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居眠りこき

 お疲れ様だな、つぶらや。今日もお互い、生き延びることができて何よりだ。

 会社での寝泊まり、推奨されなくなってからが、きついよな。今までだったら、終わり切らない仕事は、一晩かけてじっくりまったり、オフィスで可愛がってやっていたのに。経費の削減だとかで、残業ができなくなったのがきつい。

 無理やり終電で帰らされて、資料の持ち帰りもできないときている。家には眠りに帰るだけ。なんか、かえって疲れが溜まるのよね〜。おかげで会議の時間とかも、眠い眠い。

 不謹慎だと言われるかもしれないが、家と会社、片道一時間以上かかるんだぜ、俺。オフィスに泊まりだったら、その貴重な一時間を睡眠に充てて、体力を回復できるのに……。居残り態勢が身体に染みついてるから、簡単には直せねえよ。つぶらやだって、けっこう辛い時があるだろ。

 だが、居眠りって奴は、とても恐ろしいものにつながる可能性をはらんでいるんだぜ。聞きたくないか?


 俺はいわゆるロングスリーパー体質らしい。今は多少、睡眠時間を削っても稼働できる身体になりつつあるが、学生の頃なんか、一日十時間睡眠じゃないとシャキッとしなかったな。

 中学、高校と精力的な部活に入っていたから、それなりにハードだったよ。朝の5時から朝練。通常授業。夕方6時まで部活。そのまま塾に向かって、11時まで勉強。帰宅。就寝……なんていうのが、週に3日だか4日だかあったな。

 当然、俺の最適な連続睡眠時間は確保されない。だから、俺が教室で居眠りするのは、自然なことだった。うちの学校は、周りも先生も、ほとんど起こしてくれなかったからな。配膳の関係で起きないと迷惑な給食。同じく、起きないとゴミ同然に扱われる掃除。それ以外の時は、眠りっぱなしで過ごした日があったっけな。

 だが、ある時を境に、俺は居眠りを極力なくそうと思い出したんだよ。


 午後から台風がやって来るという、予報がされた日。俺は一緒に暮らしていたばあちゃんから、10円玉を2枚もらった。

 電話代だ。当時の俺はケータイを持っていなかった。かといって、小銭に困っていたわけじゃなかったから、ちょっと困惑したぜ。公衆電話の料金くらい、自分の財布から出せばいいじゃん、と思ってな。


「いやいや、持っておきなさい。困った時には、このお金を使うのよ。絶対ね」


 小さいお守り袋の中に、10円玉が突っ込まれて、俺に渡される。無くさないようにひもをつけられて、首から提げることになった。誰かに見られるのがこっぱずかしかったから、袋そのものは、服の下にしまいこんでいたけどな。

 その日も、俺は寝ぼけまなこでホームルームを終えたんだが、眠気はいかんともしがたい。たいていの一日がそうだったように、俺は最初のコマの授業が始まると、カンペンを出し、教科書とノートを申し訳ばかりに広げて、机に突っ伏す。いつもならそのまま夢の世界なんだが、今日は違った。

 目を閉じてから数秒。俺の額に痛みが走った。驚いて辺りを見回すと、床には砕け散った白チョーク。チョークを投げられたんだ。


「てめえ、いつも眠ってばっかだな。そんなに眠りたかったら、トイレで眠ってろ」


 みんなの笑い声を背中に受けながら、俺は教室の外に放り出された。

「なんだよ、今日に限って」と、俺は腹が立ったね。今まで無視していたくせに、急に教師ヅラをしやがって、勝手な奴だぜ、と心の中で悪態ついた。

 ならお望み通り、トイレで眠ってやる、と俺は男子トイレに直行。奥の洋式便座に腰を下ろして、「考える人」のようなポーズで眠りに入った。


 しばらくウトウトしていたんだが、どうにも「ぐっ」と寝つけない。いつも机に身を預けていたからか、この態勢での居眠りに慣れていないせいかも知れなかった。

 時間が経つにつれて、目がさえてきてしまい、仕方なく俺は便座から腰を持ち上げる。教室に帰ろうと思ったんだ。

 俺の教室は、トイレと階段から一番近い場所にある。先ほど追い出された手前、堂々と入るのもちょっとはばかられた。後ろからこっそり入ろうと、教室の後ろのドアの前まで行く。入るタイミングを見計らおうと、俺はドアにはめ込まれている窓から中の様子を伺ったんだが、驚いたぜ。


 先生はチョークを握り、みんなは黒板を注視していた。先ほどと同じ光景だ。

 まだ一コマ目の授業は終わっていない。数学の授業で、図形の単元をやっていたから、黒板に円や三角の図が書いてあったのを覚えている。

 ところが、黒板には図など一つもなく、文がびっしりと詰まっている。黒板上部には、でかでかと「オグラマサト対策会議」と書かれていた。オグラマサト、俺の名前だ。

 更に細々とした文が下に続いており、俺は目を走らせる。


「このたび、この世界へ訪れることが多い、オグラマサト。一向に改める気配なく、元の世界に未練を感じさせぬ。ついては、あやつを確保の上、我らの同志として迎え入れるべくここに……」


