逢瀬の湯
ぷはー、湯上りのコーヒー牛乳は、サイコーだぜ!
つぶらやはノーマル牛乳がお気に入りなのか? コーヒー牛乳、最近、甘すぎる気もしないでもないからな。甘党の俺は大歓迎だけど。
お湯につかるのって、ハマる時はハマるよな。特に疲れている時は。こうあふれ出るお湯と一緒に、疲れが抜けていく感覚。たまらないよな〜。
あとは心も一緒に癒してくれたら……って、おい、なんだその目線は。また物書き特有の、ヘンテコ思考回路かよ。勝手に俺の名誉を棄損しないでほしいね。
信用できない? やれやれ、頑固な奴だ。その頭を柔らかくするために、心の癒しについて一本、話でもプレゼントしてやるか。
火山大国とも呼ばれる日本において、温泉が数多く湧くことになったのは、自然だったと言えるだろう。おかげで神秘との結びつきも強く、昔から儀式や帝の行幸などに使われた記録が残っている。
そのうち、ケガに対する効用などが注目され、生傷を負う武士たちが温泉を利用し始めたことで、癒しの文化は大いに広まっていくことになる。そして、身体も癒えれば心もひとりでに癒える……ばかりだったら、楽ちんなんだがなあ。世の中、上手くいかないもんだ。
なので、ふとしたつながりという奴が、大切になってくるわけなんだ。
俺のじいさんが、若い頃の話だ。
じいさんはまだ新米で、上司の使い走りをされていたんだってよ。当然、ストレスも溜まる。
なんでも、じいさんは学生だった時には成績優秀だったせいで、鼻っ柱が強かったらしい。その自分が、どうしてこんな雑用を、なんて不満たらたらだったみたいだな。
だが、曲がりなりにも実家を離れて、一人立ちをしていたんだ。そうそう、親には頼れないという、これまた強いプライドがあってな。だから、一人でも発散できる場所を求めていたんだ。
その一つが温泉だったみたいだな。銭湯ではなく、露天風呂が好み。天井がないから、上司みたいに、頭を押さえつけられることはない……とか、じいさんなりのゲンをかついでいたらしいな。
しばらくは休みのたびに、様々な温泉を巡っていたんだが、とある出来事により、ある温泉に足繁く通うことにしたらしいぜ。
その温泉は、じいさんが仕事仲間から話を聞いたものだった。
朝早くから、日付が変わるくらいまで入ることが可能らしいんだが、ひとつ、不思議なうわさがささやかれている。
露天風呂に一人だけで入っていると、声をかけられることがあるらしい。男湯に入っていたら、女湯から。女湯に入っていたら、男湯から。
その声は、聞く人によって異なる。子供のようだったり、老人だったりするものの、聞く人が想像する中で、一番理想に近い声質でしゃべってくれるらしい。そして、雑談から相談まで、色々な話し相手になってくれるんだと。ただ、誰かが風呂に入ってくると、ぴたりと止んでしまう。おかげで会話内容の秘密が守られているんだが。
一人の時でしか話せず、一緒に聞く者がいないから、あくまで声としゃべったという人が広めている噂に過ぎない。だが、じいさんは実際に検証してやろうと、まとまった休みが取れた時に、かの温泉を訪れたんだ。
滞在二日目。
頻繁に露天風呂に足を運んでいたじいさんは、午後九時を少し回ったところでようやく一人きりになることができた。
実際、うわさがどれほどのものか、じいさんは少しだけ緊張しながら待っていた。
季節は秋。竹でできた仕切りに囲まれた風呂のあちらこちらには、小さいカエデの葉が横たわっていたことを、じいさんはよく覚えていたそうだ。
「あなた、ここまで電車とバスで来たの? 大変でしたね」
いきなり声をかけられた。確かに女湯の方向からだ。
しかもその声は、じいさんの初恋の女にそっくりの声だ。その上、何もいわないうちから、じいさんが使った交通手段を当てている。
これが噂の主か、とじいさんは俄然、興味が湧いてきた。
