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おさがりのセーター

 こーちゃん。そのワインレッドのネクタイ、結構、昔からつけている気がするんだけど、合ってる? あ、やっぱりそうなのか。

 知り合いからお古をもらって、それを使っている? ははあ、よくあるよねえ。僕も弟という立場上、お古というか、おさがりを使わされることが多いよ。

 そりゃ、親からしたらコストの削減。服だって、究極的にはごみになる。しっかりと使いまわして、使い潰して、明るい街づくりにご協力お願いしまーす! といったところかな。

 僕も小さい頃は、おさがりを使わされることに抵抗はなかったんだけどね。中学生になったあたりから、「自分のために用意されたもの」に憧れだしたよ。間に合わせじゃない、オーダーメイドに特別な響きを感じたんだね。

 でもさ。考えてみたらおさがりの服だって、本当に最初の最初。新品の時には、目的があって作られたものでしょ。その目的がどんなものか、探ってみるのもいいかもね。

 それが分からないばかりに、怖い目にあった人の話があるんだ。こーちゃん、時間があるなら聞いてみないかい?


 くたびれたものというのは、どこか人を引き付ける魅力があるらしい。古着屋は日本各地にたくさんあり、「ヴィンテージなんちゃら」といった、年代物が出回っている。

 だが、古ければなんでも「ヴィンテージなんちゃら」になるわけじゃないね。使い込むことによって味が出るものが、「ヴィンテージなんちゃら」の称号にふさわしいものになる。

 だけど、前々から存在しているということはさ、僕たちの生まれる前から、残されるだけの何かを秘めている可能性があるんだよ。


 僕のおじさんが、小さい頃の話。

 当時、住んでいた場所の近くに、古着屋さんがあった。雑居ビルとかの中に入っている、こぢんまりとした店。内装も木製の壁に黒カーテン、裸電球でうっすらと店内を照らす様子は、まるで隠れ家のような雰囲気がしていた。

 秘密基地のような匂いが漂う店内に、おじさんはすっかりはまってしまっていて、小学生ながらに、よく出入りしていたという話だよ。実際に買うことはめったにないんだけど、使い古したトップス、ジーンズ、革靴などを眺めながら、「ここに来るまでの間、こいつはどんな旅をしてきたのかな」なんて、想像を巡らせていたみたい。

 そのビル自身も、築何十年と年季の入ったもののせいか、古着屋以外に入っているテナントが少なかったこともあったんだろうね。同じ、古い物好きな友達と一緒に、時間を見つけては、店を冷やかしていったんだとか。


 しかし、時代の流れには勝てない。

 ある日、おじさんが友達と二人で学校帰りに立ち寄った時、その古着屋は閉店セールをしていた。新装開店するための一時的なものなどではなく、撤退するらしい。

 店主さんも、常連であるおじさんたちを見知っている。声をかけてきてくれて、「とっておきの掘り出し物を、格安でプレゼントしよう」と話してくれたみたい。

 掘り出し物という響きにドキドキを隠せないおじさんたちは、店主さんの奥についていった。「今日だけ特別だよ」と通してくれた、スタッフルームの奥。そこには子供サイズのセーターが二着、ハンガーに架かっていた。


「私が昔、友達とお揃いで着ていたものだよ。あの頃は、本当にいたずら小僧でね。みんなを困らせることが、私の生きがいだった。でも、私も年をとったし、社会にも馴染んでしまった。あの頃には戻れないけれど、捨ててしまうのは惜しい。だから、君たちさえよければ譲ろうと思う。大切にしてくれると、嬉しいな」


 そんな思い出があるものを、自分たちが受け取っていいのか。

 おじさんたちは戸惑ったけれど、店主さんの頼みを断り切れずに受け取っちゃったみたい。早速、着てごらんと言われて、僕たちはシャツの上から着こむ。夏場にも関わらず、セーター特有の暖かさを感じない、奇妙な感覚だったんだって。


 セーターを着たまま、ビルを出たおじさんと友達は、息を飲む。

 ちょうど向かいの通りから、クラスの先生が姿を現わしたんだ。厳しい生活指導と評判の先生。こんなところで寄り道していたのを見られたら、お目玉を食らうのは間違いない。ほぼ正面から向き合った以上、すべては手遅れ。

 ところが、びくびくするおじさんたちの脇を、先生は顔色一つ変えずに、横切っていった。あまりにすがすがしい無視に、おじさんたちも不審に思ったらしい。当然、怒られるのは怖かったから、声をかけようとすることはなかったけれど。

 おじさんたちは、おっかなびっくり家路についたが、その帰り道も妙だった。仕事帰りの人で、道がごった返していたけれど、大人がやけに、おじさんたちにぶつかってくるんだ。正面からぶつかってきたり、後ろから突き飛ばしてきたりして、しかも謝らない。

