水晶龍の山
なあなあ、こーくん。宝石の価値って分かる?
いや、最近学校の理科の時間で、原子のことについて習っているんだ。元素記号、覚えなきゃでしょ。金、銀、銅、鉄……名だたる金属たちが出てくるけど、価値や知名度では抜群であろう「ダイヤ」が存在しない。どうしてか先生に尋ねたら、ダイヤは炭素に過ぎないんだって。
それを聞いた途端、僕の中で価値観というものが、音を立てて崩れ去っていったよ。
夢中になる人が多いダイヤ。どれだけ特別で、選ばれた物質なのだろう、と考えていた昔の自分がアホに見えてきた。元をただせば、ダイヤも鉛筆の芯と同じというわけ。
高級なダイヤと、卑近な鉛筆が、根本までたどれば同じもの。なのに、扱いに関しては雲泥の差がある。ダイヤの輝きには、他と違うものだという、ダイヤ自身の主張、もしくは魔力が含まれているのかも知れないね。それを僕たち人間は、無意識に受け取って、魅了されている、と。
そういえば、魅了することに関して、理科の先生が昔話を聞かせてくれたよ。授業に飽き始めた頃の脱線で、かえって印象に残っちゃった。こーくんにも教えてあげよっか?
ダイヤと鉛筆ほどではないにせよ、僕が衝撃を受けたのは、水晶とガラスだったね。どちらも二酸化ケイ素からできている。
昔は今に比べてガラスが高級品だったことは知っているけど、水晶にはそれを上回る、格別の毛色を、僕は感じずにはいられない。ご神体が水晶ってところも多いだろ。軽々しく扱っちゃいけないオーラが、漂っている気がするよ。
その中でも、個人的に別格感を感じている紫水晶、アメジストに関する話だったよ。
むかし、むかしのこと。
紫水晶、現る。その報に、沸き立った者は数知れなかった。
田舎から出てきたという、みすぼらしい一人の男が、紫水晶を売りに来たのが、ことのおこりだった。紫水晶は、霊験その他の価値を踏まえても、並みの水晶より、一段上の存在感を持っている。携えれば、無病息災、子孫繁栄、霊気充足と噂され、常に、身分を問わない需要が存在していたという。
しかし彼は、はやる商人たちの内心を弄ぶかのごとく、とことんまで値を釣り上げさせては、断ってしまう。何軒も何軒も、彼を相手にため息をつかされた。
結局、彼は首を縦に振らない。しかし、去り際に彼が漏らした、自分の出身地。そこに紫水晶があるのかと、商人たちはこぞってその地に、狙いを定めた。
彼は更に気になることをつけたした。自分が水晶を採った山には、古来より龍が住んでいる。機嫌を損ねるなら命はない。それでもいいのなら、と。
情報が出回ってしまったから、商人たちは後に引けなくなった。金に糸目をつけずに人手を雇い、かの地の開発を進めさせたんだ。水晶龍の話は伝えずに。
雇われ鉱夫の一人は、家族連れでここに移り住んできた口だった。土地を失い、商家の小間使いをしながら、ようやく暮らしを支えていた矢先に、紫水晶の話が舞い込んできたんだ。
一獲千金。楽になれる好機だと、勇み足で臨んでいたらしい。だが、金勘定はできても、長年働いていた鉱夫と違い、体力があったわけではない。彼らの半分の時間も重労働できればいい方で、疲れもなかなか取れずに、しばしば朝寝坊した。
遅れを取った彼には、せいぜい食いつなぐことができるくらいの、砂金が取れるばかり。雇い主からは、しきりに急かす声が聞こえ、男の胃はキリキリした。
せめて数珠の一粒程度でも、紫水晶があれば。日々、紫水晶のかけらを手にして、喜んでいる家を見ると、うらやましくて仕方なかった。
ある日。今朝も寝坊した男は、慌てて飛び起きた。
だが、いつもは文句を言ってくる妻が家の中にいない。
いささか気になった男は、家の外に出ると、自分が向かう鉱山とは、反対方向の山に向かって歩いていく妻の姿を見つけた。妻の足取りははた目にはしっかりしていたが、近づいて声を掛けつつ顔をのぞくと、目の焦点が合っていない。
夫を無視して先へ進もうとする妻。その肩をがくがく揺さぶって、ようやく彼女は我にかえった。
何があったのか尋ねる夫に、妻はこう語ったらしい。
