響き、歯うさぎをおびき出して、被害を出す前にこちらから狩るのだとか。


「よもや、このあたりでも出るとは思わなんだよ。知る人も少ないだろうし、じいちゃんはああして坊をしつけ代わりに怒ることで、うさぎを呼ばんとしているんだよ。許しておくれ」


 そう頭を下げられたといって、僕は簡単に納得できない。

 怒られたショックはずっと尾を引いているんだ。せめてその歯うさぎなるものをじかに見なくては、認められない。


 おばあちゃんも、そういわれるのを予期していたのか。

 おじいちゃんがこっぴどく怒った晩に、僕の部屋へやってきた。

 裏庭を見下ろすことができる、物置の窓際。そこを網戸の状態にして、上から見下ろしたんだ。

 おじいちゃんがすでに畑に立ち、その手には出刃包丁らしき刃物を握っている。

 おばあちゃんには「歯うさぎ」が来る兆しが見えていたようで、今晩は必ず現れると話してくれたよ。


 本来なら、僕が寝入っているような夜更けごろ。

 直立不動を保っていたおじいちゃんが、すっと腰を落とすや、畑を囲む塀の一角からひょいと、土の上へ降り立つものがあった。


 うさぎだ。

 明かりのひとつもないのに、自らが光っているかのような白色を、こうこうと放っている。

 たしかにひと目で普通のうさぎじゃないと分かったよ。

 そして、前に張り出す歯の大きさ。

 凶器に使われるという評にたがわず。草刈りにつかう鎌ほども張り出している。その長さと曲がり具合は、自らの胸肉に刺さるかと思うほどだったよ。


 あ、と僕はつい驚きの声をあげてしまう。

 その瞬間、地面に足をつけた歯うさぎの顔が、くっとこちらを向くのが見えた。

 おばあちゃんが僕を背後にかばうのと、網戸へかみつく歯うさぎの姿が現れるのは、ほぼ同時のこと。その湾曲した歯が、すでに網戸の一部をかじりとっていた。

 歯うさぎは、何メートルもの距離と高さを縮めて、一気にここまで飛び上がってきていたんだ。なお歯を鳴らし、穴を広げて中へ入らんとしてくるけれど。


 それは、動きを止める致命的なスキ。

 窓下へかがんでいたおばあちゃんは、すっとペーパーナイフを思わせる刃物を服の裾から抜くと、ためらいなくウサギの顔へと吸い込ませていったんだ。

 流れるような動作。

 そこに刃が肉に刺さる音も、ウサギの悲鳴もない。ただ、根元までめり込んだ刃をおばあちゃんが抜くと、うさぎもまた静かにのけぞり、階下へと落ちていくのが見えたんだ。

 おばあちゃんの持つ刃は、どちらかというと黒みの強い、赤黒さの目立つ血に染まっていたよ。



 おじいちゃんも、そのことがあってから、これまでの叱りについて謝ってはくれた。

 かといって、緩むわけではなくて、要所要所で結構な数、怒鳴られたし叩かれもしたけれどね。

 以降も歯うさぎが関係していたかは分からないけど、怒りや叱りの裏にあるのは、何も個人の感情ばかりじゃないのかもなあ、と僕が感じるきっかけになったのさ。


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