帰国してきた眠り姫
ただいま、こーちゃん。久しぶりかな。
ちくっと、南半球まで旅行してきたよ。いや、奇跡的にまとまった休みがとれたから、プチバカンスってとこ? 未だに時差ボケが抜けないな。
時差ボケの典型的な症状と言えば、睡眠障害。普段の睡眠リズムが大幅に狂うものだから、夜眠れずに、昼寝しまくりなんてことが、平然と起こる。若ければ若いほど、身体のリズムは早く整うものだと聞くけれど、やっぱり眠気には抗いがたい。
居眠りって、印象が悪いのはいつの時代も同じようだね。感情を抜きにして考えれば、全員が同じ時間に行うことを妨げるわけだから、本来、期待できる効果を生み出させなくなる。それは、その場に集まった人の大切な時間を無駄にするわけだから、個人の都合で全体に不利益をもたらすなって、とこだろう。
組織の中で個を尊重する。努力を重ねても、一線を越えることはできないんじゃないかと僕は思う。集団の規律は重要。たとえ個を犠牲にしても……。
そんな風に思うようになった、きっかけの話。こーちゃんにも聞いてほしいかな。
僕の友達が高校生だった時、クラスに帰国子女の女の子がいた。
帰国子女と聞いただけで、なぜか僕らは勝手にハードルを上げがちだよね。英語がペラペラだとか、お嬢様だとか、美少女だとか、インテリだとか、趣味は楽器だとか……これらが崩れただけで、年頃の子は、内心がっかりする。「帰国女」ではなく、「帰国子」だったりしたら、もう総スカンレベル……おっと、二次元にハマり過ぎの意見かな。日本のレッテルって、独特で変な感じに構築されちゃったねえ。
例の女の子も、帰国子女ならではの特殊性を期待されたみたい。特に何かが抜きん出ていたわけじゃないけど、確かに無視できない特徴があった。
それは、ところかまわず眠ること。授業中、休み時間を問わず眠る。時間もまちまちで、五分だけの時もあれば、昼から下校までなんて時もあるらしいんだ。
いつ寝るか分からないけど、寝る時には徹底している。音楽で歌っている最中に、眠る。体育はずっと休み。登下校は親が車で送り迎えをしている。
そして、これらの事態に関して、先生たちは何かしらの説明を受けているらしく、黙認し続けていた。彼女が眠ると、起きるまでそのまま放置。それが朝礼の最中であったり、移動教室中の廊下だとしても。
そして、彼女には一切、手を触れようとせず、生徒にも触れることを許さなかったんだ。
友達たちは、あれが噂の睡眠発作、ナルコレプシーじゃないかと疑い始めた。ナルコレプシーにかかった人は、日中に強い眠気に襲われると聞いたことがあったからだ。
「じゃあ、とっとと病院に行って直せばいいだろ」
「いや、まだナルコレプシーとは決まってないかも。通学しながらも、検査は受けられるらしいが、確定の診断を下すまで時間がかかるんだってよ」
「金もかかると聞いているぜ。大変だな、帰国子女っていうのも」
ナルコレプシー説は、生徒たちの間で囁かれていたけれど、彼女の隣の席だった友達にとっては、もっと違う何かの気がした、という話だったよ。
なぜなら、眠っていると思しき間、彼女は寝息を立てることがなかったから。息を吸っているなら起こる、肩や背中の動きがまったく見られなかったらしいよ。
秋になり、文化祭の時期がやってきた。
友達も帰国子女の子も、絵心があったために、ポスター制作係に駆り出されたんだ。同じクラスという理由からか、二人で告知用のポスター作りを頼まれていたみたい。
デッサンも済んで、いよいよ色塗りに入ろうかという段階。友達は、また彼女のナルコレプシーがやってくるんじゃないかと、気が気じゃなかった。
彼女もそれを察したのか、色を塗りながら友達に声をかけてくる。
「もし、眠っちゃったら、何もしないでそのまま、ほっぽっといて」と。
形の上ではうなずいたけど、言葉通りにして取り返しのつかない事態を招きたくない。いざとなれば、自分だけでもどうにかしないと、と思ったみたい。
延長された下校時間たっぷりを使って、色塗りがようやく完成。あとは乾かすだけになった。道具を片付けようと、友達が立ち上がりかけた時。