声だけの話し相手。体で向かい合い、腹を探り合う人間関係に疲れていたじいさんにとって、言葉を空気に浮かべるだけで成り立つ気軽なコミュニケーションは、一気に心を楽にしてくれたと話していたな。
しかも、声の相手はどこまでも自分を甘やかしてくれる。
じいさんが仕事の愚痴をこぼせば、その苦労一つ一つを取り上げて、じいさんの頑張りを褒めてくれる。失敗したことを告げれば慰めてくれるし、疲れている時には休むことを勧めてくれるんだ。ただの一言も、じいさんを責めたり、咎めたりすることはない。
これは、承認欲求に飢えていたじいさんに、てきめんに効いた。いい気分になりたいあまりに、自分の過失を実際よりも控えめに。上司や周りのひどさを実際よりも大げさに、話し続けた。対する声は、どんな言葉に対しても、じいさんの味方であり続けてくれたんだ。
だが時間が経ち、優しさに包まれるのに慣れてくると、じいさんは疑念を持ち始めた。なぜ、この声は対象に優しくあり続けられるのだろうか、と。他の体験者の話を聞く限り、いずれもじいさんと同じように、心を支えて、励ましてくれるような言葉ばかり掛けられているみたいだった。
節操がない、無責任な奴だという非難。どうして、みんなに優しいのか、という疑心。自分だけを満たしてほしい、という欲望。
様々な感情が、じいさんの中で渦巻いていたようだ。そして、じいさんは次の旅行の際に、声の正体を暴こうと決めたんだ。
いつも通りの一人きりの入浴。
じっと待ち受けるじいさんに対して、やがて声が掛かった。
「お前さん、私の姿を知りたいんでしょう?」
今までと同じように、じいさんの心を見透かすような言葉だった。対して、じいさんは黙ったまま。
「どうしてもというのなら、その望みをかなえましょう。そちらとこちらを隔てる、この竹でできた垣根。一番左端の一角が壊れています。そこから、こちらを覗いてみてください。ただし、覗いたのならば、私はもう二度と、あなたに言葉をかけることはないでしょう」
二度と言葉をかけてもらえない。じいさんの心は少しぐらついたものの、すぐに立ち直った。
どうせこいつは、誰にだって似たようなことを話しているんだ。自分が独占できないなら、こんな奴、自分から願い下げだ。これ以上、甘言に惑わされるな、と若さに任せて、行動に出たんだと。
実際に竹の垣根を用心深く調べてみると、相手の言葉通り、左端の一角が壊れていた。だが、相手の言葉に従うのが癪だったじいさんは、危険も顧みず、垣根を上って、相手を拝もうとしたんだ。
元々、登るように出来ていない垣根は、じいさんの体重を受けて、上がるたびにみしみしときしむ。それでもできる限りの注意を払って、じいさんは垣根を登りつめた。
だが、覗いた先は、じいさんが想像していたような、女湯ではなかった。厳密には、数メートル先に、女湯のものと思しき垣根があり、すぐ隣にあったのは女湯との間の空間。
そこにも小さな温泉が湧いていた。ただし、湯に漬かっているのは、大小さまざまな落ち葉たちだけだった。
葉の色からして、春や夏ごろに落ちたと思われるものから、最近、落ちたと思われる紅葉たちまで、色とりどりの葉たちが、かすかに吹く風に揺られながら、水面を漂っているばかりだったんだ。
それを見て、じいさんは悟った。
どうして、誰にでも優しくいられたのか。それは常に「最期」を味わい続けているから。
どうして、じいさんたちのことを知っていたのか。それは地面を通じて、彼らはみんなを見守り続けていたから。
これはあくまで、じいさんが立てた仮説に過ぎない。
例の温泉宿も、経営難で潰れてしまい、もはやうわさを確かめることはできないが、確実に言えるのは、じいさんが覗きを行ったあの日以来。たとえ一人で風呂に入っても、じいさんに声が語り掛けてくれることは、ついになかったということだ。