業務用トゥナイト
ふっふ〜、ふっふ〜ん、ふっふっふ〜ん♪
あーら、つぶつぶ、どうしたの? あたしがそんなに機嫌よく見えた?
――どこかのCMソングか、何かかって?
お、なかなか鋭い察し方。
これね、私が小さいころに教わった宣伝のノリなのよ。
あえて口に出すなら『ぎょ〜む〜、ぎょお〜む〜、業務用トゥナ〜イト♪』といったところかしら。
あはは、笑っちゃうネーミングよね。横文字覚え始めた子供とかに受けそうな、日本語とのあいの子ワード。あたしだって、はじめて耳にしたときは笑い転げそうになったわ。
けれど、少なくともこれはあたしの住んでいたあたりだと、重要な歌のひとつ。
そうねえ……いうなれば、「くわばら、くわばら」みたいなニュアンスかしら? なにかヤバいときが起こったとき、自分に危害が及ぶのを心配するというか。
あたしがこれを教わったのは子供のとき。しかもこいつを実際に使う機会があったからね。今でも同じようなことがありやしないかと、こう口ずさみながら忘れないようにしてんのよ。
そのときの話を聞いてみたい? あんたも変わらず、物好きな奴よねえ。
これを教わったときのパパたちの話だと、この世には四次元空間の住人が存在しているんだって。
一部の人がすでに主張しているように、ここでの四次元とは時間のことを指すみたい。
私たちのいるこの世界は三次元で、四次元の住人はその三次元を、時を越えて行き来できる力を有するらしいのよ。
そして、彼らはほぼ無限に「タラレバ」を繰り返せる力を持つ。
タラレバって分かるでしょ?
「もし〜だったら」「もし〜れば」に代表される、仮定のおはなし。
私たちは満足のいかない現実に出くわすと、ついその手の言葉を発してしまう。けれど、一度起こったことはなかったことにできず、受け入れていくよりない。
三次元の存在だから。時間を自由にできる力を、私たちは持っていないから。
けれど、四次元にいる者ならできる。
どのように確率の低いことであっても、それが起こるまで何度も何度も時間を戻り、必ず起こしてしまうのよ。
だから私たち三次元の者は、四次元の者を害するどころか干渉することもできないとされるわ。
もしできたとしても、彼らは「害されなかった」「干渉されなかった」時空間へ移ってしまい、その事実を無くせるから。
三次元の住人たる当の私たちは、自らの成したはずのことをなかったことにされ、それに気づくことなく元の時間を過ごしてしまうの。
私たちにとって夢のごとき力を持つ彼らだけどね、それをする理由があるの。
さっき、彼らのやり直しは「ほぼ」無限と話したわね? 彼らがその事象を起こすまでにはタイムリミットみたいなものがあるようで。ちゃんと望んだ結果を得られないまま、その制限時間を迎えると存在そのものが消えちゃうらしいのよ。
パパたちは「すべての可能性が閉ざされてしまうからだ。いかようにでもあがき、可能性をつなぐことで彼らはエネルギーみたいなものを得ている」と話していたっけ。
可能性をつないだ世界の存在は、彼らにとっての点滴のチューブのごとき存在だとか。
だからね、リミットが近づいた彼らは必死で無数の三次元を荒らして、可能性を探してしまう。
あるいはゴミを扱うように。あるいは淡々とこなすルーティンワークのように。それがひとつの世界に、容易に消えない重大な傷痕を残してしまう可能性も忘れて。
だから、その三次元に住む者が皮肉ってやるんだって。
業務用トゥナイト。ルーティンワークで雑に処理されているよ、今晩が……とね。
それを体験したのは、夜も遅くなってからの帰りとなった日のこと。
本来、乗るはずだったバスをタッチの差で見送ってしまい、私は家まで歩くはめになったわ。
バス停を後にして、バス通りを何歩か歩いたおりかしら。
私はふと、馬のいななきを耳にしたわ。実家のあるあたりは、いまだ馬持ち畑持ちの家が多い田舎だし、動物の気配がするのは珍しいことじゃない。
ただね、聞こえてくる方向が、いやに高いところからだなあ、と思ったの。
坂とか、丘の上から聞こえるとかなら、まだいいんだけどね。このとき響いてきたのは、私の真上すぎたから。
そこには道も土も何もない。ひたすら空が広がるだけで、なんぴとたりとも立てやしない。
ならば、音の源はどこにある?