「紫色に輝く龍が、あなたが働く鉱山から、私の頭上を通って、向こうの山へと消えていった。今はもう見えないけれど、長い体をくねらせながら、山の影に隠れてしまったの。あそこには何があるんだろう。そう思った時には、記憶が飛んでいたの」
男は半信半疑で、妻のいう山を睨みつけたものの、龍の姿はどこにもなかった。白昼夢でも見たのだろう、と男は妻を家に帰して、仕事に出かける。
だが、その日を境に、紫水晶はカケラほども出なくなり、時々、山そのものが鳴動することが少しずつ増えていったんだ。
はかばかしくない男の成果に、業を煮やした雇い主は、あと三日以内に紫水晶を見つけなくては、首を切るぞと脅してきた。
だが、妻は相変わらず、夫が少しでも目を離すと、件の山に向かおうとしていた。聞くところによると、他の鉱夫たちの家族も似たようなことが起きているそうだが、夜には戻って来るし、何より紫水晶を手に入れる機会を損ないたくない、と目を輝かせている者ばかり。
男をのぞいて、皆、一度は紫水晶を手にし、莫大な報酬を手にしていた。それが彼らの意欲に火を灯し続けている。たとえ近日、目立った成果がなくても、それは未来への必要経費。いるかどうかも分からない、柳の下の二匹目のどじょうが、彼らの心をとらえて離さなかった。
仕事に打ち込む彼らを見ながら、男はじょじょに空しさを覚え始めた。
自分は一度も紫水晶を手にしていない。それによって得られる幸福を想像はできても、実感はできない。そんな実態のない栄誉よりも、じかに触れられる、妻の動向を確認するべきではないか、と。
一晩、考えていた夫だが、明け方になってまたフラフラと、妻が外に出ていくのを見て決心する。いつもの採掘道具を放り出し、妻の後へとついていったんだ。
今度はもう、止めはしない。行けるところまで向かって見せよう、と。
妻の足取りは、険しい山道にさしかかっても緩むことがない。男は息を切らしながらも必死で追いかけた。すでに足の裏の豆が潰れて、血が滴っているが、妻の歩みを見届けると決めた以上、止まれなかった。
やがて、山頂にたどり着いた時には、もう陽が高く昇っていたが、男は目を見張ることになる。
そこには鉱夫たちの家族の姿があった。妻と同じくらいの年頃の女房、年端もいかぬ子供たち、盲いた老婆でさえも。いずれも、男の仕事の間、家を守っているものばかりだった。
狭い山頂にひしめく彼らの中心には、みすぼらしい姿の男がいた。髪はぼさぼさでボロボロの衣を身にまとい、空に向かって両手を掲げている。
「欲に溺れし者たちよ。沈むが良い」
男が掲げていた両腕を下ろして印を結ぶと、ほどなく、大きな地震が襲う。夫はしりもちをついてしまったが、他の集まった者たちは、直立したまま、夫たちが働いている山を眺めている。
ここからでも分かるくらい、山に大きな亀裂が入ったかと思うと、一斉に水が噴き出した。滝のごとく流れる水は、あっという間に夫たちの家々を洗い、ぐんぐん水かさを増していく。
水位はこの山の中腹くらいまである。鉱山に向かうどころか、あのまま家にいても、命は危うかっただろう。
呆然とする夫。集まった人々は、正気に戻ったらしく、口々に騒ぎ始めたが、やがて男が声を張り上げた。
「成功無くして、はずみはなし。失敗無くして、謙虚はなし。足場なくして、仕事はなし。日々を無くして、命はなし。よくよく皆に知らしめよ。足るを知らずに、生きてはゆけぬと」
男はそうつぶやくと、一気にがけから飛び降りた。
あっと皆がのぞいた時には、彼の姿はすでになく、代わりに濁流のすれすれを、紫色に輝く龍が、滑っていくのが見えたらしい。
一部始終を聞いた雇い主たちは、計画を中止。男も呼び戻され、被害に遭った家族には、見舞金が支払われた。
相変わらずの小間使いの日々に戻った男は、結局、紫水晶を手にすることはなかったものの、のちに紫水晶を売りに来たという男の人相が、山で見た男とそっくりであることを知る。
あの龍は、荒らされた山の化身。商いに目がくらむ者たちに喝を入れるために、あえて紫水晶を見せることで、自分たちを呼び込んだのだろうと、夫は若い者たちに言い聞かせ続けたそうな。
どっとはらい。