彼女の身体が、前方のポスター目がけて、傾いでいく。その眼は閉ざされて、何も見えていないだろう。このまま倒れたら、彼女は上半身絵の具まみれだ。
友達はとっさに腕を伸ばし、彼女の身体のつっかえ棒にする。倒れかけている胴体を、腕一本だけで支えたわけだから、それなりの衝撃があった。だけど、彼女の身体に触れたことで、友達は驚くことになる。
彼女の身体は、冷たかった。ほんの数秒前まで動いていたとは思えない。支える腕さえ凍りそうな寒さを宿している。
思わず力が入って、半ば強引に彼女の身体を起こす。姿勢が戻ったとたん、彼女はぱっと目を開いた。友達の姿を認めると、次の瞬間には胸倉をつかまれて、尋ねられる。「私、眠ってた?」と。
ワイシャツの生地が悲鳴をあげるほどの握力。友人が必死にうなずくと、彼女は「いけない!」と鋭く叫んで、友達を掴んだまま教室隅の掃除用具入れ前に移動。友達を用具入れに押し込んだ。
「いい? ここからは絶対に身動き一つ取ってはダメ。音も漏らしてはダメよ。私はもう一回眠るから、起きるまでじっとしていて。ごめんね」
まくし立てた彼女は用具入れの戸を閉める。用具入れの隙間から。あわただしくさっきの場所に戻って、寝転ぶ彼女の姿が見えた。友達がわけのわからなさに、混乱していると。
教室前方の入り口から、何者かが入ってきた。
背中は90度ほど曲がって、真っ黒いローブをまとっている、目深に被ったフードのために顔は見えなかった。まだ明るいにも関わらず、火を入れたカンテラを手に持っている。
その異様な風体をした者が二名。教室の間をゆっくりと歩き回り、脇にかたしていたはずの机や椅子にペタペタと触っていく。
「確かに、姫の息づかいが聞こえたが……」
そんなことをつぶやきながら、教室中を巡る。
確かめるように、あらゆるものを叩いていくその手が、やがて彼女に触れた。彼女は身じろぎ一つしない。彼らは彼女自身を踏みつけ、塗りたてのポスターも荒らし、やがて用具入れの前まで来た。
手に持ったランプで照らされたら、一発で見つかってしまう。友達は固まるしかなかった。
やがて絶望の明かりが、用具入れの隙間から差し入れられる。引きずり出されたら、どうなるという怯え。そこからくる身体の震えを必死に耐え、息さえ止める。
どれほどの沈黙があっただろう。ようやく光が下げられ、思わずため息が漏れそうになった刹那。
「姫以外の気配も感じたが……気のせいか」
「まあよい、今回は見逃してやろう。おらぬものを追っても、仕方あるまい」
「では、次に見つけることがあれば」
「そんなの、決まっておろう」
しゃがれた声で二人が教室を出ていくのを見た後も、やがて彼女が起き上がって、用具入れを開けてくれるまで、友達は全く動けなかったらしい。
家に連絡をして迎えに来る間で、彼女は友達に話をしてくれたんだ。
詳しいことは言えないけれど、自分はあいつらに追われていること。
あいつらはどこにでも現れて、自分を拉致しようとしてくること。
自分はあいつらが近くに来ることが分かるので、その時にはあのナルコレプシー状態に入ること。
今回は友達が触れたことで、ナルコレプシー状態が解かれ、彼らに嗅ぎつけらてしまったこと。
「もしも、今までに君に触れていたら、同じ事態になっていたの?」
「うん。その時は最悪、みんなに眠ってもらうしかなかった。あいつらはね、動くものには敏感だけど、動かないものにはとことん鈍いの」
平然と口にする彼女に、友達はぞっとした。
「たぶん、この一件で学校がマークされた。私、転校すると思う。巻き込んでごめんね。楽しかったって、君の口からみんなに伝えて。お願い」
暗くなり始めた校舎の中でも、彼女の笑顔ははっきり見えたんだとか。
話通り、彼女は翌日に急な転校をすることになった。
クラスのショックは大きく、友達がメッセ―ジを伝えても、納得のいかない声は大きかったみたい。
それでも、あの踏み荒らされてしまった、共同制作のポスターを思い出すたび、友達は彼女の無事を祈っているそうだよ。