 ガキだからってなめてんのか、とおじさんたちは腹が立ったけれど、子供たちに関しては、正面衝突しそうな時には道を譲ってくれたし、自分たちをよけることもあった。

 不思議に思って、いろいろ試した結果、おじさんたちはある結論に達する。このセーターを身に着けている間は、大人の目に映らない、と。


 それからのおじさんたちは、ささいなイタズラをするようになった。

 大人しかいない電車内で、眠っている人のわきをくすぐって驚かしたり、腹の立つ先生が使っている持ち物をこっそり隠したり、二人がかりで進路をふさいでみたり。

 セーターの効果は、どんな大人にも有効だった。みんなの怖がる様子を見るたびに、おじさんたちは、溜まったストレスが吹き飛んでいくのを感じていた。いつも怒られてばかりだったから、慌てふためく大人を見ると、いい気味だって笑ったみたい。

 学年が変わっても、いらつくことがあるたびに、おじさんたちはいたずら小僧として、ちょこちょこ出かけて行ったらしいよ。


 そして、小学校卒業の年。

 おじさんたちもいっちょまえに色気が出てきて、スカートめくりにはまっていた。あのセーターは、高校生あたりから不可視の対象になることを、すでにおじさんたちは把握していたんだ。実際にやらかしても、風のいたずらだと、相手が勝手に認識してくれる。

 たまたま学校が早く終わる日。セーターを着て、高校の校門前で待ち伏せしていたおじさんたちは、やがて一番びびっときた女学生のあとをついていく。人通りそのものが少ない時間帯というのも、幸運だった。

 彼女はどうやら地元に住んでいるらしく、駅やバス停とは反対の方向に歩いていく。もたもたしていたら、どこぞの家に入っていかれる恐れがあった。

 やるぞ。おじさんたちは女学生がひとけのない路地を曲がった瞬間、彼女に追いすがり、はたくようにして、乱暴にスカートをめくりあげた。


 なかった。パンツが、じゃない。

 めくった先は空っぽ。路地の向こうが見えていた。その女学生は、足と胴体がつながっていなかったんだ。

 一瞬固まった、おじさんたちの頭部が、わしづかみにされる。

 

 「私が見える人、ようやく見つけたわ」

 

 女学生が笑っていた。上半身だけが振り返っていて、足はマネキンのパーツのように、あさっての方向を向きながら、地面に寝転がっている。

 おじさんたちは、悲鳴をあげながら手を振り払うと、一目散に逃げだした。

 道行く人は、大人ばかり。急いでいるおじさんたちを前に、進路を開けてはくれなかった。「どいてくれ」や「助けてくれ」と声を張り上げても、まったく効果はなし。今までは、姿が見えない状態でも、声を掛ければ、気づいてくれたというのに。


「無駄よ。絶対に、逃がさない」


 静かに女の声が響く。ちらりと振り返ったおじさんたちが見るのは、行き交う人々の頭上を飛んでくる、上半身だけの彼女。


 屋外じゃ逃げきれない。

 そう判断したおじさんたちは、すぐ左手に見えるお店に飛び込んだ。そこもかつてセーターをもらった店と同じ、古着屋のようだった。

 店の奥の試着室の影へと逃げ込むおじさんたち。ほどなく、店の入り口のドアが揺れた。あの女に違いない。

 痛いほどの心臓の鼓動を聞きながら、おじさんたちは賭けに出た。

 二人してセーターを脱ぐ。あの女は、「ようやく」と言っていた以上、普通の人には見えていない。セーターを身に着けていない、普通の自分たちに戻れば、と思ったんだ。

 声を漏らさないよう、口を抑え合う二人。身動き一つせず、じっとこらえた。

 追ってきたと思しき、女の姿は見えない。代わりに、誰もいないはずなのに、まるでなでるように、服が順番に揺れていく。やはりセーターなしでは、視界に捉えられないんだ。

 おじさんたちが潜んでいる場所の、すぐ近くの服まで揺れる。緊張のあまり、少しおもらししちゃったけれど、やがて服の揺れは、店の入り口目がけて遠ざかっていく。

 助かったと思って、おじさんたちが口から手を離した瞬間、あの時と同じように「がっ」と頭をわしづかみにされる。

 今度こそ泣き叫んだおじさんたちだけど、頭を押さえたのは、見覚えのある人。

 セーターをくれた古着屋の店主さんだった。あそこを去ってからは、ここで店を営んでいたらしい。


「私がセーターを着なくなったわけ、分かったかな?」


 店主さんの底抜けの笑顔に、おじさんたちは足元に洪水を作りながら、ただうなずくしかなかったってさ。


 それからおじさんたちはセーターを店主さんに返し、普通の生活に戻った。

 店主さんが、どうしておじさんたちにセーターを渡してくれたのかは、今でも推測の域を出ない。

 かつて一緒にセーターを着ていたという友達について、店主さんはついに語ることなく、再びお店を閉めてしまったとのことだよ。



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