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おがくず病

 ん、つぶらやくん、ちょっと君の板、短くないかい? もしかして、「けがき」した線ギリギリから、のこぎりを入れなかった?

 先生にも言われたでしょ。のこぎりの刃の暑さを計算に入れろって。ほら、僕のと比べると、ミリ単位で違っているじゃないか。替えの創作キットはもらえないだろうからねえ……。一回り小さいアタッシュケースにするしかないかな。

 これで作ったケース、ずっと技術の時間で使い続けるらしいよ。木って、僕たちが思っているよりも、はるかに丈夫だと聞く。加工の仕方によっては何百年や、それ以上に長持ちする。最古の木造建築の法隆寺なんか、建造から1000年を超えているもんね。

 作る職人の命は、もって100年。対して、作られたものの命は10倍以上。それだけの生涯で、一体どれだけのものを見られるんだろう。ちょっと、うらやましいかな。

 ――おっと、もう授業の時間も終わりそうだ。そろそろ掃除をしよう。「おがくず」もかなり出たねえ。

 作品にばかり注目すると、視界に入りづらい、おがくずのごとき存在も、いくつか言い伝えがあることは、つぶらやくんも知っているかな。

 興味出てきたかい? 掃除しながらでよければ話そうか。


 おがくずの「おが」というのは、のこぎりを指している。もしも、カンナで削って出てきたくずなら、「かんなくず」になるわけだね。

 つぶらやくんも知っての通り、おがくずの用途は燃料から梱包、ペットの敷物まで様々だ。

 電車でおがくずが残っているところを、見たことがあるかい? あれは吐瀉物としゃぶつの処理に使ったんだ。おがくずに水分を吸わせることで、掃除をやりやすくしているんだとか。

 けれど、おがくずは肺に吸い込むことによって、発がんの可能性を高めるとして、取り扱いに注意が促されるものでもある。

 今から話すのも、おがくずの存在が人々に知れ渡ったケースの一つと言えるだろうね。


 振袖火事の異名を持つ、「明暦の大火」があって以来、江戸では火事に対する体制が大いに見直されることになった。10万人を超える死者を出したとも言われるこの災害の後、大工たちは焼けてしまった建造物の建て直しのために、大忙しだった。

 幕府の手によって価格統制が行われたほど、大量に消費された材木たち。元の街並みを取り戻すために、時間を惜しんで削り出しや組み立てが行われたみたいだ。

 当然、おがくずも大量に出る。一刻も早い工事の完了を望む声が強く、おがくずの処理はついつい後回しにされがちだった。現場にこんもりと積もったおがくずの山は、時折、吹いてくる突風に飛ばされて、焼けただれた跡地の上に舞い上がり、被害が出ていない家屋たちにも、まんべんなく降りかかった。

 おがくずは燃料としても重宝したから、人々は自分の家の屋根に降り積もったおがくずを拾い集め、個々人で大事に保管していたらしい。

 おがくずを取り扱う商人にとっては大きな打撃だったが、すべての家を取りしまることなどできはせず、結局は個々の家庭の裁量に、任されることになったらしいね。


 そして、火事から数ヶ月が経った時のこと。

 季節は夏を迎えて、焼けた建物も徐々に以前に近い姿を取り戻しつつあった。その夏は一際暑く、各所に配置された井戸は大忙しだった。だが、そのうちの井戸の一つで。

 仕事帰りの大工の一人が井戸の水を飲んだとたん、大いにえずいて、井戸の中に戻してしまったんだ。近くの長屋でも、日々お世話になっているものだったから、大工はたちまち袋叩きにあった。

 幸い、年に一度の井戸掃除である井戸浚いどさらいが近づいている時期だった。どうにか、この時期を乗り切れればと、人々は伝手を頼りに、知り合いから水を分けてもらったみたいだよ。

 ところが、吐き気に襲われる人は後を絶たなかった。井戸以外にも路上で気分を害する人は多く、吐くまで症状も重い。人目につかないところへ行くのにも、相当な労力を要したみたい。


 その吐瀉物に共通した特徴として、おがくずが混じっていたことが挙げられる。話を聞いたみんなは、大工仕事の傍らで空に舞う、大量のおがくずのことを思い出していた。

 先にも話した通り、おがくずは水分を吸い取る。吐瀉物はあまり飛び散らずに、処理が比較的、楽だったけれど、この事態を知った人々は、おがくずに対して警戒を強めた。

 外にいる時はもちろんのこと、家の中でもおがくずを使う時には、手ぬぐいを口に巻いて、おがくずの粉が入らないようにしたみたい。

 それでも、各地の井戸から汲み上げた桶の中に、誰が吐いたか分からない吐瀉物が浮かんでいることは、なかなか無くならなかったらしい。人々は文句を垂れながらも、商人が持ち込んできた、地方の新鮮な水に頼ることが多かったんだとか。


 そして、井戸浚いの時期がやって来た。

 気合を込めて、人々は井戸の掃除を行う。井戸浚いを始めて、改めて街中の井戸が大いに汚されていることを、人々は思い知らされた。加えて、その日は猛烈に暑かったんだ。

 一人の老人が、井戸浚いをしている脇で、こっそり汲み上げた水を飲んだらしいんだ。すると、たちまち彼は身体中をかきむしり、悶死してしまった。この事態は町の各所で起こり、数名の被害者を出してしまったが、被害者のいずれもが長く街を空けていて、帰ってきたのが最近の者ばかりだったんだ。

 つまり、あの日のおがくずを吸い込んでいない者ばかりが、井戸水にやられた。後世では井戸水が腐っていて、有害な雑菌が混ざっていたのだろうという見解になっているけど、立ちどころに死んでしまうほどの強力なものが、どこで生み出されたかは分からずじまい。


 この症状はおがくずと共に吐いてしまい、商人から水を買っていた者たちには、出ることがなかった。

 もしや、あのおがくずたちは、こうなる事態を防ぐために、井戸から得た水分を、自らと一緒に排出させたのではないか。

 新しくできた街並みを眺めながら、一部の人々の間で、そんな噂がまことしやかに囁かれたのだとか。



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