 何を書いているんだ……。俺は思わず震えて、教室のドアを揺らしてしまった。

 教室中の目が、こちらを向いたかと思うと、座っていた生徒たちが一斉に立ち上がった。その動きははかったように正確で、軍隊のそれを思わせる。

 やばい。俺は、階段目がけて走り出した。この校舎から逃げ出さないとまずいと、そう思ったからだ。

 ほどなく、俺のクラスを含めた、各教室のドアがいっぺんに開かれた。中から現れたのは、全員、俺の見知った顔。それが俺の見知らぬ無表情を浮かべたまま、こちらに近づいてくる。


 俺は階段を一気に駆け下りた。俺の教室は二階。ここを降りれば、すぐに昇降口だ。

 ところが、昇降口には鍵がかかっていた。生徒がいる間は鍵どころか、入口を開けっぱなしにしているというのに、今日に限って。

 内側から開けられるものの、時間稼ぎには十分。震える手でもどかしく開錠する間に俺は、階段を下りてくる音。廊下を駆けてくる音。それらが無数に重なる不協和音を、嫌というほど耳に叩きこまれた。

 追手の先頭が、下駄箱付近に現れた時、ようやく鍵を開けるのに成功。迷わず外へと飛び出した。


 予報よりも早く、外は暴風雨になっていた。だが、屋根の下であいつらに捕まるより、はるかにましだ。俺は構わずに、身一つで懸命に走り出した。雨音で消されているのもあったが、追手の気配はしない。とにかく距離を保とうと、俺は走る。

 校舎の外に飛び出した俺は、耐えがたい寒気を覚えた。どこかで雨宿りをしたかったが、俺の学校はちょっとした高台の上にあり、屋根のある建物は坂を下らないと見当たらない。

 一体、どうなっている。訳が分からずに、びしょ濡れのままで坂を疾走する俺は、ふと、ぽつんと立っている電話ボックスを見かけた。あまりお世話になった記憶はないが、それでも何度か利用したことがあったものだ。

 とにかく、事情が分かる誰かと話をしたい。俺は財布から小銭を取り出して突っ込むと、自宅をダイヤルした。

 だが、呼び出し音はせず、代わりに録音したカセットテープを、スロー再生したような、ゆったりな口調の声が流れた。


「みいつけた、うごくなよぉ、マサトォ」


 俺は電話を切った。耳にへばりつくような声音。鼓膜が腐ってしまいそうだ。

 坂の上を見ると、ちらちらと人影が。追手と見て間違いないだろう。

 逃げないと、と俺はボックスから飛び出そうとしたが、ふとばあちゃんからもらった10円玉のことを思い出した。困った時に使え、と。

 追手が来るまで、まだ時間がある。ダメもとで、お守りから10円を取り出し、電話機に押し込み、改めて自宅をダイヤル。


「もしもし、マサトかい?」


 聞き慣れた、ばあちゃんの声に、俺は安堵した。そして思わず叫んじゃったよ。「助けて」てな。

 ばあちゃんは落ち着いていた。こうなることが分かっていたように。


「時間がない。マサト、富士の宮病院の201号室に向かいなさい。今すぐに」


 富士の宮病院。俺が産まれた場所で、この高台のふもとにある。

 声はそれきり途切れたが、目標は見えた。俺が電話ボックスを飛び出すと、追手の姿は、ボックス手前、数十メートルに迫っている。

 俺は坂の下からはさみうちにならないことを祈りつつ、病院へと走った。


 病院に飛び込んだが、中はもぬけの殻だった。俺の存在に気づいていないのか、びしょ濡れの俺が自動ドアを開けても、誰もどこからも出てこなかった。

 好都合。病院の間取りは頭に入っている。俺は階段から201号室に向かう。部屋の手前まで来て、ドアのそばに看護師さんが立っているのに気づいた。思わず身構えたが、看護師さんは「お早く」とばかりに、病室のドアを開けて、俺を手招きしている。

 もう飛び込むしかない。後ろの階段からは、無数の足音。追い詰められていた。

 病室に駆け込んだ俺の目に入ったのは、ベッドで横たわっている、もう一人の俺だった……。


 目を覚ますと、俺の顔を心配そうにのぞき込む、両親の顔があった。

 聞いたところによると、俺は一コマ目の授業の時に、居眠りしながらバランスを崩し、椅子から転げ落ちたらしい。近くのみんなが身体を起こしてくれたんだが、その時点で俺は意識不明。すぐに救急車が呼ばれて、病院に運ばれたのだとか。

 無事を喜ぶ家族の中に、ばあちゃんの姿はなかった。全員で出かけようとする時、「必要になるかもしれないから」と、留守番を申し出たんだそうだ。結果的に、俺は大助かりだったよ。


 後でこっそりばあちゃんに聞いたところ、ばあちゃん本人も居眠りをして、同じような目に遭ったことがあるらしい。その時は、ばあちゃんの母ちゃんが同じように助けてくれたとのこと。

 居眠りはすべてに対して無防備。そこを狙う者は、どこにでもいるから気をつけないとね、とばあちゃんは死ぬまでずっと、俺にそう語っていたよ。



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