首を傾げながらも、私はまた歩き始めた。家までは3キロ足らずといったところ。
大きく耕地を回り込むように、道路は伸びる。向かって左手に民家の塀が立ち並び、ところどころ思い出したようにわき道が顔を出すわ。
右手には車道を挟んで田畑が広がるけれど、そこの一部の歩道とつながる部分が埋め立てられたり、張り出していたりして、点々とお店やガソリンスタンドが並んでいる。
そのうち私は右手に控える、木造の家屋の前を通りかかった。
あたしが小さいころにはすでに閉店している、レンタルビデオ屋さんの建物だ。入り口わきには派手に文字や模様をあしらった、おしゃれなサーフボードが立てかけられてある。
おそらく、家の人がそのまま住まいとして使い続けているのだろう。ボードは何年も前からそこに置かれながら、目立った傷み具合を見せていない。
見慣れた景色に、夜が流れていく。今晩もそうだろうと、この瞬間まで思っていた。
それが、お店から行く先へ目を戻しかけたとたん。
ぴしり、と固いものが割れる音が、そのお店の方から響いた。耳を打つ高い音だったわ。
視線を向けなおす。一見しただけでは、何も起きていないように見えるけれど、違った。
あのサーフボードが、からりと音を立てて転がる。縦に真っ二つになって、左右にひとつずつね。
もしやと、サーフボードのあったところから伝うように目を動かすと、玄関の柱から屋根に至るまで、細くもはっきりとした一本の切れ目が入っていたの。
そのもう片方の先、屋根の端がぽろりと、あっけなく崩れ落ちる。
目が点になる私の前で、なおもことは続いた。
玄関真上、その横の柱、さらに横の窓……それらが屋根から走る突然の亀裂で、瞬く間に切り分けられていく。
年季が入っているとはいえ、人の住める家屋をこうもホールケーキのように。それも実行している刃物はおろか、腕の主の姿さえ見えない。
そして切れ込みは縦に刻むばかりで、満足しなかった。
横。
今度はお店の手前から奥へかけて、またも輪切りを展開していく。
いや、そんなもんじゃない。あれは、みじん切りだ。
人通り、車通りの絶えた道路をはさんで、こちらにまで家屋の破片が飛んでくるほどの勢い。いったい、そこにどれほどの恨みがあるかと思う、力の入れよう。
――いや、あれは切り方とかでもない。そんなものの意識さえない。ただの八つ当たりのようなものだ。
ついには斜めに、やたらめったらに太刀筋を変えて家を切り刻んでいく、見えない刃。
ひと回りして落ち着いた私の頭によぎるのが、パパたちに言われた四次元の存在たち。
彼らが三次元をむやみに傷つけているとしか思えない、奇怪なできごとに出くわしたなら、歌ってやれと言われた言葉。
「ぎょ〜む〜、ぎょお〜む〜、業務用トゥナ〜イト♪」
そりゃあ、こっぱずかしさはあったわよ。
今の今まで、歌う機会がやってくるなんて考えていなかったし。近所迷惑も考えて、小声ではあったけれど。
けれど、その声が漏れるや、あれほどお店を滅多打ちにしていた奇妙な切り刻みは、ぴたりとやんでしまったわ。
いたずらしているのを親に見つかった子供のごとき、固まりよう。私もまた、その場でしばし足を止めちゃったけれど、何分経っても、すでにがれきの山と化した家屋に追い打ちが来ることはなかったの。
後日、近辺に住む人の間でこのことはちょっとした騒ぎになったわ。
不幸中の幸いか、住んでいた人はたまたま長期の旅行中で家をあけていて、人的被害はなかったみたい。
それでもまたいつか、この三次元が可能性の、あるいは八つ当たりをされるための、業務用な世界となるときが来るのかもしれないわね。




