第三の光
うーん、最近はどうもぐずついた天気が続くなあ。
日中は天気のいいことが多いんだけどね、陽が沈むとどこからともなく雲が湧いてくる。
月がのぼっても月見えず。星が光っても星見えず。
いっちょ前に「ふぜー」てものを感じ始めてさ。自分の見たいものが見られないことに、少しさびしさを覚える。その日、その時に、それが見られないことがね。
好きなことを探すより、いまあることを好きになることだ。
学生時代に言われた言葉で、大人になってからそう感じる機会はたびたびあるよ。
冒険に出ることが難しい状態だからこそ、ないものねだりより、あるものを有効に使い、好みを見出していく……身体にも心にも、きっとそれが好ましいことなんだろう。
でもね、やっぱ「特別」を求めたいんだよなあ。
自分の思うがまま、欲しいがままに動きたい。そんな気持ちが。
結果がよくあらわれれば夢を追い、悪くあらわれれば魔が差したと人は評するだろう。
けれどその人たちだって、心の底では多かれ少なかれ、気持ちを察してくれるんじゃないかなと僕は思っている。
自分が自由で、ことによると不思議にも出会えたあの頃へ、ふと戻ろうとしたんじゃないのかと、ね。
僕もこう、天気の悪い夜を迎えそうになると、ふと思い出しちゃうんだ。小さかったころの記憶をさ。
ひとつ、聞いてもらえないか?
てるてる坊主。
一度でも作ったことのある人は、多いんじゃないかな?
晴れをのぞんで、窓際へ吊るされる坊主頭たち。そのいわれに関しては、僕自身もいくらか耳にしたことがある。
僕の地元では、「てるてる」の字は「照る照る」。明かりを意味するものとされたんだ。
てるてる坊主の頭が照り輝くとき、雨気はたちまち焼かれて散っていき、空に青空を残すばかりとなる。
天からの照りと、地上からの照り。
こいつらに挟み撃ちにされてしまえば、空の雲はたちまち退散するしかない……という寸法さ。
小さいころの僕には、いまひとつ実感が湧かなかった。
てるてる坊主とは、夜をメインに働くもののはず。たとえ掲げた昼間に空が澄み渡ろうと、夜から次の日にかけて雨が降ってしまうようなら、仕事を果たせたとはいえないはずだ。
そして、夜といったらその点からの光源で、大きなものは月となるだろう。
昼間は身を焼き、肌を焦がすかと思う勢いさえ見せる太陽。
それに対して、月はどうだ。
暑いと思ったことはない。明るさといっても、夜を煌々と照らす地上の都会の光の前には及ばない。
僕が感じたのは、冷たさだ。夜の冷えた空気に寄り添い、その効果を助けるもの。
ぬくもりとは違う方向。ウェットでありながら、相手に染みつかないでフォローへ回るもの。報われなくていいから、ひっそりと後をついてまわり、さりげなく助けを入れてくれる。
女々しい男か、都合のいい女か。いずれにせよ主役の立ち回りには思えなかった。
それが浮いている雲を晴らすなど、積極的な攻勢役を引き受けられるなんてとても……。
そんな風に考えていたな。でも、それは違うんだとも教えられた。
てるてる坊主が生きてくる。
僕は月の光は、太陽の光が反射して生まれたものだと聞いた。方向性こそたがえど、どちらも同じ太陽光といえると。
その月の光をさらに受けるが、てるてる坊主。その丸まった頭なのだと。
太陽が第一。月が第二。そしててるてる坊主が第三だ。
第一も第二も、はるか昔に自然が作りたもうたもの。そこに手を加える余地はない。
しかし第三のてるてる坊主は、人の手によって作られる。地を埋め尽くす無数の人によって。
ひとつとして、同じものはない。でき上がりだって、またしかりだ。なれば、その効果さえも。
多くの人が晴れを願い、実際にかなう人もいるだろう。雲を焼く、という表現もあながち間違いとはいえない。
しかし、時と場所と場合によっては、てるてる坊主が別の効用をもたらすこともある。
僕がただ一度、経験したことだ。
その時の僕は、翌日に遠足を控えていた。雨天中止のね。
友達と一緒にいられる時間は、僕にとって望外のこと。それも特別な空間で、ともなれば思い入れも強くなる。
晴れて欲しかった。だから、生まれて初めて自分の意志でてるてる坊主を部屋の窓際へ吊るしたんだ。
僕の家の就寝は早い。21時には、もう父母以外の気配はほとんどなくなる。
布団へ寝転び、目を閉じた折にも外はまだしとしとと、軒から垂れ落ちる雨粒の音も姿も絶やさずにいたんだよ。
いったい、どのような夢を見ていたか覚えていない。
僕は夜中にふと目が覚めたんだ。
一度寝入ると、僕はたいてい朝までぐっすり。よほどのことがなければ起きない。
それがこうも、まだ暗い部屋の中でなんて。地震の揺れを身体が受けたのだろうか?
