赤い妖星
おお、つぶらやくん、新作映画の試写会に行ってきたのかい。君、けっこう楽しみにしていたもんね。待ちきれなかったって感じ?
ふふ、内容を話したくて仕方ないって顔をしている。物書きっぽく、社内新聞に宣伝記事でも書いてみたら? ネタバレしない程度の紹介も、勉強になるんじゃない?
そういえば、つぶらやくんは郵送での応募かい? え、インターネットの応募?
こりゃまた、便利な世の中になったものだ。けれど、ネットで予約しときながら、バックレるケースも多くなっているとか聞くなあ。
気軽に応募っていうのも、間口を広げる分、背負うものまで軽くするみたいだね〜。手間暇かけたら、その分の時間を取り戻さんと、是が非でも努力する。対して、片手間でやったものには、それなりの熱意しかかけず、反故にしても、さほど心をいたませない。嫌な省エネ機能がついているもんだねえ、人間ってのは。
多忙を縫って、研究にいそしむつぶらやくんのために、こんな話をプレゼントしようか。
試写会の主な目的は、宣伝だろうね。あとは対象年齢層の分析とかかな。
好意で封切前に、サービスで見せてくれる……なんて、近所の仲良いおじさんでもない限り、あり得ないでしょ。主催する側にとっては、何かしらの利がなくっちゃね。
観る人にとっての利は、無料で映画を楽しめる貴重な機会。ダメもとで応募してみるのも分かる気がする。縁を感じてしまうものなら、特にね。
ちょっと昔に、僕が体験した映画上映についての話になるよ。
僕が大学生で、ケータイもインターネットができる環境もなかった時期のこと。
当時の僕は、一人暮らしを始めたばかりで、けっこうカツカツな生活をしていた。
どうも、金銭感覚があまりないようでね、ちょっとテンションが高くなると、ついつい財布のひもが緩んでしまう。ややもすると、月末になって勘定が足らなくなる、なんてことは珍しくなかった。
何度か実家に連絡して、お金を無心することもあったんだけど、半年連続でお世話になった時には、「バイトとかしなさい」ってくぎを刺されちゃったよ。
あの頃は、「死んでも働きたくね〜」って思いでいっぱいだったからなあ。タダで楽しめる何かというのを猛烈に求めていた。
出所がどこかなんて、どうでもいい。ひたすら、自分が良い気持ちになれればいい。まるっきり、エッチなビデオにはまった、お子様のごとき思考回路だったよ。
夜中にコンビニに買い出しに行った時の話だ。
なに、一人暮らしなら業務用スーパーとかで安く済ませろ? あーあー、聞こえませんよ。ワタクシ、引っ越し初めてのおのぼりさんだったから、ひたすら駅近なところで選びましたデスコトヨ。スーパーもドラッグストアも近くにございませんの、オホホ……。
そんなこんなで、ちまちまとインスタント食品を買い込んだ僕は、家路についたんだ。
僕の住んでいるアパートは小高い丘の上。コンビニはふもとにある。途中で地区の掲示板の前を通ることになるんだけど、そこでおじさんが一人、掲示板にポスターを張っているのを見かけた。
行きにはいなかったから、僕がコンビニにいる間に来たんだろう。何をやるのかな、と興味本位で背中越しにのぞいてみると、近所にある公民館のホールで映画を上映するらしいとのこと。
夜中に上映。しかも、入場料タダだった。
タダ。この響きに引き寄せられて、僕は身体を乗り出す。
「キミ、この上映会に興味があるのかい?」
夜中に文字が読めるくらい近づいていたから、ポスターを張っていたおじさんに気づかれるのも無理はなかった。
「よかった、よかった。君、もう場所は覚えたかい……オーケー、それじゃもうこれはいらないね」
おじさんは貼りかけていたポスターを、その場で真っ二つに引き裂いてしまう。
さすがに驚いたよ。僕以外に見てもらっていないであろうポスターを処分しちゃうなんて、コストパフォーマンスに見合ってない。
「必ず来てくれよ。絶対だ。ごまかしてもダメだよ。天のお星さまが見ているからね」
彼が頭上を指さして、思わず僕も、つられて空を見上げた。
夜空には、一つの星をのぞき、明かりがない。だが、その星は今まで見たどんな一等星よりも赤く、明るく輝いていた。
アンタレスじゃない。今はもう冬に差し掛かろうという時期。日本からさそり座は見えない。あんな星、知らない。
僕が視線を戻した時、ポスターのおじさんの姿は消えていた。
映画の上映は三日後。
それまでに僕は星座の本を漁り、あの星の正体を見極めようとしたけれど、何も分からずじまいだった。恒星の接近とかなら、とっくにニュースになっているはずだけど、それもない。上映される映画の情報も集めようとしたけれど、そちらも徒労に終わった。
