ザ・ボックス
タラリラリラ〜、ほっ、ほっ、ほっ。
どうだい、つぶらや。上手いもんだろ。昔、ちょっとジャグリングをかじっていてな、この手の大道芸には心得があるのよ。こうしてしゃべりながらでも、余裕だぜ。
ほい、追加。ほい、追加。ほい、追加……て、玉を投げてくれとは言ったが、途中からドッチボールになってるじゃねーか! 変なところで負けず嫌いなんだよなあ、お前は。
やれやれ、じゃあ今回はこんなとこにしておくよ。文化祭のパフォーマーなら、俺に任せとけ。それまでに、今一度、大道芸の練習をしておくから。
え、手品とかはできるのか? 一応、できるけどよ、いきなりネタを振られても仕込みがないからなあ。準備が整ったら、こっちから声をかけるよ。タネを割らせないためにもな。
――なんだ、その不満そうな顔は。お前の書いている文章だって、完全に行き当たりばったりじゃなくて、何かしらの仕込みがあるだろ?
タネなし、オチなし、くだらなしなんて話、提供される側にしてみれば、人生の無駄。ちこっとは読みやすい工夫とか、興味深い内容とかを用意してもらいたいもんだ。
あ〜、でも地力だけで押し通すのも、突き抜ければパフォーマンスの一つだわな。過去にもいたらしいよ、そんな手品師。なかなか衝撃的だったなあ。
お前ももう帰れるだろ? 帰り道で話そうぜ。
手品も歴史がかなり古いらしくて、4000年前の壁画には、すでにその姿を現している。もっとも、古すぎて判別が難しく、手品をしているようにも、パンを焼いているようにも見えるらしいんだが。
手品はマジックと言われるように、一見して魔法。これを大衆の前で披露することによって、超人性をアピールして支持を得ようとする動きは、ずっと昔から有効というわけだ。その分、タネが割れたら致命傷だから、技術の伝承も限られたコミュニティの中で行われていたらしいぜ。
日本においても、奈良時代にはすでに今の手品の原型が伝来していたそうだが、バテレン追放令の時期に、外来の技術として非難を浴びたこともある。
本格的に根付いたのは、江戸時代とのこと。既にエンターテイメントとして確立して、何冊も手品本が出版された記録もある。
正体の分からない奇術。人々は胸を躍らせながらも、不安を覚えることだってあったろう。
俺の手品はおじさん仕込みだ、おじさんは、昔、プロの手品師として、世界を巡った時期があったらしい。
たくさんの同業者とも出会い、切磋琢磨した。おじさんの技術にうなる人もいたが、逆におじさんがうならせられたレベルの人もいる。
その中でも、一番奇怪だったのが「ザ・ボックス」の異名を持ったマジシャンだった。樽のような体型をしていて、およそ健康的とは言えないルックスだったが、物を出し入れするパフォーマンスに関しては、右に出る者はいなかった。
古典的な鳩出しに始まり、剣飲みといった危険芸まで難なくこなす技量。臆することがみじんもない、堂々としたパフォーマンス。プロとしての基本事項を、徹底的に鍛え上げた達人だった。
奇術師として、文字通り、奇をてらう探究を続ける同僚の中でも、伝統的な技芸で観客を魅せる彼は、また一味違う雰囲気を漂わせていた。
そして舞台を下りると、他のマジシャンはネタバレを恐れて手品を控える中、彼は進んでパフォーマンスを行った。それも人気の要因だったのだろうと、おじさんは分析している。
彼の逸話の中で、いくつか印象的なものを挙げよう。
彼があるサーカスの一芸人として参加していた時の話だ。彼は帰り際に、楽屋裏まで来ていた男の子の一人に声をかけられた。先ほど見せてくれた、帽子からウサギを取り出すマジック。あのウサギを抱きたい、とのことだった。
おじさんは隣で困った顔をした。舞台では、手品が終わった時、ウサギは自分から舞台袖に消えていったのだけど、実際は、合図で檻の中に戻ってくるように言われている。お目にかけるには、一度楽屋に戻らないといけない。
でも、「ザ・ボックス」はニコリと笑うと、「よおし、ほんの少しだけ待ってくれよ」とその場で、いきむような姿勢でふんばった。
「おいで〜、おいで〜。うん、そうだよ、いい子だね〜。カモォン、カモォン」
掛け声と共に、彼のお腹がボコンボコンと膨らみ出す。その元気なうごめきは、じょじょにのどへと駆け上がり、彼は大口を開けた。
すると、彼の開いた口から、ぴょんとウサギが飛び出たんだ。男の子は喜んだけれど、さすがに口から出たものに触りたくなかったんだろう。ウサギに一方的に話しかけたら、かえっちゃったけどね。
「ザ・ボックス」の用意周到さに、この時のおじさんは感心したけれど、後に、どうやら手放しで称賛してはいけない事態に出くわすことになったんだ。
その日は彼の新マジックのお披露目の日。一目見ようと、多くの人が集まった。
今回のマジックは「剣飲み」の逆。すなわち、「剣吐き」をするとのこと。
観客たちは驚いたけれど、おじさんを含め、ついさっきまで一緒に食事をしていたマジシャン仲間は、別の意味で度肝を抜かれた。「ザ・ボックス」は、ほんの十分前まで、これでもかという量の肉を食べており、剣などをしまっておく余裕があるとは考えられなかったんだ。
しかし、彼はやった。
「おいで〜、おいで〜。うん、そうだよ、いい子だね〜。カモォン、カモォン」
例の台詞と共に「ザ・ボックス」が口を開くと、刃物の柄が見えている。彼が手でつかんで引き抜くと、それは優美な反りを持つ、「カトラス」だった。あの映画とかで、海賊が使っている剣だ。
しかし、それは皮切りに過ぎない。サーカスなどで使う短刀を何十本も出したかと思えば、彼の上半身と同じくらいの長さがある、クレイモアが飛び出す。
「ザ・ボックス」は拍手の渦に包まれたけれど、おじさんたちマジシャン仲間はそろって席を立った。具合が悪くなったためだ。
彼の技術に嫉妬したから? いいや、違う。体調不良はそれから何日も続き、おじさんたちは興行をリタイアせざるを得なかった。
大きい病院で診てもらったところ、栄養失調という診断が下される。それも鉄分が決定的に足りていない、と。おじさんは人一倍、栄養バランスを考えていたにも関わらず、だ。
おじさんは悟ったよ。「ザ・ボックス」のタネを。
彼に準備や仕込みはいらなかったんだ。なぜなら、みんながみんな、お膳立てをしてくれていたのだから。彼はそれを拝借するだけのこと。
「ザ・ボックス」の独壇場となってしまった興行。彼の芸は、変わらずに多くの人を沸かせたけれど、おじさんはそれを見届けることなく、日本へと帰ってきたという話だ。