意識の回路
つぶらやは最近、夢見はいいか?
俺の方はさっぱりだね。寝不足ってわけじゃないんだ。逆に熟睡しちまって、どんな夢を見たのか覚えていないのよ。
夢占いっていうのは昔から存在しているが、いったいどこまであてになるのかねえ。小さい頃は、夢の中に海とか消防車とか、水に関係するものが出てきたら、おもらしの合図とか教わったっけな。
場合によっては、自分を含めた誰かが夢に出てきて、色々な目に遭うこともあるな。それにも吉凶があって、ややこしい話になるもんだ。
いっちょ、夢に関する話をしようかね。
見るとまずい夢のパターンというのは、いくつかあるようだ。特に気をつけるのが、高いところから、何かが降り立つところを目撃する夢らしい。自分より高いところから降ってくる何かは「啓示」。それもバッドニュースを伝える場合なんだとさ。最悪、自分の命が危険に晒される可能性すら、存在するみたいだぜ。
逆に、夢の中で誰かと死に別れる、もしくは自分が死んでしまう夢は、吉兆と考えられている。死に方によって受け取り方は様々らしいんだが、自分や他人が新しいステージに上がるきっかけと捉えられるとのこと。
どれも俺にとってはまゆつばもんもいいところだが、実際に影響が出ちまった例もある。今回はその話だ。
第二次世界大戦が終わってから、ベビーブームがやってきた。数年間に渡って年間250万人以上の赤ん坊が生まれて、「団塊の世代」と呼ばれるようになったのは、知っての通りだな。
ウチのばあちゃんは七人兄弟で五番目だったんだが、末っ子がちょうど団塊の世代にかっちりはまっていた。七人のうち、女はばあちゃんとその末っ子だけだったらしい。家族からは猫かわいがりされたみたいなんだが、妹に関しては不思議な子だったとしょっちゅう話していたよ。
ばあちゃんの上の兄弟は、年が離れていることもあって、ばあちゃんが13になる時には、すでにひとり立ちしていた。家にいるのは両親とばあちゃん、弟、妹。祖父母とは別居していた。妹とは八歳差があって、五歳だったとの話だな。
そんな妹が、夜中にばあちゃんの布団に潜り込んできたんだそうだ。冬場だとよくあることだったんだが、今は夏場。せまっ苦しいふとんの中は、蒸し暑さと圧迫感を増して、ばあちゃんはちょっと、イラッとしたんだとか。
その妹が、背中にくっついて、もじもじしながら言うんだってよ。「怖い夢を見て、眠れない」と。
ばあちゃんはとてつもなく疲れていたんだが、無視して騒がれても面倒だし、話を聞いてやったんだってさ。
話したところによると、夢の中で妹は、深い森の中をあてもなくさまよっていたんだそうだ。やみくもに動き回っていると、大きい足音がする。振り返ってみると自分の何十倍はあろうという巨人が、木々をなぎ倒しながら、こちらに向かってきていたんだ。妹は必死に逃げたものの、ほどなく踏みつぶされてしまった……というところで、夢から覚めたとのこと。
泣きそうになる妹をなだめながら、眠れるまで起きている、と伝えたおばあちゃん。安心したのか、ますますぴったりくっついてくる妹。どうせ、数十分で寝付くだろうと、その時のばあちゃんは、タカをくくっていたそうだ。
ところが、妹が寝ない。ばあちゃんが話を聞かせたり、本を読んだりしても効果なし。結局、夜通しで妹に付き合うはめになり、寝不足も手伝って余計にイライラしたらしいぜ。
それからも、妹はしばしば悪夢を見たと言って、ばあちゃんに泣きついてきて、そのたびにばあちゃんの体力はごりごり削られたらしい。親には「自分でどうにかしろ、うるさくするなよ」で放っておかれ、弟は妹と折り合いが悪くて、妹が近寄らない。
妹は妹で、多彩な死にざまを、夢の中で体験しているようだった。刃物で切られたり、絞殺されたり、ハンマーで殴られたり、電気を流されて動けなくなったところでとどめを刺されたり、と五歳児の夢にしては、やけにスプラッタなものが多かったらしい。
それにつれて、妹の不眠時間も長くなった。三日三晩で一睡もしないくせに、まったく体調を崩さない。それに付き合わされるばあちゃんは、完全に昼夜逆転現象。学校でつい居眠りをしてしまい、先生に絞られることが増えたのだとか。
ばあちゃんの疲れが限界に近付いてきた時、別居している祖父母が家を訪ねてきた。だが、妹を見るなり、祖母はびっくりして「こりゃよくない、すぐにお寺さんに行かんと」と妹を連れて、寺へ向かおうとする。何が何だか分からない家族に、祖母は付け足す。
「この子の中で、動物たちが行進を続けておる。やめさせねばならん」
お寺に行ったばあちゃん一家は、住職さんと話をする。事情を聞いた住職さんは、人形供養をしているお堂の中に、妹を導き入れて、お経を詠んでもらう運びになったんだ。
お経が響く中、祖母は語る。新しく産まれた子供の中には、ごくまれに、同じ時間に生まれた別の生き物と、意識がつながってしまう者が現れる。その子が見る夢にも、意識がつながった生き物の活動が、視界を共有する形で出てくるらしいんだ。そして、その生き物が眠る時が、つながった子供の起きる時になる。
起きている、眠っているで、意識のスイッチが切り替わるみたいなんだ。だが、どちらか一方の命が絶え、永遠に意識を失うと、つながっていた片割れはしばらく眠れなくなってしまう。
意識というのはエネルギーに近いらしく、死んだ方の意識が余剰エネルギーとして流れ込み、それらを放出するまで、身体が活性化してしまうのだとか。
妹はごく珍しいケースで、数えきれないほどの生き物と回路を結んでしまったとのこと。このままだと、放出よりも流れ込む量が多くなりすぎて、死に至るらしいんだ。
今行っているのは、機械風に表現すると、意識のチャンネルを妹から人形に移している、という説明だった。これが済めば、妹は以前通りに眠ることができるのだとか。これは、寺が人形供養を続けている、理由の一つに含まれているらしい。
以来、妹は無事に眠れるようになった。めでたしめでたしと行きたいところだが、気になることが残っている。
数十年後の地震の際に、例の寺は倒壊してしまったらしい。再建はされたものの、山ほどあったはずの人形たちは、なぜか一体も見つからなかったそうだ。
もしかしたら、死んでしまったものたちの意識が、人形と一緒に、今でも行進を続けているのかもな。