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山奥の別荘

 ふう〜、疲れた。ようやく定期試験から解放されるよ。

 つぶらやくんは……その様子なら問題なさそうだね。僕は単位さえ取れればいいやって考えだからねえ。出席点は大丈夫だと思うけれど、本番の試験ばかりはノー勉で行けるほどの度胸はない。

 そこで、つぶらやくんのノートの出番というわけだよ。いやあ、すまないね。おかげでいつも大助かりだよ。

 高校までは塾とか家庭教師とかで、言われるがままに勉強していたからねえ。どうも自分で勉強するのは、からっきしで。教科書丸暗記とか、あまり効率がよろしくない学習しかできないよ。自分でどうにかしないとなあ。

 そういえば、塾に通っている時に、怖い思いをしたことがあるよ。今となっては振り切ったけれど、二度と体験したくないね。

 つぶらやくんの気が向くなら、その時のことを話そうか。


 さっき言ったように僕は小学校から高校を卒業するまでの間、塾や家庭教師のお世話になっていた。親がバリバリの進学志向だったからねえ、勉強以外のことにいい顔をしてくれなかったよ。本当はやりたい部活、進みたい進路があったんだけど、言い出せなかったんだ。

 成績がよくないのに、わがままが通じるはずがない。将来、好き勝手するために、頑張ったけど、半分は先生のマンパワーのおかげだったと思うよ。

 補修とか特別講習とか、よく受けたっけなあ。それでもなかなか成績は優れず、とうとう塾合宿に参加することになっちゃったよ。


 この合宿、場合によっては宿泊施設を借り切って行われる、大規模なものだった。成績が悪い人は強制参加なんだけど、成績が良い人でも希望者は加わることができる。

 メシ、フロ、トイレを除いては、勉強尽くし。長期休暇中、一人で勉強できない人のための、学習空間。怖がる人、楽しみにする人、様々。

 僕は合宿の常連で、いつもは嫌々ムードを醸し出しているんだけど、今回の合宿は少し楽しみだったんだ。というのも、お気に入りの先生が主催するという話を聞いたからだ。

 こっそり先生に理由を尋ねたんだけど、今回は僕を含めても参加人数が少なくて、いつもの場所だとコストなどの問題で実施するのが難しいとのこと。代わりに、その先生の家族が所有する、別荘の一つを借り切って行うことになった。

 前々から、お金持ちのおぼっちゃまらしいという話を聞いていたけれども、まさか、ここまでとは、っていうのが、僕の正直な感想だった。

 当日の朝、先生が用意してくれたワゴン車に乗って、僕らはようようと出発したよ。


 案内されたのは、山奥にある、真っ黒な丸太で組まれたログハウスだった。個室はいくつかついているものの、全体的にはコンパクトな仕上がりで、とても風通しが良かったよ。


「ここだけの話、実はけっこうオンボロなんだよ、ここ。下手に壁によりかかったり、飛び跳ねたりすると、穴が空いちゃうかもしれない。くれぐれもそうならないように気を付けてくれよ」


 先生の注意を受けながら、僕たちは勉強を開始したけれど、僕の関心は勉強よりもログハウスの方に向いていた。何せ、歩くだけでも、みしみしきしみ、ちょっとした風でもガタガタ屋根が震える。

 当時、僕が住んでいた新築マンションだったら味わえない雰囲気に、僕は少しずつ興味が出てきたよ。だけど、そのせいで少し調子に乗っちゃった。


 三日間の合宿のうちの二日目。明日の昼には、ここを出る予定になっていたんだ。

 僕は先生にねだりにねだって、消灯時間を一時間だけ伸ばしてもらった。合宿仲間は僕と同じ常連で、顔見知りばかり。学校が違うせいでなかなか会えなかったから、この機会におしゃべりしようぜ、という運びになったんだ。

 とはいえ、男同士だとそれだけでは収まらない。誰だったか密かに持ってきた、ゴムボールを取り出して、キャッチボールが始まっちゃったんだよ。やっていくうちに、どんどん勢いがついちゃって、とうとうやらかしちゃった。


 僕がキャッチをミスってね、ゴムボールが手の中を通り過ぎちゃったんだ。後ろには、壁がある。当然、止まると思うじゃない。

 ところが、ボールがぶつかったと思った瞬間、壁に穴が空いたんだ。いや、崩れ落ちるといった方がいいかもしれない。ぼろぼろと小さな破片をまき散らしながら。壁は大口を開き、そこにゴムボールは吸い込まれていったんだ。