ついつい毎晩、空を眺めたけれど、その赤い妖星は夜通し、同じ位置で輝き続けていた。まるで北極星のごとくだ。厳密には、北極星だってわずかに動いているらしいけど、あの赤い妖星はどうだろうか。
天のお星さまが見ている。子供に話すようなお決まりの文句に、不気味さを感じる日が来るなんて信じられなかったよ。
そして、夜中を迎える。
昼間。友達にオールでの飲みに誘われたけれど、僕は断っていた。あの上映会に行かなくては、何が起こるか分からないからだ。
「やあ、こんばんは。待っていたよ」
明かりのない公民館。その入り口で、ポスターの日のおじさんが待っていた。公民館の入り口が開かれ、僕は腕をひかれながら奥へと連れていかれる。中は真っ暗だというのに、おじさんには何の迷いもない。
何度か来たことのある公民館だけれど、いくつもドアをくぐった後に、階段を下り始めた時には、心臓が止まりそうだった。この公民館、地下は存在しないはずなんだもの。
一段一段を下りる度に、冷たい空気が鼻とのどを刺す。とても逃げ出せそうな雰囲気ではなく、すっかり縮こまった僕は、やがて部屋らしき場所に通されて、椅子に座らされる。全然目が暗闇に慣れなくて、感覚的にしかものがわからない。しかも、観るのは僕一人。
「始まるよ。短いか長いか……それは君に任せよう」
すぐ後ろにいる、ポスターのおじさんの声で、僕の目の前に映像が映し出される。映画館さながらの巨大なスクリーンだった。
映画はいきなり、岩を削岩するシーンから始まる。ドリルの先っぽが岩にめり込み、しきりに回転している。だが、火花は散らない。音も聞こえない。
トーキー映画か。そんなことを思っていると、映像がズームアウトしてくる。
ドリルは、ブルドーザーのような形状の削岩機械につけられたものだった。だが、その足元でアリんこと見紛う大きさの人が、うごめいている。とてつもない大きさの機械だった。
画面が切り替わる。先ほどのブルドーザーの二倍はあろうかというサイズの、二つの巨体が、がっぷり四つに組み合っていた。
片や、宇宙飛行士のような格好で、背中にSFでよく見かける、ジェットパックを背負っている。
片や、類人猿を思わせる毛むくじゃらだけど、頭部にアンテナのような長く鋭い突起が2本立っている。
二人は互いに相手を投げ飛ばさんとし、仮に投げ飛ばされても、宇宙飛行士はジェットパックをふかして。類人猿は自力で態勢を整えて、ふたたび取っ組み合う。ジェットパックものにお約束の炎は、噴き出なかった。別の推力があるのだろうか。
映画の鑑賞を続けるうちに、なんとなく雰囲気が掴めてきた。
ブルドーザー型削岩機は、地面に大穴を開けるのが目的。そして、できた大穴に人々が潜り込んでいく。ズームインされた彼らも、あの巨人と同じような宇宙服を身にまとっている。
彼らは危険物のマークが書かれた物資を抱えて、出来上がった穴倉の中に飛び込んでいく。それが何百、何千人の手で行われているんだ。
宇宙服の巨人は、巨大類人猿の足止め。ブルドーザー付近に、あいつが近寄らないように戦っていた。
相変わらず音は聞こえないけれど、彼らが地面に叩きつけられるたび、カメラが盛大に揺れた。地面を伝わる振動があるらしい。
やがて小さい人々が、穴から出てくる。みんなが見せるサムズ・アップは任務完了の報せだろう。
だが、彼らの笑顔もつかの間。彼らは倒れ込んできた宇宙服の巨人の身体に、押しつぶされてしまう。
逃げ惑う人々。声なき悲鳴がこちらまで響いてきそうだった。巻き添えを避けた一人。今まで観た中での隊長格が意を決したように、手にしていたリモコンのボタンを押す。
途端、カメラが遠のいていく。隊長がノミになり、大地が広がっていき、更に遠くへ飛び出した。そして、映し出されたのは巨大な星。岩石の塊のような星だった。
星のあちらこちらから、光が走ったかと思うと、次の瞬間には画面が輝きに包まれて――。
「ゲームは終わりか。またも、くだらない結末だ」
例のおじさんの声で、僕は真っ暗な部屋に戻って来た。もう画面には何も映し出されていない。僕は不満げなおじさんに腕を取られて、乱暴に公民館の外へと連れ出された。
「さあ、もう帰りたまえ。今日のこと、誰に話しても構わんよ。信じないだろうがね」
一気に興味を失ったらしいおじさんに突き放される。僕は歩きながら、思いを巡らせた。
宇宙ものの特撮だったのだろうか。だが、最後におじさんはあれを「映画」ではなく、「ゲーム」と言っていた。短いか長いかも、君に任せる、とも。
僕は空を見上げる。毎晩見かけた、あの妖星の姿はない。だが心なしか、妖星があったはずの位置に、ちらちらとプレアデス星団を思わせる星屑が、漂っているように見えた。
後日、改めたけれど、公民館の地下は、やはり存在していなかったよ。