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節分の夜に

 お、最近はこーちゃんも豆を食べるようになったか。

 昔は、臭いだの、味が薄いだの、と文句ばかりつけて口にしなかったこーちゃんが、進んで口に放り込むようになるんだから、人生分からねえもんだなあ。

 豆といえば、あと数カ月もしたら節分だ。こーちゃん一人暮らしでも、ちゃんと豆は撒いているか? 恵方巻は食べているか?

 そりゃ、一人でやるのは張り合いがないかもしれないがな、年に一度の貴重なイベントなんだ。面倒くさがらずにやっておいた方がいいと思うぜ。

 何せ、こーちゃんにとってだけでなく、豆にとっても大事な節目なんだからよ。景気よく、パアッと使ってみた方がいいと思うぜ。つまんねえところでケチったりすると、とんでもない何かを招くかもしれないからよ。

 何を招くかって? そりゃ、人によって様々だなあ。ここはちょっとおじさんが体験した話で行かせてもらおうか。


 おじさん、東京の大学に入ってからな、一人暮らしを始めたんだ。学校から徒歩十分前後のところのアパートだったねえ。

 親から十分な仕送りをもらっていたから、ひたすら学校生活に集中すればよかった。必要な単位をとったら、あとは遊びほうけているなんていうのは、珍しくなかった。

 授業の取り方によっては、平日に休みの日を作れるもんだから、社会人の皆さんが出勤したあと、惰眠をむさぼることもままあったよ。

 なかば、ぐうたらしていたおじさんだったけれど、ちょっとした悩みがあった。


 おじさんの部屋は二階の角部屋だったから、隣り合う部屋は一室のみ。特別大きい部屋というわけでもなかったけれど、どうやら大勢がそこで寝泊まりしているみたいなんだ。

 毎日、毎日、誰かしら、何かしらのお祝いをしているようだった。節句や祝日などは分かるけれども、時折、漏れてくる声からは「〜の創立記念日」とか、「〜の生誕十周年」とか一般人には縁のないものまで、用意する始末。

 騒ぎはほんの一時間ほどで済むのだけど、いつの時間にやってくるのか分からない。夜中とか朝早くに起こされることもあって、そんな時はすこぶる不機嫌だったよ。

 大家さんに相談する。おじさん自身が引っ越したり、部屋を移ったりする。打てる手はいくつもあった。

 けれど、先ほど言ったように、おじさんはぐうたらの生活にのめり込んでいたからね。部屋探しから各種手続きまではもちろん、外に出て人に訴えることも、面倒に思うようになっていた。完全にダメ人間の思考回路だ。

 たかが、隣人が大きな音を出すだけのこと。俺が我慢する以外のコストはゼロじゃないか。ならば、このままでいいや、と無精な根性に従うまま、日々を過ごしたよ。

 学校の友達にも愚痴ったけどさ、「そんなもん、絶滅危惧種だろ」と一緒になって笑った記憶があるね。


 年が明けて二月。節分の季節がやってきた。ちょうど学校が休みの日にあたったおじさんは、これ幸いと、寝だめをすることにしたんだ。もちろん、豆を撒く気はなかった。

 どうせ隣の部屋は、またどんちゃん騒ぎだろうな、と半ばあきらめ気味になりながら、日が昇っても、昼を迎えても、日が沈んでも、おじさんは明かりを一切つけず、泥のように眠り続けたんだ。

 そして、目を覚ましたのは、夜中のこと。もうじき、日付が変わろうという時間帯だった。隣の部屋では、歌を歌っている。古い言葉なのか、外国の言葉なのか、今ひとつ意味が分からない。

 間が悪い時間に起きちまったな、とおじさんはコンビニに夜食でも買いに行こうとしたけれど、ジャージを羽織って、ポケットに財布を突っ込んだ時だった。

 隣からの歌詞が、より鮮明に聞こえてきたんだよ。


「今日が終わろう、その時に。豆を撒かない者がいる。そいつらみなみなひっとらえ。我らの仲間に引き込もう。福を内へと招かぬ間に。我らを外へと追わぬ間に。加護なき、きゃつらをとらえよう」


 歌い終わるやいなや、バラバラと隣で大勢が立ち上がる音がした。

 さすがにヤバい、と思った。本物にせよ、おかしい奴にせよ、ここに留まったらいけない。

 おじさんが弾けるように飛び出すのと、隣の部屋のドアが開くのはほぼ同時だった。部屋のすぐわきにある階段を駆け下りる。アパートの敷地を飛び出して、夢中で走ったね。

 通り過ぎる家々の軒先には、豆が撒いてあった。きっちりと2月3日の仕事を終えたのだろう。おじさんがいつも行っているコンビニも、同じくだった。

 おじさんは本能的にコンビニへと逃げ込む。店員さんがいつも通り「いらっしゃいませえ」と出迎えてくれたことに、心底安堵した。

 外の様子をうかがえるように、窓際の雑誌コーナーをさりげなくうろうろする。道路沿いを何人か人影が横切っていったけれど、いずれもが背広姿で仕事かばんを提げている。肩をいからせながら、足を早めていたけれど、おじさんを探しているのではなく、寒さと戦いながら家路を急いでいるのだろう。こちらを見向きもしなかった。


 結局、2時間近くコンビニで頑張ったあと、護身用武器としてビニール傘を買って、部屋に戻ることにした。

 恐る恐る階段を上って、ドアに手をかけたけれど、部屋の中は荒らされてもいなければ、家具も現金も盗まれてはいなかった。とはいえ、もうあんな怖い思いはごめんだ。

 おじさんは大家さんに、引っ越しをする旨を伝えた。理由についても、はっきり隣人のためと伝えたのだけど、大家さんは驚いた顔をした。

 おじさんの隣の部屋は、もう何年も住んでいる人がいないはずだっていうんだ。そんな馬鹿な、と大家さんと一緒に隣の部屋を確かめてみると、誰もいなかった。床、玄関、窓のサッシなど、どれをとっても人が住んでいるとは思えないきれいさだ。

 ただ一つ、六畳間の中心にある、真新しい血のりをのぞけば、ね。


 おじさんは引っ越した後、隣の人への動向をちゃんと探るようにしているよ。

 こーちゃんも、たまにはちゃんと隣の人がいるかどうか、確認した方がいい。思わぬ誰かが部屋に住んでいるかもしれないからね。

 



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