不思議と眠気はなかった。熟しに熟した睡眠が、身体からすっかりなまけの気を奪い去ってしまったかのよう。
ついと、寝返りをひとつうって気づいた。
静かなんだ。
寝入る前までの雨だれの気配はもう、窓の外にはない。
「雨がやんだのか?」と、つい僕は布団から身を起こし、窓の外へ寄る。
雲はいまだ、空に立ち込めている。でも、その中を上から下へ降り注ぐものの姿はない。
月はその雲間にほんのわずかだけのぞいて、すぐまた隠れてしまう。
けれども、その下に、より近くにあるもの。僕の吊るしたてるてる坊主に影ができていたんだ。
影はかすかに開けていた窓のすき間から真っすぐに伸びている。
不可解なことに、僕にはその影がはっきり見えていた。あたりは暗闇だというのに、その影はその中でも目立つ、濃い赤色を帯びて横たわっていたよ。
呼ばれた結婚式場で見た、バージンロードのようだ。
てるてる坊主を吊るすひものものとは思えないほど幅広で、そして長い。
僕の家の軒を遠く越えて、ずっと遠くまでまっすぐ伸びている。家は高いところにあったし、この窓から先も景色を遮るのは、数キロ先にせり出す山の影ばかり。
これ以上なくすっきりしていたのは、身体ばかりじゃない。頭もまたためらいをなくすほどの明瞭さで、迷いがなかった。
僕はよどみなく窓へよるや、その伸びる影へ足をかけていったんだ。
僕の身体を受けても、影は形を変えることなく、その場にとどまり続けている。
そこへ一歩。さらに一歩。
ベランダはついていない窓。下に屋根こそ張り出しているとはいえ、ここは二階で足をつけられるポイントはないはずだ。
それが、着いた。
家の中のフローリングと大差ない感触を持って、赤い影は僕の体重を受け止め、支え続けている。
その仕組みを考えるより先に、身体が動いた。勝手にだ。
おそらく、踏み外せば真っ逆さまとなるだろうバランスビームは、家を離れて地上数メートルを走る。
その上を、僕の身体は何かおかしいことに出くわしたかのように、スキップしていく。
用水路を越え、駐車場を越え、ついには通っている学校のグラウンドさえも、見下ろしながら越えていく。
僕にとっての、当時の世界の大半が、この一晩でほとんど飛び越えられた。
ここから先は、ほぼ未知の領域。
勝手に弾む体のまま、ワクワクしていた僕の身体は、ぼふりと音を立てて柔らかいものを突き抜けた。同時に、足取りもまた勝手に止まってしまう。
クッションかと、はじめは思った。
ようやく自由の利いた身体で振り返り、その正体が分かったんだ。
頭よりしたの、広々とした胴の部分をぶち抜かれた、同じ背丈くらいの大きなてるてる坊主の姿だったとね。
それを認識するや、目の前へとたんにまぶしい光が包みだしてね。気づくと、今度こそ朝を迎えた、自分の部屋に横たわっていた。
小鳥たちの声が飛び込んでくる空は、これ以上ないほど晴れ渡っている。
ただそれを受け入れる窓の手前で、僕の吊るしたてるてる坊主はボロボロになっていた。
頭を残した下の部分は、ぼろぼろに破けている。ちょうどあのとき、影の道の先で突き抜けたときのものとそっくりだ。こちらで見る大きさこそ、手で隠せそうなものだけれども。
あの不思議な体験をもう一度したくて、てるてる坊主は以後も何度か作ったけれど、うまく行かなかった。
影すらできなかったんだ。きっとその影がないと、空を踏むことはできないと察していたし、実際に試したら一歩目で危うく落ちていくところだった。
あれはあの時、あの場所、あの心持ちだったからこそ、はじめて生まれることができたものだったんだろう。
これからも、そのTPOを見逃さなければ、再びの不思議に出会えるんじゃないか。
その特別を、僕はまだあきらめられずにいる。