 ボールの姿が消えると、穴は音もなく元の状態に戻ってしまった。この間、わずか一秒と少しの出来事だったよ。

 ゴムボールは手元にない。幻なんかじゃ、絶対ない。

 僕たちはさっさと自分の部屋に戻って、隅にあるベッドからシーツを引きずり下ろし、部屋の中央に敷き直す。

 もしも壁に向かって、寝返りを打ってしまったら……考えるだけで、鳥肌が立った。もちろん、先生に話す気にはなれなかったね。

 

 最終日の帰り際のこと。先生はニコニコ笑いながら、僕たちに尋ねてきた。


「みんな、ログハウスにそそうはしなかったかな?」


 まるで、僕たちの昨日の所業をしっているかのような言動。一気に心臓が冷えたけれど、予め申し合わせていたように、黙ってうなずいた。

 すると、先生はにこやかな顔のまま


「よおし、それじゃお世話になったログハウスに、あいさつをしよう」


 僕の胸のバクバクは収まらない。後ろめたさが、そうさせるのか。無性に泣きたくなってくるほどだった。

 先生が普段の授業と同じように、号令をかける。僕はそれに従い、「ありがとうございました」と頭を下げた。恥ずかしいこと、この上ない。

 ややあって。風も地震もないのに、ログハウスが揺れる。それは、はっきりとした、身じろぎだった。

 先生は血相を変えて、「早く車に」と僕たちを先導する。言われるがまま、僕たちが車に乗り込み、ドアを閉めるや、先生は全速力で車を出した。その勢いたるや、オフロードの、凹凸が激しい地面で、車体がタップダンスを踊るほど。


「みんな、怒らないから正直に言いなさい。そそうをしたのか?」


 もう、ごまかしきれない。僕たちは謝りながら、めいめい頭を下げた。

 先生は下唇を噛んだよ。テストで良い点を取らせられなかった時とか、悔しさがにじむと、先生はいつも下唇を噛む。


「仕方がない、気にするな。けれど、怪我したくなかったら、きっちり伏せて、どこかに掴まれ」


 先生はますます車を飛ばす。こんな山の中で、まるっきり自殺志願者だ、と思った時。

 後部座席の左ドア。僕の座っている席のすぐ横から、「ガン」と何かがぶつかる音がした。視線を走らせた僕は思わず悲鳴をあげた。

 ガラスには、拳銃の弾を受け止めたような、無残な傷がついている。その傷をつけたと思しき者は、時速80キロほどの車に並走、いや「並翔」していた。

 ハシブトガラス。それも1匹、2匹じゃない。

 群れだ。ガラスの外の景色が真っ黒に染まるくらいの、大群。彼らは群れを成して、鋼鉄の塊に総攻撃をかけてきたんだ。一斉に車体のあちらこちらで、鉄やガラスが悲鳴をあげだす。

 機関銃のように、絶え間なく車体を叩き続ける音に、僕たちが節操もなく騒ぐ中、先生は無言でギアをいじりながら、ハンドルを回していたのが、印象に残っているよ。


 どうにか山を下りた頃には、カラスの群れをまいたものの、ワゴン車のガラスはいくつもひびが入り、車体には数えきれない穴が開いている。

 僕たちは何度も何度も謝ったけれど、先生はもう、答えてくれなかった。次の通塾日から先生は欠席し、そのまま仕事を辞めてしまったらしい。

 僕らは、自分たちの軽率な行動をずっと悔やんだよ。その分、償わなきゃって、真剣に勉強に励むようになった。


 それから数年。車の免許を手に入れた僕は、あの日のことを思い出し、記憶を頼りに先生の別荘に向かったんだ。危険はあるけれど、もう一度別荘を訪れることが、決着になるのだと思ったんだよ。

 あの時の友達にも声をかけたけど、全員パス。僕は一人で例の別荘に向かうことになった。

 道中、特に危険もなく、僕は別荘に……いや、別荘らしき場所についた。

 確かにあったログハウス。そこは土台のみを残して、消え失せていた。けれど、更に近づいていくにつれて、僕は思わず声を出しそうになった。

 黒い地面に溶けこんだ、漆黒の羽。それが足の踏み場もないくらい、土台の周りに散らばっていたんだ。

 中には、羽が重なり過ぎて、こんもりとした山になっているところも見受けられた。何本あるのか、さっぱり分からない。

 けれど、羽が織り成す海の中に、明らかに色の違う一点。羽を踏むのも気味が悪く、僕は持ってきた双眼鏡で、色の違う部分にピントを合わせる。

 あの日、壁の大口に飲み込まれた、ボールがあった。在りし日の姿を失い、全身を穴だらけにされ、地面に伸びているゴムの塊となって。

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