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客に寄り添う呉服商

 どうだい、つぶらやくん。エプロンづくりは終わった?

 いやあ、この時期はみんな居残ってミシンの取り合いだよ。早めにちゃちゃっと仕上げといて正解だったね。ただ調理実習にもつけてこいってのはちょっと辛いなあ。あまり恥ずかしい出来を披露したくないんだけどね。

 裁縫って、面倒くさいけど知っといた方がいいテクニックの一つだよね。ボタン止めとか将来できたら、絶対、楽ちんじゃん。わざわざ業者の人に頼まなくて済むし。

 え? どうせめんどくさがって、新しく服を買う? つぶらやくんは思ったより、金遣いが荒いのかい? 今までの君を見ているとお金より、自分の心のゆとりを大切にしているって感じかな。どうだい、ビンゴだろ。時間と効率は金で買える。

 そういえば、服を巡っておかしなエピソードを聞いたことがあったね。課題が終わったのなら、少しは時間ができただろ? つぶらやくんの心の洗濯になるといいな。


 日本と服。歴史をさかのぼれば、江戸時代の呉服商が、現在まで続く系譜の起源だという話だ。有名どころでは「三越」こと「三井越後屋呉服店」だろう。

 つぶらやくんも知っての通り、店舗を構えてお客さんを招き、予算に応じた比較検討を行って販売する「店前たなさき売り」。商品に値札をつけて、薄利多売のシステムを確立した「現金掛け値なし」などの、これまでとは違う手法で多くの顧客を獲得することに成功している。

 これらの新機軸は、従来の呉服業者との対立を招き、店を移転するはめになったこともあるという。だが、勝ち馬の尻に乗りたいと思うのも、また人間の心理。

 三越の勢力が及ばない地方では、似たような方法で商売を行っている呉服屋があった。


 その日、その地方では、現代でいうところのチラシにあたる「引き札」が大量に配られていた。

「店前売り」「現金掛け値なし」に加えて、オーダーメイドにもあたる「仕立て売り」を導入した呉服屋が、翌日、開店するとのことだ。

 話に聞く三越の支店か、と人々は一瞬期待をしたが、実際には縁もゆかりもない、別の店だということが分かり、いささか失望の色が浮かぶ。

 しかし、たまには店に足を運ぶというのも、いい暇つぶしになるかも知れない。そんな思惑もあって、開店初日には相応の人が集まった。


 服の楽しみの一つに、色や柄を楽しむというものがある。水無月のころに開店したその呉服屋は、一足早く秋向けの生地を売っていた。落葉を思わせる、黄色や紅の生地が特に目を引いたみたいだね。

 仕立て売りを謳っている通り、大人には大人に、子供には子供にあった大きさで服を仕立てて販売してくれる。更に、誰に対しても価格が一定だから、自分の財布と相談して、季節を先取りした服を用意することができた。そこから得られる満足感だけでも、自分が買い物に来た価値があると、これまでにない販売方法に感心した人も多かったらしい。

 やがて、購入した服を実際に身につける時期がやってきたんだけど、不可解な事件が起こった。


 きっかけはとある飲み屋で起きた、酔っ払い同士のいさかいだった。

 服に酒をこぼしたといって、ある男が隣に座っている男にケンカをふっかけたんだ。対する男も酔っているために、気が高ぶっている。表に出た2人は近くに置かれていた水桶をひっつかんで、壮絶な殴り合いをした。

 お互い、したたかに打ちつけて、桶が砕かれると、取っ組み合いになった。最初は喧嘩を楽しんでいた野次馬たちも、さすがに止めようと、割って入りに行く。

 そのさなか、二人が暴れた拍子に、水で濡れた泥が、止めようとした一人の服のすそを汚したんだ。その瞬間、汚された服の持ち主は止めるどころか、更に勢いを増すように、二人に向かって殴りかかっていった。

 騒ぎは更に土ぼこりを巻き起こし、同じように服を汚された人達による、乱闘を呼ぶ。多数の重軽傷者を生み出したその騒ぎは、奉行所の同心たちが総出で止めるほどだったらしい。

 

 関係者は全員、奉行所に引き出された。その抵抗は激しいもので、一人に数人がかりで取り押さえなければ、跳ね飛ばされるほどだったという。かといって、見苦しい格好で目通りをさせるわけにはいかない。汚れと喧嘩でボロボロになった彼らの衣服を無理やり脱がし、別の服に着替えさせる。

 すると、どうしたことか。先ほどまで手に負えなかった暴れ者たちが、一斉になりをひそめてしょげ返っている。それどころか、皆に聞いてみても、喧嘩の内容を覚えているものはいない。服を汚された瞬間、記憶がなくなったとのことだった。

 一人、二人ならともかく、その場の全員が同じことを主張したものだから、奉行所のものたちは首を傾げるばかり。衣服について改めたところ、全て件の呉服屋で購入したものであることが判明。加えて、それぞれの服を裁断し、裏地に至るまで調べると、奇妙な一致があった。


 編まれた生地の奥深く。そこにびっしりと小さいキノコがひしめいていたのだ。そのキノコはつつくと、目に見えるほどの濃い胞子を吐き、調べた人の中には人や物を壊したい衝動に駆られた者もいた。

 同心たちが呉服屋に向かったところ、店はもぬけの殻。ただ、誰も立ち入ることが許されなかった奥の間を開けると、そこは畳や壁、柱、鴨居に至るまで、あの生地に埋め込まれていたキノコと同じものが、びっしりとすき間なく生えていたんだって。


 キノコたちは即日、焼却処分されたけれども、店主たちの行方はわからないままらしい。つぶらやくんも、相手の服はもちろん、自分の服も汚さないように気をつけなよ。

 ちょっと汚したら、それが自分の死に際だなんて、物騒なことはゴメンだろ?



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