届け、かなたへ
ん、ん、よし、こんなもんでいいかな。
どうだい、こーちゃん。ゴム風船で作ったプードルだよ。ちゃんとプードルに見えるかい? 僕のバルーンアートも、なかなか上達したでしょう。
――こーちゃん、あんまり無理しなくていいよ。得手不得手ってあるから。こーちゃんにそんな力強く握られたら、風船たち持たないって。ほらあ、言ったそばから、身体がパアン! じゃない。
こーちゃんは、文章書くのが本職なんだろ。向いてないのが分かったら、いさぎよく撤退して、得意なことに力を入れなよ。そりゃ、万能感に憧れるのは分かるけどさ、身体は一つしかない。届かない世界は、届く誰かに任せときなって。僕も文筆は、こーちゃんにお任せするからさ。
お任せするなら、面白い話をくれ? もう、相変わらずだなあ。オーケー、オーケー。それじゃ今いじっている、風船に関する話でいかがかな。
僕たちが目にしている風船たち。今みたいに柔らかめの風船が開発されたのは、ほんの60年ほど前の話だと、聞いたことがある。
こうやってバルーンアートに使える風船も馴染み深いけど、僕は風船と言ったら、遊園地とかのパレードで、空に一斉に放たれるような、ガス風船のイメージが強いかな。
あれ、中身はヘリウムガスなんだってさ。昔は水素だったらしいけど、事故が多発して、ヘリウムに切り替えたって話だよ。ただ、世界的にヘリウムが不足した時期があったみたいでさあ。以前に比べると、明らかに出回っている数が減っているんだよねえ。
そんな逆風が吹く前のこと。ガス風船を売っていた人の話になる。
僕のいとこのお兄さんが、まだ小さい頃。
お兄さんの地域では、都市計画が急激に進められて、色々な建物が建てられる中、合間を縫うように公園がいくつか作られた。学校から帰って、家に荷物を置いたら、日が暮れるまでみんなのたまり場というのも、珍しくなかった。そうやって、みんなが集まる場所だったから、不思議な人が時々、姿を現すんだ。
特にお兄さんの印象に残っているのが、風船売りのおじさんだった。しぼんだゴム風船をたくさん入れたリヤカーを引きながらやって来て、リヤカーの持ち手には、ガス風船のひもが結び付けられている。いくつものガス風船が、固まって浮かんでいるものだから、みんなひと目で、おじさんが風船売りであることがわかったんだ。
おじさんは風船をある程度まとめて、格安で売ってくれる。お兄さんたちが知っている風船の相場より安いから、店を構えていたら袋叩きに遭っていたかもしれない。それを自覚していたからこそ、おじさんは屋台営業じみたことをしていたのだろうね、とお兄さんは語ってくれた。
そんな風船売りのおじさんが、特別なサービスをしてくれることがある。先着数十名様限定で、便箋を書くことができるんだ。書かれた便箋は、ガス風船にくくりつけられて、空に飛ばされる。
「みんな、心の中で思っていても、言えないことがたくさんあるだろう? この便箋はそれを書くためのもの。楽しかったこと、辛かったこと、他にもいっぱい、いっぱい書いて構わない。たとえ、遠く離れていても、二度と会うことができなくても、この風船がきっと伝えてくれるよ」
子供に対しての、おじさんの売り文句は、このようなものだった。
ガス風船は、一度浮かんだら、鳥に割られたり、木に引っかかったりしない限り、ずっと高く、ずっと遠くまで飛び続ける。子供のお兄さんたちは、そう信じていたんだ。
便箋を書く機会に恵まれた時、お兄さんたちは思いっきり、心の内をぶちまけたらしい。
今日あった、楽しいこと。誕生日をみんなに祝ってもらったこと。「お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから」という理由で怒られたり、我慢させられたりしたこと。大切に飼っていたペット、一緒に過ごしていた家族に、永いお別れの時がやってきたこと……。
心に浮かんでくる、色々な出来事を、お兄さんたちは拙い文章ながらも、一生懸命に書き綴って、おじさんに託した。このサービスに関して、誰かから聞いたのか、時々、大人が混じってくることもある。仕事の愚痴とかを吐き出せる、機会の一つだったんだろうね。
そして、集められたメッセージはガス風船のひもにくくりつけられて、一斉に飛ばされる。
「みんなの想い、ちゃあんと届いておくれよ! さようならあ」
おじさんが両手を振りながら、風船を送り出す。お兄さんたちもそれにならって、風船に別れを告げた。
内緒にしなくてはいけないけど、吐き出したくて仕方なかったもの。それを空に浮かべる度に、お兄さんたちは胸がすっとしたんだってさ。
そして、秋だというのに、とても暑い日のこと。
お兄さんの学校は、当時、まだ屋上が開放されていて、休み時間に生徒が気軽に出ることができた。お兄さんにとっては、絶好の昼寝ポイントだったんだ。
屋上への、錆びかけたドアを開ける。見慣れた景色の中に、違和感が混じっていた。
中央に、紫色の物体が落ちている。近づいてみると、割れた風船だと分かった。ゴムの端にはひもがくくりつけてあり、もう一方には便箋が。
あのおじさんの風船だ。撃墜されてしまったことを気の毒に思いつつも、お兄さんは何気なく、便箋を拾い上げる。
「定点の観測報告。A483地区に関して、子供たちの家庭について、引き続き調査中。昨日には、学校で飼っていたチャボが3匹、天に召され……」
そこまで読んだ時、閉めておいた屋上のドアが、乱暴に開かれた。見ると、あの風船売りのおじさんが立っている。腕には、糸のついたガス風船を一つ、結び付けていた。
「良かった、ここにあったか! 済まない、それを貸してくれないか」
つかつかと歩みよって来たおじさんは、半ば乱暴に、お兄さんの手から便箋をひったくると、腕に結んでいた風船を外して、それに便箋をくくりつけ始める。その間、「間に合え、間に合え」としきりにつぶやいていたけれど、ふと空を見上げて、顔を青くした。
「いけない、耳をふさぐんだ」
おじさんの言葉がとっさに分からず、お兄さんは空を見た。
先ほどまで晴れていたはずなのに、いつのまにか雲が立ち込めている。その雲がビカビカと光ったかと思うと、鼓膜が破れそうな大音声が響き渡った。お兄さんは思わず、悲鳴をあげて、その場にうずくまってしまう。
ややあって、校庭で児童たちが騒ぎ始めた。はっとお兄さんが顔をあげると、学校の真正面、およそ数百メートル先に生えていた杉の木が、火だるまになっていた。
「くっ、気の短い。本当にカミナリを落としたか。もうちょっと待てよな」
おじさんは舌打ち混じりにつぶやくと、便箋をつけ終えた風船を飛ばす。いつもと同じように両手を振っていたけれど、今日の振り方は、まるで風船がもっと早く舞い上がるように、あおいでいるかのようだったんだって。
やがて、風船が見えなくなると、立ち込めていた雲はあっという間に引いていき、晴れ間がのぞいた。おじさんは「ふう」とため息をつき、お兄さんを振り返って「ありがとう、助かったよ」とお礼を一言。元来たように、屋上のドアの向こうに消えていく。
彼方からは、消防車のサイレンの音が響いてきた。
それから風船のおじさんは、お兄さんたちがいく公園に姿を現さなくなってしまった。
みんなは残念がったけど、お兄さんだけは、おじさんはあの時のことで誰かに怒られて、遠くに飛ばされてしまったんじゃないかと、今でも思い続けているんだってさ。